Fratello

 御陵院は全てをスワロフスキークリスタルで彩られたキラキラと輝くデコ電を手に、珍しく、困った顔をしていた。
 その表情で街中を歩けば100人中90人は”どうしました? ”と声をかけるだろう。
 それ以外の10人の内、9人は余りの美少女には少々近寄りがたいか、人との会話が苦手かで、声をかけたいが、かけられない人間。
 最後の一人だけが純粋にが困っていても特に何も思わないという人間の予定だ。
 とにかく、絶世の美少女、御陵院はテニスコートを見下ろしながらさも当然のようにデコ電で会話していた。
「煩い上に五月蝿いわ。……あら、音が一緒じゃないの。訂正するわ。煩わしい上に五月蝿いわね。もう切るわよ、
 電話の相手は何か言っていたようだったが、はそのまま電話を切り、着信拒否の操作をしてから、ゴールドのチェーンでデコ電を首から下げ、胸ポケットに本体を押し込んだ。

「待たせたわね――さあ、青学テニス部を完膚なきまでに叩き潰しに行くわよ!」

「先輩ぃ、潰すんじゃなくて交流試合ですよぅ……」
 隣でラケットを抱いていた加藤伊織がおどおどと突っ込んだ。
 それを完璧に無視して、は嫣然と微笑み、コートで待つ青学テニス部員を見下した。
 ちなみに、”みおろした”とも読めるが、は”みくだした”のだった。意味も漢字も同じだが、聞いた人の感じ方が違う。
「うるせぇ、さっさと戻って来い!  このバカが!」
 跡部がを見上げて苛々と怒鳴りつける。本気で苛々している。
「真打は遅れるものでしょう? 」
 にっこりと、跡部の怒声も意に介さず微笑んだ。
 あーあ、またやっちゃったよこの人は……的哀れみの視線がに注がれる。

「えぇ、遅れてくるものですよね、姉さま」



 間。



「ごめんなさい。跡部。わたし、今、本当に心から謝ってるのよ。人生で心から跡部に謝ったのは今日が最初で最後かもしれないわ。先に試合していてくれて? この子達も頼むわよ」
 珍しく殊勝な態度でぱん、と、伊織の背を叩いたは、現れた少年――そう、年端もいかない少年だ――を見下した。ちなみにこれは”みおろした”である。
 今は結ばれている栗色の髪を揺らし、は、少年を睨んだ。
 その間、女テニ部員達はぞろぞろとコートの元まで降りてゆく。
「用件は何かしら?  先ほど電話で話したことだったら、私は部活の試合の方が大事なの。行く気はないわ」
「ねえさま、何度も言いますけど、お客様は国家元首なんですよ。学園の部活動と比べられるものじゃありません」
「嫌よ。嫌だったら嫌よ。私が嫌と言ったら引かない性格であるのは理解しているでしょう。どうしても私の歌を聞きたいというのなら、その方に待ってもらえばいいわ。部活が終わったら帰ります。青学テニス部を潰す方が先決なの。大体、日本と交流があるわけじゃないじゃないの、あの国は」
「だからこれを機に日本との国交を…… 「それくらいわかっているけれど、それでも私はこの試合のほうが大事なのよ」 ――子供じみた我儘を言わないで下さいよ姉さま!」


 う わ ぁ、これだけ大声で怒鳴りあいされたら試合しづれぇ……


 いきなり現れた、年端も行かない美少年は、ふっくらとした愛らしい唇で荒げた声を出し、雪華石膏のように白く透き通った頬を怒りで紅潮させ、栗色の長い睫毛を震わせ、柳眉を吊り上げていた。
 溜息が出るほどの美少年である。
 そして、どっからどうみても――
「おい、そいつはてめえの弟か? 」
 流石に国家元首とかいう単語が出てくるような会話を流せるほど、青学テニス部も氷帝テニス部も鈍感ではなかったらしい。
 跡部は、手塚に一言”悪ぃ、少し待ってくれ”と言うと、に問いかけた。
 しかし、答えたのはではなかった。
 美少年は丁寧に腰を折り、青学・氷帝、両女子テニス部の視線を完全に奪うという芸当をしてみせた。
「初めまして。練習のお邪魔をして大変申し訳なく思います。僕は御陵院=Damrosh・Hildebrandt=と申します」

 その名前は何事が起こったのか。
 何かの罰ゲームなのか。
 名前を長くしないと死ぬ病気なのか。
 ※(名前)(FirstName) = ヒルデブラント(祖母旧姓)・ダムロッシュ(母旧姓)(MiddleName) = 御陵院(父親苗字)(FamilyName)

「姉がお世話になっております。姉の事で何か問題がありましたら御陵院家へ遠慮なくご連絡して下さい。練習試合につきましては大変心苦しく思いますが、姉は本日お休m 「何勝手なことを言ってるの! ? 行かないわよ!  私は!」 だから、姉さま!  あと一時間もしたら元首様が来てしまうんですよ!  さっさと車に乗ってください!」
 たった二人ではあるが様相としては喧々囂々の言い合いである。
 ごちゃごちゃ言い合う二人に、溜息を吐いたテニス部員達は仕方がないからほっておいて試合をするかと言う雰囲気になる。どうせこの人だし、という。
 しかし、
「――っ怒るわよ! !」
 このひとこと。
 美少年の瞳が、うりゅ〜、と潤んだ。
 大きく愛らしい瞳には涙が溜まり、今にも零れ落ちそうで、庇護欲を掻き立てられる。
 必死で涙が零れないようにしている姿も、それを増長させた。
 が、しまった……! と顔を歪ませている。
 この時点で、正悪が決まった。
 そもそも、まだ小学生の弟に向ってキレているという時点では悪だ。
「ねえさまがきてくれないから……っ……ぼく……だって、げんしゅさまがくるのに……っ」
 とうとう、その大きな瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちて。
 テニス部員百パーセント中、九十八パーセントがに味方している。

 泣〜かせたっ 泣〜かせた〜 セーンセーに 言ってやろっ♪

 この歌が全国規模かどうかは知らないが、まさに周りの人間の視線はこれだった。
 何より、泣いている子供が可愛すぎたために、いくらの美貌を持ってしても、への批判的な視線は防ぎようがなかった。
 しかし、はその視線より何より、泣いている弟に対して、怯んでいた。
 だって、弟を率先して泣かせたいわけではないのだ。
「い、いやよ……私は行かないったら……い、行かないのよ! 試合放棄なんて……! やる前に負けるなんて嫌よ! ……も、元々、今日は試合だって言っていたでしょう!」
 も、しどろもどろになっている。
 はぐしぐしと目元を拭っていた。嗚咽が小さく聞こえてくる。
 はぁ、とその様子を見た跡部は大きく溜息を吐いた。
「おい、御陵院
「っな、何よ……!」
 今度はが泣きそうになっている。
 濡れた瞳が二対、跡部を見つめた。
 絶世の美少女と絶世の美少年が救いを求めるように跡部を見る。
 一瞬、心臓が暴れた跡部だが、それを気のせいだと断定すると、眉を顰めて口を開いた。
「てめぇの試合を一番最初にしてやる。一〇分で片付けろ。その後は俺に任せて、行け。いいな。――おい、手塚ァ。女子の部長を出せ」
「何言っているの?! 私は部長なのよ?!」
 部員を放って置くわけには行かないとのことらしい。
 無駄に責任感が強いは、跡部を睨みつける。
「あと1時間で元首様が来てしまうんですよ?!」
 ほぼ、と同時に叫んだは悲痛に訴えた。
 跡部は苛立たしげに名前の長い超絶美形姉弟を睨んだ。場をしっちゃかめっちゃかにしている二人に対して碧眼が怒っている。

「うるせえ! 俺は生徒会長だ! 副会長が従うのは当然だろうが! 一〇分で終わらなかったら御陵院の負けですぐに試合を終わらせるぞ!」

 もう、跡部に逆らうものはいなかった。
 は酷く苛々した調子でラケットのグリップを握ると、ひらりと観客席を飛び越え、コートへ降り立った。
 短いスカートがふわりと風に靡き、形の良いヒップを包むアンダースコートのフリルが可愛らしく揺れる。
 さながら、天使が舞い降りたようだ。
 少なくとも、青学レギュラー陣の目を奪い、暫しの思考停止を義務付けるほどの美しさだった。
 が、氷帝学園テニス部員は、可愛い、綺麗と思いはするけれど、流石に思考は停止しない程度にになれていた。どんなに綺麗であっても、性格はアレなことだし。
 そして、手塚に促された青学の女子テニス部部長に向って、本当に、本当に申し訳なさそうに、言った。

「ごめんなさい。あなたに試合を楽しむ時間はあげられないみたい。今日の経験を生かして強くなってほしいわ」

 試合前に、この言いざまである。
 そして、は5分で6-0の勝利を収めたのだった。
 サービスエースとリターンエースのみで。
 1つのポイントも許さず、鬼気迫るは背筋が震えるほどに魅惑的だった。
 だが、両学校女テニ部員は未だに泣きべそをかいているをあやすのに熱心になっており、と青学女テニ部長の試合は、男子部員の目にのみ焼き付けられる。

「やるねー。さすが御陵院
「激ダサだな。あの部長、あんまり落ちこまないといいけどよ」
「やっぱ、姫さんは強いんやなぁ」
御陵院先輩、俺たちと普通に試合をするじゃないですか」
「そうだよな〜ちゃんが弱かったら俺たちも弱いってことになっちゃうC〜」
「鳳も頑張って御陵院に勝ってみそ!」
「うぅ……御陵院先輩って、パワーを殺すの上手いんですよ……」
「まあ、当然の結果だな。なあ、樺地? 」
「ウス」
 世間話でもするような氷帝学園。

「にゃっ! ? あんなに一方的な試合はじめて見たにゃ……」
「ふむ、いいデータがとれた、と言いたい所だが……底が見えないな……」
「まさか……5分でなんて……そんな……」
「タカさん、氷帝はあなどれないよ」
「……そうだな、不二。だけど、5分なんて……こりゃ大変だぞ、俺たちも」
「こんなの見せられちゃあ負けられねーな。負けられねーよ」
「当たり前だろうが。テメーは危ないだろうがな」
「――にゃろう」
「これからは俺たちの試合だ。油断せず行こう」
 言いながらもを目で追ってしまう青春学園。

 は大きく息を吐き、僅かにも汗の滲んでいない様子で、跡部の碧眼を睨むように見た。
「――跡部、あとは頼んだわ」
 の視線に、跡部はその瞳を見返して、鷹揚に頷く。
 何のかんの言いながらも、は跡部を信頼しているのだ。
 跡部が軽く手を上げると、は少し笑った。
 そして、は、その跡部の硬い掌に、己の白く美しい手を打ち付ける。
 パァン、と小気味良い音が響いた。
「俺を誰だと思ってやがる。任せろよ」
 王者の笑みを浮かべた跡部に、は天使の微笑を返す。
「負けた人は全員、ラケットで、お尻を”全力・百叩きの刑”だから、覚悟しておくのね」