Volare
「紅茶がいいわ。紅茶。ストレートで」

 偉そうにテーブルをバンバンと叩き、紅茶を要求する御陵院
 跡部景吾はその言葉に苛々しつつも表面上はコメカミを引きつらせるだけに留まっていた。

「ローズティーがいいわ。アイスでね。無ければクレイグモア茶園のニルギリにして。これだったらホットで」
「うちは紅茶専門店じゃねえんだよ」

 茶園まで指定して我儘を言い出した眼前のを睨みつつ跡部は小さく吐き捨てた。
 はそんな事はまったく気にせずに、跡部家のメイドにまだ何か言っている。
 しかしメイドも紅茶にはうるさい性質だったのが幸いしたようだった。
 ベッドメイクはいまいちだが、飲料に関してはこの若いメイドに任せるに限る事は跡部もよく知っている。

「申し訳ございません。クレイグモア茶園の茶葉は現在取り扱っておりません……ですが先頃のオータムナルのダージリンでキャッスルトン茶園のとても良い品質ものがあります。もしくは、ヌワラエリヤのセイロン紅茶でシルバーティップスのものがお薦めです。ローズティーはケンティフォーリアローズのものがございますがこちらはニルギリベースになっております」

「あら、それならセイロンがいいわ。蒸らしは四分でおねがいするわ。落胆させないで頂戴ね。……跡部、彼方の家にしては良いメイドを雇っているわ。次に来た時はコーヒーを頂くから、抜かりないようにしなさい」

 どこまでも偉そうに振舞うに、流石の跡部もキレそうになり、怒鳴ってやろうかと口をあけたところでぐっと踏みとどまる。家へ呼んだのは自分。(というか跡部の父親だが)
 頭を振って不快感を霧散させると、跡部は本題に移った。

「来月、うちの母親が誕生日なんだ」

「それはおめでたいわ。日本では周りの者がパーティの用意をするって本当みたいね。ドイツでは本人が用意するものなのだけれど。まあ、私は祝ってもらっていたけれどね」

「それでだな」

 聞いてもいないことをベラベラ口にしているの言葉を全て無視しつつ跡部はメイドの置いたコーヒーに目を落として先を続ける。
 大体、のペースに巻き込まれていては話が全く進まない。
 少しばかり強引に行く方がいい。

「パーティでお前に歌を披露して欲しいんだが。母親に歌を贈って貰う訳だな」

「いいわ」

 自分の言葉を無視された事など全く気にしていない様子であっさりと頷くに、跡部は安堵よりも拍子抜けしたような気分を味わう。
 目の前のアリスのカップチーズケーキをフォークでつつきながらいまだ一口も食べないでいるは「紅茶はまだかしら」と呟いた。
 どうやら紅茶が饗されるまでケーキに手を伸ばす気はないらしい。
 それから、跡部の青い瞳を見やって首を傾げた。

「何を歌えばいいのかしら。楽譜が欲しいわね。それと、私はイタリア語とドイツ語とフランス語くらいしか解らないから、ああ、あと日本語と英語ね。とにかく、その中の言語からチョイスして頂戴。歌詞の意味が解らないままでは歌えないわ」

 長々と、と言うか、跡部が一ならば、は十くらいの言葉を紡いでおり、跡部はそれを適当に聞きつつ、答える。
 カップの中のコーヒーは半ばほど無くなっていた。

「選曲はお前に任せる。」

「Volareにするわ」

 任せる。、の”。”に掛かるほどの即答に、跡部は暫し固まる。
 それから、メイドの持ってきた紅茶を飲んでいるに言う。

「定番だな」

「お客様に馴染み深くて、ノリ易くていいのよ。私も好きだし。勉強の必要があまり無いのも選んだポイントね。だって、何度も歌っているんですもの。メドレーではないんでしょう?」

「美味いか?」

「ええ、跡部の家でこんなに美味しい紅茶とケーキを饗して頂けるなんて思いもしなかったわ。跡部にしては上出来よ」

 の言葉を全く無視して聞いた跡部の言葉にも全く動じずに笑貌を浮かべては頷いた。
 しかしまあ、何でもかんでも上から見下した言い方をする女である。
 それに慣れてしまった自分を跡部は恐ろしく思いつつも、確かに腹の中ではあまり良い気分ではなく。
 ただ、がサバサバとした性格であるのだけが救いだ。コレで粘着体質だったら一生拘わりたくない。

「で、私はどこで歌うのかしら?」

 とりあえずミッドデイティーを楽しんだはテーブルに肘をつけ両手を合わせ、少し前傾姿勢になりながら首を傾げて跡部へ問う。
 僅かに上目遣いになっているその瞳を見下ろしつつ、跡部が答える。

「ああ、入ってきたところに大きな扉があっただろ。奥が大ホールに繋がってる。舞台みたいなモンがあるから、たぶんそこでだな」

「解ったわ。ドレスに希望はあって?」

 は、跡部の言葉に頷くと合わせていた手を、花開くように、チューリップのような形に広げ、そこに形の良い顎を据えながら再度問う。
 跡部は軽く首を振りながら、大分冷めてしまったコーヒーを一気に煽った。

「見苦しくない程度に好きに着ろよ。白以外でな。報酬はどうする?」

「あら、いらないわ。友人の為に歌うのにお金をとっても仕方がないもの。もし私に払ってくれるというのなら、そのお金をUnicefやPETAに募金して欲しいわ。お金には困っていないの」

「そういえば、お前コンサートの金、寄付してるんだってな」

「ええ。ホール代や宣伝費とか、必要経費は貰っているけれどね。私は無料奉仕よ。ボランティアね。まあ、スタッフやスポンサーに食事を頂く事くらいはあるけれど。」

 両掌に顎を乗せたままは頷き、視線を跡部から外した。
 壁に掛かっている恐らくは陶器を使用した白を基調としたと金をあしらった時計を見上げている。
 高価なもので、趣味も良く、部屋にとってもこれ以上ないほどのインテリアであったが、にとっては時間を確認するためだけの物だったらしい。
 テーブルについていた肘を離すと「お暇するわ」と言いながら立ち上がりまるで我が家のような足取りでスタスタと歩き出した。
 跡部は一応、を玄関まで送った。
 塀の外では御陵院家の銀のベンツがの帰りを待っている。

 そして――

 Volare! Oh, oh!
 Cantare! Oh, oh, oh, oh!
 Nel blu, dipinto di blu
 felice di stare lassu`
 E volavo volavo felice piu` in alto del sole ed ancora piu` su
 Mentre il mondo pian piano spariva lontano laggiu`
 Una musica dolce suonava soltanto per me

 歌い終えたは跡部家が呼んだ各界要人には興味など全くないらしく「これはこうしたほうがいいわ」とか「これはまずまずね」とか「なかなか上出来だわ」とか言いながら料理をぱくついていた。
 時折、歌を褒められると学校での態度が嘘のように丁寧に返答し。
 その中の一人、跡部の母がに礼を述べるとともに
「景吾には、こんなに素晴らしいフィアンセがいて幸せね」
 等と言い出した。

 跡部ももその 尋常でない勘違い に驚愕した事は言うまでもない。