氷帝学園男子テニス部レギュラーは、何故か御陵院=Damrosch・茜に抜き打ちテストをやらされていた。 内容は授業的なものではなく。 しかも、テストと言うよりは宿題に近く「このプリントを、答えを調べずに解け」という物で。つまり、その人物の持つ知識を調べたいらしかった。 そして、その結果。 「跡部、忍足、芥川、日吉……あなた達四人に決定したわ」 何が? 「1ヵ月後の歌舞伎鑑賞会に着ていく着物を決めるの。そろそろ作り始めないと間に合わないんだもの。3ヶ月かかるって言われたんだけど、そこは無理を通すわ。一ヶ月あれば何でも作れるでしょう」 ああ、それで長襦袢だの肌襦袢だの半襟だのと質問が連ねてあったのか……、とレギュラー陣は納得した。 「京友禅や加賀友禅について跡部は良く知っているわね。日吉は西陣の知識も良かったけれど着付けができるでしょう。忍足は着物に並々ならぬフェティッシュを感じさせたわ。芥川は着物の汚れの落とし方についての知識が素敵だったわね」 そんな理由らしかった。 「という訳で、光栄にも選ばれた四人は明日、着物の店へ行くから駅で待ち合わせるわよ」 さも当然に断られる可能性など一ピコグラムも存在していないかのような口調である。 なにが「という訳」なのか。 部活が、とか、予定が、とか跡部の、忍足の、芥川の、日吉の、そういう、抗議は全く通らなかった。 ただ一つ、せめて午前中はテニス部の練習を行う事だけは、茜は受諾したが、午後は即行で着物問屋へ行くことを四人に約束させた。 「メトロでもJRでも、どっちでもそう違わないと思いますよ」 電車で着物を観に行くなどの経験がある日吉は、その電車に揺られながら、そう答えた。 忍足は、着物美人、などの言葉は好きだが実際にそういう所へ行った事はないらしい。 既に寝ている芥川は論外。 跡部も茜も案内されて当然、という態度である。 必然、地味に苦労人である日吉が路線を決め、結局メトロで向う運びとなった。 勿論、全員テニスバッグを肩にかけて。 超絶美少女と、それを取り囲む氷帝ホスト部の異名を持つテニス部レギュラーの面々。 電車内の人間が、ちらちらとその様子を目端で捉えようとするのも仕方ないだろう。 それに何より――茜と跡部には、オーラのようなものがあり、自然自然と人目を惹きつけてしまう。 茜にも跡部にも毎日会っているホスト部……もといテニス部の人間は、既に麻痺してしまっているようだが、一般人は存在感に当てられてしまう。 というか、会話の内容がおかしい所為もあるのだが。 進化論の矛盾点や、その他、何もない状況でアミノ酸がたんぱく質を合成する確率などを話している姿は、未来のプロテニスプレーヤーとも未来の歌姫とも思えない。 「エントロピーの増大を考えれば進化論はおかしいわ」 「は?てめぇは創造論者かよ。エントロピーの減少は孤立系でなければ有り得るだろ。太陽光もあるし、生命そのものだって孤立系じゃねぇよ」 「あら、私は創造論者よ。生命が出来る状況を作る創造主がいなければ、こんな奇跡は起こらないのじゃなくて? ビックバンが一瞬でも遅かったら地球はなかったわ。――でも、確かにエントロピーの増大や減少で進化論を否定するのはおかしいわね……それは訂正するわ」 「やけに殊勝じゃねぇか。まぁ、創造論を否定する気はねぇよ。進化論も矛盾点はあるからな。だが、俺は神なんか信じてねぇ」 「跡部らしいわ」 嘲笑ではなく、年相応に微笑む茜に、見蕩れそうになった跡部は視線を己の掴むつり革へと向けた。 まあ、上記系統の新創造論的な会話は追々別の話で深く突っ込むとして、今回は着物を買いにいく。 京都まで買いにいく、と言い出さなかったのが不思議なくらいの出来事なのだ。 跡部との進化論や生命の誕生についての会話に飽きたらしい茜が、本日の本題に触れる。 「着物の予算は500万までだから、そのあたりを考えてね」 「松井青々(京友禅作家)や寺西一紘(加賀友禅作家)でも買うつもりですか」 茜の予算を聞いた日吉が呆れたような声を出した。 確かに、普通に買うのであれば100万あれば良いものが買える。 というか買うだけならもっと安い。10万でも足りる。 有名作家になれば三百万以上は軽く行く事もあるが。 「いいのがあれば何でも良いの。由水十久(加賀友禅作家)でも森口華弘(友禅作家)でもね」 「森口華弘も好きですけど、初代由水十久の作品が、俺は好きですね」 良い趣味だわ、と茜は日吉に笑みを浮かべて見せ、二人は何やら会話が盛り上がっている。 まあ、日吉の背中には寝こけた芥川が涎をたらして日吉の服に唾液の染みを作りつつ、へばりついているのだが。 「なぁなぁ、跡部、あいつら何の話ししとるん?」 ぼそり、と尋ねる忍足。 さりげなく立ったまま寝ていた芥川を日吉に背負わせた犯人の跡部が、こいつ莫迦か?的な視線で忍足を見る。 「友禅作家の話だろ。俺も詳しくねぇけど、重要無形文化財”友禅”保持者の森口華弘くらい知っとけ」 どうでもいいが、重要無形文化財保持者や保持団体を全部覚えている一般人は普通いない。 友禅だけで現在四人いるのだ。日本刀でも二人以上いたはずだ。その他文化的なものは幾つもある。 「重要無形文化財保持者……って人間国宝?」 「そうとも言うな。俺は華弘の500万の訪問着を見たことがある」 「たっか!」 忍足の声が電車内に響き、日吉が鬱陶しそうな目で忍足を見た。 店に着けば、大試着大会開催。 「あかん!姫さんにはそれやないやろ!」 と、店員の女性を押しのけて忍足が主張した。 跡部と日吉に至っては、着物の勉強でもしているかのように、色々と生地を見て回っている。 芥川は日吉に背負われたままだ。 無理やり連れて来られた彼らは、積極的に茜と関わろうという気がないようだった。 とりあえず、折角来たのだから良い物を見、良い物を判別できる目を養おう、としか思っていないらしい。 芥川はとにかく眠いらしかった。 そして、唯一真剣にアドバイスをする氷帝の天才・忍足侑士。 「こう……着物は襟足から覗く白いうなじと後れ毛が命や。御陵院の肌なら、もう少し明るめの赤がええ。白い肌に反射して薄ーくピンクに見えるのがええんや。それで余計肌が白みえるしな」 少し離れた所では、無関係とでも言うように、跡部と芥川を背負った日吉が着物を見ていたのだが。 忍足の力説が耳に入った日吉は、小さく口を歪めた。 「跡部部長」 「なんだ?」 「忍足さんって変態ですね」 「今更だろ」 「――あ、青々の作品ですよ。三百七十万ですって。帯や長襦袢もいいものを選んだら四百軽く超えますね」 「欲しいのか?」 「……からかわないで下さい」 二人の会話を聞いていたらしき試着中の茜が、急に大声を出した。 「跡部、日吉、芥川!あなたたち、全然役に立たないじゃないの!さっさと私を見なさい!この着物はどう?」 跡部は煩そうに眉を寄せ、日吉は溜息を吐き、芥川は目を擦り。 そして、茜を振り返り、その着物姿を目に入れると――跡部は、認めざるをえなかった。 皆が皆、素直に褒めざるをえない。 「ムカつく事に、御陵院は何着ても綺麗だから安心しろ」 「姫さんは、ほんま何着たって美人やで」 「だいじょーぶ!茜ちゃんはどんなの着てても可愛いC」 「御陵院先輩は何を着ていても綺麗ですよ」 そして茜は嬉しそうに嫣然と微笑んだ。 「あら、解ってるじゃない。私は何を着ても似合うのよ。当たり前だけど」 台詞はアレだったが、とにかく、茜は嬉しそうに笑ったのだった。 跡部と忍足と芥川と日吉の微妙に冷めた目線すら気にならないというように。 結局、日吉の振袖ではないのだし、学校行事なんだから派手すぎるのも駄目だろう、という意見で加賀友禅に決まり、忍足がプッシュしまくった黄味の強い薄い緋色の着物に、跡部が金銀糸の桜の市松模様を合わせ、半襟は忍足おすすめの薔薇模様の真紅、長襦袢は薄いピンク、帯上げ帯締めエトセトラも何とか決まったのだった。 跡部以下、テニス部の面々は普通に見ていたが、その場の客、店員、たまたま来ていた作家、その他もろもろ皆が着物素柄の茜に見とれた事は言うまでもない。 そして、帰りの電車で跡部と茜が独逸語で喧嘩していたのはまた別の話である。 歌舞伎会、当日。 テニス部で選んだ着物を着て、生徒会長の跡部を押しのけ壇上で演説をぶつ茜がいた。 普通、着物を着れば淑やかになるものだが、茜にとっては戦闘服であるかのごとき勢いだった。 生徒を始め、教員も、注意を忘れるほど艶やかな茜の姿。 忍足は自分の選んだ着物が良かったからだと内心で自画自賛した。 跡部は不覚にも楽しそうに演説を打つ茜を止めるのも忘れて眺めていて、後で自己嫌悪するのだった。 それほど、きちんとした着物姿の茜は魅力的だった。 そして、鼻息荒く、満足げに演説を終わらせた茜の楽しそうな満足そうな微笑に、ほぼ全校生徒が見蕩れる。 性格の難を容姿で完璧にカバーする(フォローでも良い)女、それが御陵院茜だ。 そして、 歌舞伎座の1866の座席を1652の氷帝学園の生徒(含欠席)プラス氷帝学園教員が埋め尽くした。 ちなみに茜以外の生徒は全員制服である。 |