その日はとても天気がよく、強い風に煽られグラウンドに舞う乾ききった砂粒が痛いほどに皮膚を叩く。 御陵院茜は氷帝女子テニス部のジャージを来て、石灰で四角くラインの引かれたグラウンドのど真ん中に立っていた。 手にはグローブと白地に赤い縫い目のボール。 誰が見ても言い訳のしようも無く完璧に、野球のグローブと野球のボールだ。 茜の被った野球帽からは艶やかな絹糸のごとき美しい髪が風に舞い、キラキラと光を反射させていた。ついでにスカートもばっさばっさ舞っており、雪のごとく白く美しい滑らかな皮膚を持つ健康的に引き締まった脚が全開で晒されていた。 茜が睨む先には小奇麗な精悍で偉そうで美形な少年がいる。 その彼――跡部 景吾――は野球のバットを構えていた。 B a s e b a l l その日、青学で練習試合を終えた帰り道、下ろした髪を風に弄らせている茜は暗がりの中でも人目を引くほど綺麗だった。歩き方からも上流階級という言葉が聞こえてきそうで、氷帝の短いスカートから伸びた美しい脚がスッスッと動き、手は空を優雅に泳いでいる。が、 「やっべー……あれ絶対怖いって!」←向日 「御陵院先輩すっごい機嫌悪くないですか?」←鳳 「だな。激ダサだぜ」←宍戸 「……なんで、でしょう……」←樺地 「姫さんは気分屋やからな」←忍足 「やるねー。平部員が誰も一言も喋らなくなっちゃったよ」←滝 「茜ちゃん、今日はムースポッキーくれなかったC!」←芥川 「……どうでもいいです」←日吉 茜の背後から不機嫌オーラ、ダダ漏れ。 晴天だった天気予報が外れていることはこの真暗き世界が証明していた。時刻は夕方であるのに、空には黒い黒い雲が厚く厚く重く重くたれこめている。 「日吉! 茜が暴れたら押さえろよ!」 向日がぼそっと日吉の耳に吹き込む。日吉は嫌そうな顔になった。 氷帝までの道のりが異様に長く感じられ、氷帝テニス部員はまるで葬列のようにもくもくと歩く。 「暗い。」 帝王跡部がひどく不愉快そうに発言した。 茜が目を尖らせて、視線で彼を射る。 「うざってぇな。そんなに機嫌悪いんだったらどっかいけよ、テメェ」 帝王跡部の背後で平部員が振るえ、青ざめている。レギュラー陣も冷や汗たらりと言った感じだ。 不機嫌な茜の機嫌をとろうとせずにこんな言葉を発せられるのは跡部だけだ。茜は剣呑な視線で、苛々した調子で、言った。 「私の応援していた高校が負けたのよ! 不機嫌にもなるに決まっているでしょう!」 決まってるんだ……、とは誰も言わなかった。 「ハァ? 高校? テニスか?」 「この時期に高校と言ったら甲子園よ! 野球に決まっているでしょう!」 決まってるんだ……、とは誰も言わなかった。 というか、あまりに他愛無い理由にテニス部員はある意味安堵さえ覚えた。が。 「アーン? 野球なんて日本とステイツでしかやってねえマイナー競技だろうが」 その日、テニス部員は道路上で現地解散を余儀なくされた。 ◇◆◇ 問題は翌日だった。 木更津淳、柳沢慎也、不二裕太、金田一郎、野村拓也、観月はじめ、赤澤吉朗……つまるところ聖ルドルフの男子テニス部員をつれて茜が氷帝男子テニス部レギュラー部室にやってきた。 茜の背後の聖ルドレギュ陣は急に連れて来られた為すごい嫌そうな顔をしていたが、部室内の奥の部屋で着替えていた半裸の氷帝レギュ陣も、ドアを開けて外の様子に気付くとすごい嫌そうな顔をしていた。 唯一着替えを終えて泰然と長机の奥の椅子に腰掛けていた跡部がゆっくりと立ち上がる。茜と跡部の視線が交わった。 「Vous etes prets?」 茜が聞く。 「Fin prets」 跡部は頷いた。 茜の背後で「何語だーね?」(柳沢)「フランス語っぽいよね」(木更津)「どういう意味なんですか?」(不二)「準備が出来ているか御陵院さんが聞いて跡部君が万端だと答えたんですよ」(観月)「どこから見ても準備万端じゃないだろう……着替えてるし」(赤澤)「ていうかなんでフランス語なんですか?」(金田)「御陵院さんの母国語なんじゃないの?」(木更津)とぼそぼそ会話している聖ルド陣。 「母国語だったら“Sind Sie bereit? ”と聞くわ。私達はお互いに他国語を相手がどこまで理解しているのかを図るために使っているのよ」 この台詞を聞いた氷帝レギュ陣は、全員(そうだったのか……ていうかそれ今思いついただろ)と心中で漏らした。 皆、二人が気まぐれで適当に他国語を使っているのだと思っている。 (筆者注:筆者は他国語にはとんと弱く、独学で書いていますので変な部分があるかと思いますが、それはヒロインや跡部が間違っているわけではないのであしからず) 「でも、やっぱりドイツ語だと私が有利なのよ。ドイツ語のich liebe dichがik liebe dikになるとか、米語のピッツバーグ弁であるYunzやy’allくらい有名な訛りならアメリカ映画で出てくるから跡部でも解るかもしれないけれど……何にせよ日本語だって完璧に使いこなせない跡部が私ほどドイツ語が理解できているとは思えないわ」 茜の視点のおかしい長広舌に慣れている跡部は、少々苛々としながらも、鼻で笑う。 「てめえ、“きらい”の使い方間違えて覚えてただろうが。アーン? 俺が指摘しなかったら肯定的な意味にも“〜のきらいがある……”って言い続けてたんじゃねぇのか? 日本語わかってねぇのはてめぇだろ。ああ、忍足の大阪弁も最初は聞き取れなかったよなぁ? 俺はロンドン訛りやウィーン訛り、英語ならシングリッシュ、マングリッシュ、どんな訛りだって完璧に対応済―― 「じゃあじゃあ、俺は跡弁(あとべん)! “アーン? ” “俺様が王様だ! ” “ファーハッハッハッハ! ” “メス猫! ” “勝つのは俺様だ! ” “甘い甘い” ――超似てるっしょ!」 ――ジロー……てめぇ……」 部室内の全員が抱腹絶倒しそうな勢いの芥川の物まねに、笑いを堪えた。腹筋が痛くなった忍足と涙が滲んできた向日は呼吸も困難な状況だ。 茜と跡部の強制的に提供したギスギスとした雰囲気が消えてなくなる。 聖ルドルフ陣も、呆気にとられているようだ。一部、不二や柳沢辺りは芥川の物真似に噴出してさえいる。 「芥川、今の物真似、とても素敵だったわよ。今後はもっとやりなさい。命令よ、いいわね?」 こぉ、慈母の微笑を浮かべながら、ボタンをかけたままシャツを頭からかぶってしまった所為で頭が襟から出ずにじたばたしている芥川のシャツのボタンを外してやっている茜は、口さえ開かなければ優しい母親になれそうだと誰もが思ったことだろう。 しかし、開いた口は悪ガキかガキ大将かジャイアンのものだったが。 「ぷはっ! ありがとー。で茜ちゃん。今日は聖ルドと練習試合すんの? 女テニは?」 やっとのことでポロシャツから頭を出した芥川が、今度はもぞもぞとシャツの袖に腕を通しながら不思議そうに茜に問う。 「あら、今日は、最初の一時間 “野球” をするのよ」 何でもない事のように茜は腕を組み、少し顎を上げて尊大そうに応えた。 間。 「「「「「「「「「「「「「「 野 球 っ ?! 」」」」」」」」」」」」」」 跡部と茜以外、全員の顔に(そんな事聞いてねぇよ!)とゆーよーな表情が浮かんでいた。 実際、跡部と茜以外のメンバーは全員、野球の野の字の里偏すらも聞いていなかった。氷帝陣は本当に何もかも練習試合のことすらも聞いていなかった。 「みんな長ジャージ着用を忘れないでね。スライディングの時とか危ないでしょう? それから、グラウンドの使用許可は一時間だけだからさっさと着替えてちょうだい。良いわね」 まるで言う事を聞かない生徒に言い聞かせるかのような、それが当たり前の事のような茜のセリフ。続いた跡部の言葉もそれはもう常人には理解不能なくらい偉そうだった。 ちなみに聖ルドルフ陣は本日練習試合と聞かされていたりしたのだ。 「おら、そこの突っ立ってる聖ルドルフの連中もさっさと着替えやがれ」 呆然としていた観月が慌てながら訴えた。 「そんな話聞いていませんよ!」 その訴えにさも当然そうに跡部と茜はハモりながら答える。 「言ってないからな、当たり前だろうが」 「言っていないもの、当たり前でしょう」 跡部節と茜節は、時折こうやって完全に一致する。 氷帝レギュラー陣はいやいやながら、こうなったら従うしかないと長ジャージの着用を始めた。 逆らうのも面倒だし、逆らえば面倒だし、唯々諾々と命令を受け入れてさっさと台風をやり過ごそうとする氷帝陣。 「さあ、観月達も着替えなさい。勝ったら、いつでも氷帝とのテニスの練習試合を受けるようにさせるわ。悪い戦利品ではないでしょう? 跡部も、それでよかったわよね?」 「ああ」 氷帝部員達は(だから聞いてねーよ!)と心の中だけで叫んだ。 それを本当に口に出しても跡部も茜も、絶対に自分の主張を引っ込めたりしないと知っているので、心の中だけでだ。向日は小さく愚痴っていたが。 今回は跡部と茜が結託しているのだから、反論のしようもなかった。 聖ルドルフ<後攻> 1、木更津(センター) 2、柳沢(サード) 3、野村(ファースト) 4、御陵院(ピッチャー) 5、観月(セカンド) 6、不二(ショート) 7、金田(ライト) 8、赤澤(キャッチャー) 9、いません(レフト) 氷帝<先攻> 1、宍戸(ピッチャー) 2、樺地(キャッチャー) 3、向日(セカンド)44、跡部(ショート) 5、忍足(ファースト) 6、日吉(サード) 7、鳳(ライト) 8、芥川(センター) 9、滝(レフト) 本格的野球経験者 ゼロ お遊び的野球経験者 木更津、柳沢、不二、赤澤、宍戸、向日、忍足、芥川 全体的にかなり低レベルだ。 「観月っ男でしょう! コンソレーションでの悔しさをもう一度跡部にぶつけなさい! 相手は野球をプレイした事がないのよ!」 メガホンを片手に女テニジャージを来た茜が聖ルドルフと氷帝の二年を応援していた。しかし、応援の音頭は「ドンドンドドドン四天宝寺!」になっており、もう意味がわからない。 男子テニス部レギュラーが他校のテニス部と野球をしている中に女テニ部長がいるという不思議空間が氷帝の広いグラウンドに出現した。他の部活の部員たちや一般生徒もちらほらを視線を向け……あるいは堂々と見学している。 ちなみに、野球などやったことがないのは観月も同じである。 「どらぁ! トルネード投法!」 と言いつつ宍戸がボールを投げ「六角のみんなで、結構やった事あるんだよね」とクスと笑みを浮かべた木更津が見事にヒットさせた。鳳がボールを何とかキャッチしようとして、目測を誤ってしまい、芥川がそれを拾って二塁に投げる。しかし、二塁の向日がボールをキャッチした時にすでに木更津はベースを踏んでいた。 現在試合開始直後である為0−0だが、グラウンド使用可能時間から考えてそう長くも試合などしていられない。 「かっとばせール・ド・ル・フ! ベースボールを馬鹿にしたあほべに天誅を下すのよ!」 なんともまあ茜の呆れるくらい偉そうなことである。しかしそれもいつもの事であり、聖ルドルフ陣もコンソレーション時に高笑いで跡部を応援――実際は罵倒としても違和感は無いけれど――していた美少女の振舞いっぷりは知っていた。むしろ赤澤は公式試合で茜や跡部を少なからず知っていた。今日は騙されたように強引に氷帝に連れてこられたのだが、逆らえなかったらしい。 木更津はそんな茜に苦笑しつつ、次打者の柳沢に目配せをした。さすがダブルスでやっているだけあるらしく、柳沢は心得たように目配せを返した。 「どらぁっ! 俺は早くテニスがしたいんだよ!」 心の叫びを口に出しつつ宍戸がボールを投げようとした途端にかなりベースから離れた位置にいた木更津は走り、三塁を踏み、柳沢がからくもバントして走り出すと同時くらいに木更津はホームベースを踏んだ。 「ルドルフいってーんっ!」 きゃっきゃとはしゃぐ茜は、それだけ見れば可愛らしい女の子の、愛らしい様子ではある。駆け出して木更津に抱擁する様などとても微笑ましい。性格はアレだが。木更津も苦笑している。 樺地はボールを受け取ると一塁の忍足に投げたが、柳沢はセーフだった。 その後は宍戸が何とか野村を押さえた、が。 「四番は私でしょう!」 観月の戦略など無視した茜がバットをぶんぶんと振り回して打席に立った。 宍戸は疲れたように溜息を吐いてからぐっとボールを握りなおす。 「喰らえ! 消える魔球だぜ!」 適当な事を言いながら、ストレートを、それでも全力投球。 「っきゃあ?!」 初めての硬球に、茜がまるで普通の女の子のように悲鳴っぽいものをあげて身を竦ませた。樺地のグローブの中のボールを見た茜は、数瞬ほうけていたが、いきなりにやりと笑った。中三女子の微笑みをニヤリで形容することはそう多くないだろう。 「……そう、こんな感じなのね。よーくわかったわ。次はホームランできるわね」 かぶっていた野球帽からこぼれる柔らかそうな髪を風になびかせながら、茜はバットを宍戸へ向けた――第二球、ファウル。 一球目で悲鳴を上げていたくせに、既に二球目ではしっかりとバットで球を捕らえているところはさすがとしか言いようがない。 しかし、本人はそれで満足できなかったらしくひどく不機嫌そうに忍足をねめつけた。 「何で俺が睨まれんとあかんねん……」 けれど、そんな忍足の呟きすら聞かずに、すぐに気を取り直した茜はバッターボックスで構え、宍戸は溜息をつき再び「甘い甘い」と跡部の物真似をしながら、今度は親指と中指をボールの縫い目にかけ、テニス部員とは思えない綺麗なカーブを投げた。 茜はぐっとバットを握り、ボールをよく見て、手にしたそれを振りぬいた。そして。 短い打撃音の後、ボールは空高く飛んだのでした。 「ホームラン!」 今日はいつもよりも大分テンションの高い茜がきゃあきゃあはしゃぎながらベースを踏んでいき、最後に柳沢に続いてホームベースを踏んだ。そしていきなりキャッチャーの樺地に抱きつくと「やったわ! ホームランよ!」と勝利の歓声をあげたのだった。 周りのリリーガードを始めとする生徒達も大きな歓声を上げる。 結局一回表は三点、ルドルフに入った。 そして一回裏。 「ピッチャー、御陵院」 などと言いながら茜が楽しそうにマウンドに立つ。 後から聞くと、茜は初めて憧れの野球をしたらしく、そのためにひどく興奮していたようだった。 「行くわよ! 宍戸!」 先走った茜はバッターボックスの宍戸が構え終わる前にボールを投げる。 それがかなり大事な部分に当たりそうになる大暴投で、一瞬その場が静まり返った。 間近でそれを見たキャッチャーの赤澤は目を瞠り、観月は憐れっぽく首を振り、柳沢はぽかんとし、不二は青ざめ、野村が“うわぁ”とも“うへぇ”ともつかぬ声を出し、木更津は苦笑し、金田は引きつり、跡部は笑い、向日も笑い、芥川も笑い、忍足は気の毒そうにし、鳳は「宍戸さぁん!」と叫び、日吉は溜息をつき、滝は苦笑した。 寸前でボールを避けた宍戸は青い顔をして脂汗を浮かべている。おそらく冷や汗とセットで。 「あら……少し失敗したわね……」 一瞬、それが当てるつもりであったのかと思わせるような口調だった。 残念そうにしている茜に赤澤がキャッチしたボールを茜に放り「気をつけてやったほうがいいんじゃないか?」と苦笑気味に言うと、茜は「そうね」と思ってもいなさそうに頷いた。 「けれど、デッドボールなら塁に出られるから儲けものでしょう?」 固まっている宍戸に声をかけた茜は心底そう思っているらしい。 「その前にリタイアだろうが!!」 確かに切ない部分に硬球が当たったら大惨事ではある。一分以上はうずくまる必要があるだろう。下手をすると、もしかしたら、今後の彼の将来設計に影響があるかもしれない。 大体、塁に出るならデッドボールよりもヒットで出たいものだ。 「なぜかしら?」 けれど、そんな事はどうでもいいらしい茜があっけらかんとさえした返答を返す。 誰一人説明を返す気力がなく、また、女子生徒が見学している現状では説明したくもなかった。 二回目の投球はかなりまともだった。 茜は飲み込みが早く、綺麗なフォームで綺麗で素直すぎる少し速めのストレートを投げ――宍戸は先ほどの恨みを晴らすかのような素敵なスウィングで一気に二塁まで出たのだった。 悔しそうに顔をゆがめながらも茜は投球を続け、樺地が一塁、宍戸が三塁、向日はフライでアウト、という状況で、跡部の出番となった。 宍戸の速力を知っている茜は何度か牽制球を投げながらタイミングを計っていた。 そうしながらも、茜が睨む先にはバットを手にした小奇麗な精悍で偉そうで美形な少年がいる。 「行くわよ!」 茜の声がグラウンドに響いた。 思いっきり、全身全霊をこめて、ボールを投げ、そして―― 跡部は可哀想なくらい思いっきり空振りフルスイングをした。 グラウンドが笑いで包まれる。 しかし、跡部はそんな嘲笑―― 一部「跡部様可愛いー!」という感じの声もあったが――も歯牙にかけずにニヒルに笑うと、軽い感じの溜息を一つ吐いた。 「ま、大体どんなもんかわかったな。次、来いよ」 「跡部の癖に生意気よ!」 ジャイアニズムの極致といえる言葉を吐き、茜のボールは今迄で最高の速度を見せて赤澤のグローブ目がけて放たれた。 ストレートのそれは――跡部のバットに導かれ空へと飛び立った。 「三対三だな。コレで」 ハッ、と跡部様は鼻で笑った後、お決まりの帝王笑いをしたのでした。芥川も背後で“ファーハッハッハッハ! ”と真似しつつ。実は向日も真似しつつ。 優雅な足取りでゆっくりとホームベースを踏む跡部に、王政クラブ他、女子生徒の黄色い声と男子生徒の賞賛の声と、茜の剣呑な視線が浴びせられたのだった。 茜は愛らしい歯を噛み締めた。 ◇◆◇ 今にも跡部に掴みかからんばかりの茜を、赤澤が妹の面倒でも見るように後ろから羽交い絞めていた。不二、木更津、金田、柳沢、野村あたりは、まあ、野球も悪くはないな位の気分になっているが、観月も、今にも跡部に噛みつかんばかりの視線だった。 「仕方ないだろ。俺たちは負けたんだからよ。いい試合だっただろ。戦利品のいつでも練習試合オーケーがなくなったのは惜しいけどな」 苦笑しつつ赤澤が茜を宥める。ある意味、黒くて体格の良い赤澤が超絶美少女茜を抑えているのは誘拐的なシーンっぽくみえた。赤澤、さすが聖ルドルフの個性的なメンバーの頂点に立っているだけあって面倒見が良いらしい。 ここで、それを見ていた後ろの声「部長って御陵院さんと知り合いなんですか?」(不二)「試合会場でたまに会う位だって言ってたけどね」(木更津)「役得だ〜ね」(柳沢)「そういえば部長って地味にもてますよね」(金田)「ええっ部長が?!」(野村)「うるさいですよ……!」(観月)をお送りしました。 跡部はにやにやと勝ち誇って笑っていたがふと校舎に据え付けられている時計を見上げた。 「おい、これから練習試合だろうが。時間がなくなる前に試合するぞ」 茜はその言葉にしぶしぶ……というかいやいや従うそぶりを見せ、赤澤は手を放した。 しかし、コートへ向う茜は、またしても「打倒跡部!」と言いながら聖ルドルフ陣を勇ましく案内している。 コートへ足を踏み込めば、女テニレギュラー陣と男女準レギュラー陣、聖ルドルフ女子レギュラー陣が練習している様子が目に入る。 先ほどまで茜と跡部の我儘で野球をさせられていたレギュ陣が自分のラケットを手にし始める。 「ま、野球も悪かなかったけど」 そうして、しっかりと握ったグリップの手に吸い付くような感触に赤澤が言う。 「ええ、やはりテニスが好きなんですね。僕らは」 と観月が少し微笑みながら応じた。 かごの中からいくつかボールを手にした忍足も「そやな」と笑って頷き、不二にボールを放り投げる。 ボールをキャッチした不二もその感触に、やっとテニスができるというような嬉しそうな顔になり、芥川が「今日は俺とやろうぜ! やっぱテニスが一番っしょ!」とにこにこしながら不二の背を叩いた。 「だよなー。なあ、試合の組み合わせどうすんだ?」 ラケットをくるくる回しながらルドルフレギュ陣と氷帝レギュ陣に向日が楽しそうに尋ねる。 皆が自分のテニスが好きだという気持ちを再確認して何だかほのぼのとした空気の最中―― 「野球を馬鹿にしたくせに、かなり本気でプレイしていたのじゃなくて?」 と茜が跡部を嘲るように笑ったり 「ハッ 負け惜しみかよ。本気の俺に負けた方が、まだ言い訳のしようがあるだろ?」 と跡部が茜を馬鹿にするように笑ったりしていた。二人の周りだけ空気が”間違って”いる。 そうしながらも「観月と忍足、最初に試合しろ、シングルスだ! 向日と日吉は赤澤と金田とやれ! ――野球なんてもう二度としないからな」「そこ! きちんと身体をひねらないと! ボールあがっちゃっているわよ! ――勝ち逃げなんて許すわけがないでしょう」「一通り試合し終わったらフリーでやらせてやる! ジローと樺地は柳沢と木更津だ――ハッ! てめーに許される必要はねぇよ」「あなたは右足を先に出すようにしなさいって言ったでしょう! ――あら、私との再戦を怯えているのかしら?」等と部員への指示を忘れない辺りさすがと言う他ない。 「氷帝って大変だーね」 騒々しいコートを見ていた柳沢の惚けたような言葉に、氷帝男女テニス部員は頷くに頷けずに曖昧に笑った。 |