晴れ晴れとした天気。 少し冷たく乾いた風が校庭に集まった生徒達の頬を撫で髪を甚振る。 けれども、遮蔽物の無い太陽の光が生徒達に降り注ぎ、気温に比べて体感温度としては、暑い。 冬服の下でじわりと汗をかいているものも少なくないだろう。 そんな中で、朝礼台に上った今夏、二年で生徒会長に就任した、跡部景吾が美術鑑賞会についての説明を行っていた。 が。 「跡部、話が長いわ」 教師に押し付けられた書面を諾々と読んでいた跡部に、声をかける人物が一人。 太陽に透けると金にも見える栗色のウェーブがかった髪を揺らし、生徒会副会長 茜・Damrosch=御陵院 が今にも舌打ちせんばかりに柳眉を寄せていた。 跡部はそれを無視したのだが、茜はそれが気に入らなかった様子。 眼を細めて、教師達の制止も気にせず壇上に上り跡部からマイクを奪うと 「とにかく、一般市民に迷惑かけるなって事よ! 借りてきた猫のごとくに振舞いなさい! ちなみに今日の奏者は私がウィーンでお世話になった方だから粗相の無いように。拍手は盛大に! わかったわね! いくわよ!」 と、一気に言った。 すでに、その振る舞いには慣れている生徒達が、まばらに頷く。 跡部ですら、抵抗するのが面倒だとばかりに口を閉ざし、教師陣も仕方がないなと、生徒達をバスへ乗り込ませ始めた。 茜は、ドイツ人の母と日本人の父との間に生まれたハーフだ。 ミドルネームは母の旧姓で、現在は母と共にミドルネームとしてダムロッシュを使用している。滅多に使わないが。 生まれはオーストリア。 父方の祖父は国会議員で、父方の祖母は御陵院財閥の総帥、父親は親会社の代表取締役。 母方の祖父は著名な作曲家で、祖母は映画スター、母親はテニスで世界ランク三位まで上り詰めた。 茜自身はと言えば、十歳でジュニアの作曲コンクール優勝、十二歳で声楽での才能を発揮し、オーストリアで初ソロコンサート、現在はテニス一筋で、中学卒業後は欧州の音楽院へ進学が決まっているIQ144の天才児。 権力、金、容姿、才能、知識、何もかも持っている彼女だが、性格が唯一の難点だった。 金持ちのご令嬢宜しくベンツやロールスロイスで登校したかと思えば、ふらりと徒歩で登校し、単独誘拐犯を一人で叩きのめす猛者。 才色兼備、容姿端麗、頭脳明晰、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花で、傍若無人な奇人変人変体。 彼氏いない暦=年齢という。 コンサート会場で着席している生徒を数えていた教師が、困ったように息を吐いた。 案の定と言うか何と言うか、茜がいない。 今年、氷帝学園中学校に着任した新米教師は、茜を探しにホールから出て行ったが、思ったよりもすぐに見つかった。 控え室へ続く階段から生徒会長の跡部に襟首を引っつかまれて引きずられ、わあわあと騒いでいたからだ。 「Lass mich allein!!」 と茜が大声で言い、 跡部が 「Ruhe.」 と冷たく。 もともと、ドイツ語圏で育った茜が思わずドイツ語を使うのはうなずけるが、跡部もそれ にさらりと返す。 「Ich will.. 「Ruhe.bitte Ruhe.」 ...Scheisse!!」 何か言おうとした茜の言葉に被せて跡部が同じ言葉を繰り返す。 しかも、淡々と。 言葉をさえぎられた茜は小さく悪態を吐き捨てる。 とにかく、茜は栗色の髪を揺らし至極不機嫌そうに引き摺られていた。 歩く気はないらしい。 それにしても、その不機嫌そうな顔でさえ、今ここにカメラを持っていたら思わず撮ってしまいそうになる位の愛らしい顔である。 日本人に比べれば少し彫が深いか。 目は大きく瞳がちで、長い睫毛がキラキラと光を反射し。 滑らかな肌は白く、なんとなく噛み付きたいような気持ちになる。 何も塗らずとも、そのままリップモデルとして撮影に入れそうな桃色の唇は、性格がアレでなければ、とても魅力的だ。 何度も言うが、性格がアレでなければ。 さて、演奏は順調に終わり、アンコールを求める拍手が延々と繰り返され、三度目のアンコールで、今日の奏者が全員顔を出し、挨拶した。 それと同時に、二十歳を過ぎた頃だろうか、若い奏者が茜を壇上に呼び、鳴り止まない拍手の中で耳打ちした。 茜は 「Aber natuerlich!! will Ich singen O surdato 'nnammurato?」 と大きく頷く。 ドイツ語など解る筈もない生徒は勿論、教師も、茜が何をやっているのか、何をやらかそうとしているのか、と。 その後も、茜は手を叩いたりと、身振り手振りも交えて奏者と打ち合わせをし、そして歌いだした。 唐突なことに、教師も生徒も、暫し呆然と。 しかし、明るい旋律が紡がれ、茜の愛らしい唇から歌が紡がれると、聞き入らずに入られなかった。 色んな意味で期待を裏切られる。 確かにオーストリアでソロコンサートを行ったのだからそれなりに巧いのだろうとは思っていたが。 J-popを聞きなれた耳には、しばし、慣れるのには時間がかかった。 Staje luntana da stu core, a te volo cu 'o penziero: niente voglio e niente spero ca tenerte sempe a fianco a me! Si' sicura 'e chist'ammore comm'i' so' sicuro 'e te... 流石に、経験をつんだオペラ歌手と比べると確かに深みは無いが、同年代では突出した声量と音域、そして表現力。 そして何よりも楽しそうに、恋に落ちた兵士の歌を歌う。 歌に疎いものでも解る鍛えられた声。 Oje vita, oje vita mia... oje core 'e chistu core... si' stata 'o primmo ammore... e 'o primmo e ll'urdemo sarraje pe' me! 普段の会話とは全く違う茜の声に生徒達も驚きを隠せず。 先の会話での通り、奏者は出来るだけアップテンポに、茜の望み通り、ほんの少し早い拍子。 いつ息継ぎをしているのかわからない程に、声は音に。音は歌に。途切れることなく。 カンツォーネとしては定番だが、茜はとてもこの歌が歌いやすく、そして好きらしい。 顔を見ていれば誰にでも解った。 気持ちが歌に乗っているとでも言うのか、聞いている方も楽しくなるのだ。 Quanta notte nun te veco, nun te sento 'int'a sti bbracce, nun te vaso chesta faccia, nun t'astregno forte 'mbraccio a me?! Ma, scetannome 'a sti suonne, mme faje chiagnere pe' te... Oje vita.... 跡部など、カンツォーネに多少の知識のある生徒達が手拍子を始めた。 もともと、踊りだしたくなるような明るい曲だったので、茜はそれは気持ち良さそうに歌い、一緒に手を叩きながら全校生徒の手拍子に負けるものかと声を出す。 会場全体に声が響くような声と音の洪水とでも表現すべきか。 流石にプロと言ったところ。 Scrive sempe e sta' cuntenta: io nun penzo che a te sola... Nu penziero mme cunzola, ca tu pienze sulamente a me... 'A cchiu bella 'e tutt''e bbelle, nun e maje cchiu bella 'e te! Oje vita.... 茜が歌い終えると、誰に強制されたでもない自主的な拍手が起こる。 ここまで歌える中学生がいるだろうか。 彼女は、性格さえなければ、人々を魅了するに足る才能を持っている。 性格さえなければ。 そんな事件もありつつ、御陵院茜は氷帝内でも跡部に次ぐ知名度を誇っていた。 |