御陵院茜は、新幹線に乗っていた。 勿論、女テニ、男テニのレギュラーも乗っていた。 なぜ、新幹線か。 「ドンドンドドドン四天宝寺! ……を完全撃破するわよ!」 と言う訳で大阪に向かっているためである。 平部員でも、遠征に付き合っているものは多いが、エイドオブエンペラーこと王政クラブと女帝の騎士団ことリリーガードの一般生徒もかなりの数だ。 勿論、全構成員が来ているわけではなく、精鋭とも呼べる王政クラブは副会長を中心とした30名ほど、リリーガード副騎士団長を中心とした50名ほど。 名目は”遠征に行くテニス部の応援”だが、テニス部員以外は遠征に付き合えば欠席に扱いになる。 会長、次期会長、団長、次期団長が来ないのは非公認の団体である為、頭がばれるのは好ましくないという思いからだと推測される。 スルメを食みながら忍足は茜に尋ねる。 「なんで四天宝寺のコール知っとるん?」 忍足の周りが安居酒屋の香りで満ちていた。 茜は鳳と日吉と樺地と向日と対面になってババ抜きをしているが、視線も向けずに答える。 「忍足に教えてもらったのよ」 「……? 俺は教えた覚えないんやけど」 「忍足よ、忍足謙也」 カードを引き抜きながら茜はやはり忍足に一瞥もくれない。 引いたそのカードにははっきりとJokerと書いてあり、茜は解り易く顔をゆがめる。 その表情も愛らしいのだからどうしようもない。 「紛らわしいで姫さん。向こうついたら俺は侑士であいつが忍足でええやろ」 「嫌よ」 否定即秒。 忍足は烏龍茶を一口含んでからゆっくりと嚥下した。 鳳がほわほわと提案する。 「でも、やっぱり忍足さんが二人だとわかり辛いですから、名前で呼ぶ方がいいんじゃないですか?」 「嫌よ」 拒否一瞬。 茜は回ってきたジョーカーに、はぁ、と溜息を吐いてから髪を掻き揚げた。 その姿は絵画のように美しく、憂える瞳にテニス部の面々が一瞬心臓を止める。 「それなら、少し長いけれど、”千の技を持つ天才”と”浪速のスピードスター”と呼び分けるわ」 憂えた表情、瑞々しい唇から漏れた言葉に、数人が吹いた。 千の技を持つ天才とは今車内を安居酒屋臭いスルメの香りで満たしている忍足侑士の事であるからして浪速のスピードスターとは忍足謙也の事であろう。 「文句はあって?千の技を持つ天才」 一巡しても手元からなくならないジョーカーに苦い顔をしながら茜は問う。 忍足は真顔で抗議する。 「文句アリアリや!」 「仕方ないわね……忍足は忍足のままにして、忍足謙也を浪速のスピードスターと呼びましょう」 一人で納得したらしい茜はカードを引くように日吉を促した。 日吉が引いたのはジョーカーで、茜はそれはそれは花が綻ぶように可愛らしく嬉しそうに笑ったので、日吉もババを引いた事に憤るよりも、仕方がないなと諦観したのだった。 茜の表情でジョーカーが日吉に移った事が皆にわかる。 「げっ日吉がババ持ちかよ!うわー引きたくねぇ……」 向日の嘆きが車内に響く。 どうでもいいが、浪速のスピードスターなど、呼ぶ方も恥ずかしいと、跡部は思った。 声援の嵐の中、四天宝寺レギュラーはコートで氷帝レギュラーを待っていた。 一方コート外の氷帝では。 何やらもめていた。 勿論その中心は御陵院=Damrosch=茜である。 「ちょ、本気ですか?!」 「マジマジダメだって!」 「女は引っ込んでろ」 「姫さんそれは無理やr……」 「 五 月 蝿 い わ ! 」 なにやら茜を説得しようとしていた氷帝陣だが、茜は一喝し、一人でずんずんとコートへ向かって行く。 「だから!なんで男子テニス部の試合に女子のてめぇが混じろうとするんだよ!?」 跡部がその後を追い、細い茜の腕を掴んだ。 「だって、四天宝寺の女子テニス部、あまりによわかったのよ!つまらないわつまらないわつまらないのよ!」 ……癇癪。 四天宝寺の女子テニス部を完全撃破した茜はそれでは物足りなかったらしい。 そう、茜はこの全国大会前の遠征を楽しみにしていたのだ。 それはもう、とても、とても、楽しみにしていたのだ。 しかし、その結果は 楽 勝 の二文字。 四天宝寺中の女子テニス部は全国を狙うような活動をしていないのだから当たり前だ。 茜は酷く落胆し――男子レギュラーに目をつけたのである。 「だからって、俺らの試合を邪魔すンじゃねぇよ!」 ぐ、っと痕が残るのではないかと言う程に強く握られ、茜は眉を顰める。 実際問題、ここで跡部を投げ飛ばすのは茜にとって造作のない事だったが、試合前の跡部を投げるほどには自分を見失っていないわけで。 それに、大阪といえど、跡部と大喧嘩して兄に付け入る隙を与えたくはない。 「……解ったわよ。……その代り、東京に戻ったら死線が見えるほどに相手をしてもらうわよ」 「わぁったよ。てめーはベンチで俺らの試合でも見とけ」 本来は監督が座るのであろうベンチを指差す跡部。 茜は踵を返しながら、ふわりと翻ったスカートの裾から茜自身の美しい足が露わになるのも構わずに、背中側の跡部と正面にいる氷帝学園男子テニス部レギュラーに言葉をかける。 「私を引かせたのだから、氷帝レギュラーとして、無様な試合をした場合、私の次のチャリティーコンサートで2万7千円の席を買わせるわ!」 氷帝も四天宝寺も、一瞬耳を疑う。 しかし、氷帝レギュラー陣は苦笑し、まばらに頷くと、ゆっくりとコートへ向った。 その顔を見た四天宝寺のレギュラーが、哀れむような視線を送る。 「侑士、氷帝って大変やな」 「ほんまやねん。まあ、試合には――」 「遠慮はいらねぇぜ。なっ侑士」 にっ、と笑った向日の言葉に、忍足は頷き返した。 試合開始。 「ドンドンドドドン四天宝寺!」 「勝つのは氷帝!勝つのは氷帝!」 双方の応援コールが響く。 ラケットを手に、ベンチに座った跡部と、茜。 他の向日、芥川、樺地、日吉、宍戸、鳳はベンチ周りで待機している。 そして、サーブを打とうとして、一度ボールを握り、茜を振り向く忍足。 「なぁ、姫さん」 「何かしら、忍足」 「なんで敵のコールしとるん?」 そう、茜はあろうことか「ドンドンドドドン四天宝寺!」とコールしているのである。 力も抜けようというものだ。 しかし茜は気にした様子もなく、さらりと返す。 「あら、たまにはいいじゃないの。浪速のスピードスターがお待ちかねよ。さっさと試合しなさいな」 パンパン、と白く、爪の先まで美しい繊手を叩いて試合開始を促す茜。 「せやな、姫さんかて侑士なんかより、俺を応援する方がええよな」 にっこりと笑みを浮かべた謙也に対し、茜もにっこりと微笑み返す。 慣れていない謙也が、その嫣然たる笑みに一瞬目を取られると、茜はベンチに立った。 跡部がぎょっとする間もなく――日吉は誰よりも早く反応すると”ベンチに土足で立たないで下さい”と注意した。茜は靴を脱いだ――茜は声を張り上げた。 「勝つのは氷帝!負けるの四天!」 人差し指を天に向けてコールを始める。 一瞬、皆があっけに取られたが、リリーガードがすぐさまそのコールを復唱する。 『勝つのは氷帝!負けるの四天!』 コールが最高潮になると茜はまた言った。 「勝者は侑士!敗者は謙也!」 これもまた、リリーガードが率先してコールを復唱する。 そこまで聴いていた侑士が、プッと噴出し、腕を高く上げる。 『勝者は…… パチン、と侑士の指が鳴る。 「俺や」 その瞬間。 ぅうぉぉぉぁああぁぁぉぉおぉおおおおおおぉぉー――っ!!!氷帝っ!氷帝っ!氷帝っ!氷帝っ!侑士っ!侑士っ!侑士っ!侑士っ! その、空気がびりびりと肌を震わすほどの、コールに、茜は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。 向日や宍戸もコールに加わっている。何やら含みありげに跡部を見てはいるものの。 「浪速のスピードスター。うちの千の技を持つ天才がお相手するわ。精々頑張りなさいな」 その笑み。 その笑みがどこか子供らしく可愛いのに、年に似合わぬ迫力もあって、けれどやはり艶めかしく、謙也は苦笑した。 侑士も肩を竦めて、笑う。 「ここまで応援されたら、負けられへんなぁ……」 しかして、次の瞬間にはベンチに座った茜が、上機嫌で「ドンドンドドドン四天宝寺!」とコールしていたのであった。気に入ったらしい。 跡部に「おい、御陵院、てめぇうるせぇんだよ」と言われて喧嘩が勃発するまで。 |