氷帝学園の生徒たちの声援が会場に響いていた。 全国大会、女子団体、準決勝戦―― 御陵院茜はシングルス3で出場し、ストレートで対戦相手を下した。 ラケットを高く上げた茜に賞賛の声が降る。 Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! Regina! 「氷帝って派手好きが多いんッスかね?」 呆れた声よりも感心した声の越前。 不二はいつものように微笑みつつ答える。 「さぁ……でも、可愛いからいいんじゃないかな」 菊丸が後頭部で組んだ手を軽く伸ばしながらつぶやくと 「Reginaってどういう意味なのかにゃ?」 乾が即座に答える。 「イタリア語で女王という意味だ」 青学は今日も仲良しだ。 ツン、と上げた形の良い顎。 細めた瞳は長く美しい睫毛が濃い陰を作る。 見下すように、馬鹿にするように、その瞳は己が今下した対戦相手を睨めつける。 「私は氷帝を全国優勝に導く女、御陵院茜よ」 腕を組んだ、その姿は勝利者というよりも、不機嫌な子供のそれだった。 態度悪ぃ…… 挨拶を終えた茜は、不機嫌そうな表情で氷帝テニス部員、主に跡部に視線を向けて口を開いた。 「Vado su.」 茜はギッと跡部を睨みつけて宣言した。 跡部は肩を竦め、溜息交じりに答える。 「Fai come volete.」 次の試合の為にコート整備をしたそうな視線を受けて、茜は喋りながらもコート外へ出た。 「……Voi avete la forza」 茜の言葉に跡部が怪訝な顔をする。 女テニレギュラー陣は茜の後を居心地悪そうにしつつついていった。 そうして、また何か跡部に言葉をかけようとした茜に、鳳が先に言葉をかける。 「あの、 御陵院先輩……日本語で喋りませんか……」 ある種、懇願の入った台詞に茜は口をへの字にした。 加藤に便乗したのか跡部に向かい忍足も突っ込む。 「そや、跡部も日本語で喋り」 茜は、加藤と忍足の言葉を聞くと、ふぅ、と息を吐くと、跡部にラケットを突きつける。 「……だから、私は先に行っているわ。さっさと――」 「そう待たせねぇよ」 茜の言葉を遮った跡部は、口の端を吊り上げた。 その顔を見た茜がフンと鼻を鳴らし白い繊手をパンと打ち合わせる。 「 勝 者 は!?」 御陵院コールが鳴り響く。 リリーガードが先導した御陵院&氷帝コールが響く中、ユニフォームを翻し、準決勝で勝利した氷帝女子テニス部は立ち去った。 男子団体で負けた分も、茜の応援に回ったため400人はいるだろう氷帝生徒のコールは、会場に響き渡ったのだった。 「で、大会直帰で御陵院先輩のコンサートですか」 正装した氷帝レギュラーメンバーがホールへ向かう途中、日吉が呆れたような声を漏らす。 宍戸がなれない服装に居心地悪げに頭を掻きながら誰ともなく尋ねた。 「あいつ、毎日テニス部で指導してただろ。いつ練習してたんだ?」 その言葉への答えを持つ人間はいなかったらしく、鳳がのほほんと世間話を始める。 「今回は御陵院先輩が作曲したそうですよ。ピアノの連弾もするそうですし……すごいですよね」 そう、ただの爆弾娘に見えて、茜は自分を磨くことには怠りがない。 だからこその自信なのだろうし、あの振る舞いなのだろう。 努力家ナルシストと言えば解りやすい。 会場へ向いながら、氷帝学園男子レギュラー&女子レギュラーは茜が無料で自分のコンサートに招いたことを「怪しい」とか「何かある」と話している。 「マジマジすっげー! 茜ちゃん、超歌うまいC! 俺もう今からわくわくしてるぜ!」 会場内に入るなり芥川が目をキラキラさせていた。 その様子に、女子テニス部レギュラー陣が何やら癒されたようだ。 と、 「うん、俺たちも久々に茜の歌を聞くから楽しみなんだ」 御陵院兄弟登場。 弟のほうが物凄く恐縮そうにしており、兄のほうは口の端に笑みを引っ掛けていた。 唐突な登場に また御陵院関係か とげんなりするレギュ陣。 「そ、そうですか」 鳳が無視する訳にもいかないからと、おどおどと答える。 その後、会話のない居心地の悪いまま彼らは席についたのだが――跡部のとなりに 絆という最悪な並び。 跡部が踵を返そうとした瞬間に、絆がその服のすそを掴む。 無言で見つめあ――某人からクレームがきたので――無言で睨みあう事しばし。 跡部はどっかりと席に腰を下ろした。 かなり不服そうに。 言葉のないまま、前座のヴァイオリンソロ、そしてピアノソロが始まり、最後に今日のメインである若干中学生の天才少女――茜が優雅に登場した。 薄化粧を施され、美しい衣装を身にまとった茜は「黙りなさい!」等と叫んでいるいつもの姿が存在して いなかったのではないかと思うほど魅力的だった。 そして、登場と同時にスピーカーから音楽が流れ始める。 茜は、歌った。 Vide 'o mare quant''e bello! Spira tantu sentimento, Comme tu a chi tiene mente, ca scetato 'o faie sunna'. Guarda, gua' chistu ciardino; Siente, sie' sti sciure arece: Nu prufumo accussi fino Dinto 'o core ase ne va... E tu dice: "I' parto, addio!". T'alluntane da stu core... Da la terra de l'ammore... Tiene 'o core 'e nun turna'? Ma nun me lassa', Nun darme stu turmiento! Torna a surruento, Famme campa'! 「景吾、どうだったかしら?」 その呼び方に、跡部は嫌な予感を覚えた。 コンサート後、レギュラー陣と共に舞台裏に引っ張り込まれた跡部はドレス姿の茜に手を取られながら背に嫌な汗が流れるのを感じる。止められない。 しかし、跡部も男だ。覚悟を決めることにしたらしい。にこりと微笑む。 「ああ、最高だったぜ、茜」 うっわー蕁麻疹出る あの樺地ですら手の甲を掻いている。 仲睦まじい様子に、氷帝レギュラー陣は、必死に顔が青くなるのを堪えた。 二人がしている演技を台無しにすれば、後で癇癪を喰らうのは自分たちなのだから。 げんなりして帰ろうとする日吉の襟首を掴む鳳。その手は微かに震えていた。背中には「怖いからいかないで」と書いてある。 仕方がないので、日吉は鳳の背中を軽く叩いてやった。 向日が背伸びをしてぼそぼそと忍足に何事かを言い、忍足は疲れたように首を振った。 そして向日は「女の子は帰りが遅くなったら危ない」と女子レギュだけでも逃がしてやれと言外に茜に訴える。 忍足が「俺が送ってった……」とまで言うと宍戸がべしいっとその口を押さえた。 その瞳はお前だけ逃がしてたまるかよ!とギラついていた。 しかし、茜は周りのそんな様子も気にせず跡部に寄り添う。 と、どすどすと地響きがした。 その震源地を皆が振り返る。 なんだ、あのクリーチャーは。 とりあえず、デカかった。縦二メートル超え、横三メートル超え。 垂れ下がった瞼の所為で目は細く、分厚い唇は捲れ上がり、熊かというほど体中毛だらけ。 しかも、その剛毛たるや背中の毛が変な民族衣装の生地から飛び出している。 顔全体にちりめんジワが走り、そこだけ禿げ上がっているらしい頭は、油をたらしたようにてかてかと光っている。 香水なのかなんなのか、趣味の悪い香りはもしかしたら体臭なのかもしれない。 ニタニタとした笑みは、好意のつもりなのだろうか。まるで蛙の尻に爆竹を詰め込む高校生――そう、そういう事は小学校低学年で卒業するものだが、そいつはソレよりたちの悪そうな――のような気持ちの悪い笑み。 何か一言、日本語でも英語でもフランス語でもドイツ語でもイタリア語でもない、何語かでそいつは喋った。 その口臭に向日が遠慮なく鼻をつまみ、女子レギュが男子レギュの背後に回り、鳳が日吉に泣きそうな視線を向け、日吉は嫌悪感を露わに顔をゆがめ、芥川は”マジマジすっげー!”というキラキラした瞳をし、宍戸は大きな溜息を吐き、忍足が樺地にぐったりと寄りかかり、滝が匂いを追い払うように手を振った。 「あとべ……」 茜が、”景吾”と取り繕うのも忘れ、更に跡部に寄り添う。 「流石に、私にアレと結婚しろなんて言わないわよね?」 ぼそり。 ここからの演技は、茜の命運を分けるようだと跡部は察する。 そして、意外にも、こんな奴に茜を嫁がせるのは癪だと心底思ってしまった自分に驚いた跡部だった。 ちょこちょこと芥川が跡部に近づくと「なぁなぁ跡部っ、こいつってモンスターじゃね?」とわくわくした声で言ってきた。 ならば茜はモンスターに攫われそうなピーチ姫といったところか。 しかし、クッパもセフィロスも、ボスは、もう少しは格好いい。 悪趣味な服装は成金主義というよりもこれ以上金の使い道がなくなってしまったかのような豪華さ。豪華さというのはここまで醜悪になるものかと皆が思う。 「こんな不健康そうな王子、直ぐ死ぬよ。コイツが死ぬまで我慢したらうちの血筋もよくなるし、金だって入るよ?」 本人を目の前に、絆は笑顔でそういった。 茜は眉間に皺を寄せる。美しい顔はそんな表情すら美しいが、笑顔を知っている部員はそれを勿体無いと思う。 (ああ、敵は、この熊みたいな男じゃなくて、こいつなのか) 跡部は納得した。 いくら日本語がわからない相手とは言え、流石にここまではっきりと言えば、驚きに向日が絆を見た。 宍戸と日吉は絆を毛虫でも見るかのように不愉快そうな顔をする。 確かに、現在の日本でも政略結婚などは珍しくない。 けれど、 「絆お兄様、私は……」 「俺はここまでお膳立てしたんだ。ぶち壊すなら自分でやりなね。あ、でも クリーチャーと笑顔で握手を交わしながら絆は言い放つ。 「でも、絶対、茜が生きていく上で、こいつを選んだ方がいいと思うよ。こいつ、すぐに死にそうだろう?成人病とかで。今の正妻を側室にして、茜を正妻にしてくれるって言ってるし」 「にいさま……」 まだ子供の祐が困ったように兄と姉を見比べる。 それと同じように困った顔をした通訳の男が絆の台詞を物凄い大嘘に変換してクリーチャーに伝えていた。 溜息を吐いた跡部は何を思ったのか、いきなり 「……っ……ぅ?」 茜にディープキスをぶちかますと、 「ふ……っ……」 唇を離すと同時にクリーチャーに向ってにやりと笑って見せた。 余りの出来事に流石に涙目になって顔を蒼褪めさせる茜を見たクリーチャーが呆然とした様子から一転顔を赤くして唾を飛ばしながら何かを叫んだが、跡部は「いくぞ」とレギュラーを促して礼服のまま、茜はドレスのまま、駆け出した。 コンサートホールから出ると、茜が「誰か歯ブラシ!歯磨き!なかったら何かマウスウォッシュ!」とぎゃーぎゃーと泣き叫んだ。 鳥取が手持ちのマウスウォッシュを差し出すと一気に口に含みうがいを始める茜。 跡部もそれを奪うと同じく口を濯ぎ始めた。 満足するまで洗浄した二人は植え込みにマウスウォッシュを吐き出す。 「力技にも程があるわよ?!?!」 はきだした途端、茜は跡部の胸倉を掴んだ。 跡部はうるさそうにその手を外させると 「お互い、これからの事を考えるべきだろ」 げんなりと言った。 茜は泣きそうな顔で 「そうね。跡部の所為で」 と答えた。 直後、今度はフランス語で喧嘩を始めた二人を引き剥がしつつ、テニス部レギュラー陣は帰途についたのだった。 |