「俺が一番困ったのは、麺の啜り方を聞かれたときですね」 「ああ、欧米人はそもそも啜れないらしいね」 「唇の力で飲み物をストローで吸い上げるようにして一口分の麺をすすってから咀嚼するように言ったんですけど、未だにできていません」 「完璧主義だから、きっと家で麺を啜ってるだろうね」 「でしょうね」 「……あれ? 宍戸からだ」 「――俺もです」 「ふーん見つかったんだ。えーっとGPSはどこに入ってるのかな」 「さあ……こういった細々したものは苦手なので」 「あー、うん、何とかなりそう。で、設定を宍戸にして……衛星って便利だね、感心するよ」 「相手の居場所を把握する必要があるとは思えませんけど」 「浮気防止とか、子供の安全の為とか、アリバイ作りとか? ……じゃあ、これを飲んだら行こうか」 ◇◆◇ 宍戸と鳳は、ずるずると連行されている芥川と茜をものすごく遠めで見守りつつ――有事のために廊下が長くなっているだけなのだが――とりあえず、メンバー全員に茜発見の報を入れた。向日のみ即座に返信があり、忍足と共にいるのでとりあえず向かうことが明記されていた。 そして、頭の中でねずみ小僧を意識しながら、まるでコントのようにそうっとそうっと二人は警備隊に連れられている茜と芥川を追った。廊下には等間隔で柱が並んでいたのでその影に隠れながらこっそり進んでいく。 鳳が妙にビビっていたが宍戸としてはビビって縮こまっていてくれたほうが安心できた。いろんな意味で鳳は何をするかわからないと言うことを先ほどの乱闘で学んだので。 とりあえずは、近場の給湯室っぽいところに茜と芥川は案内された。 茜が足を洗いたいから早く早く! と図々しい要望を、しんしんと降り積む雪のような声音と、生まれたての仔鹿よりも頼りなげな仕草と、ふくらみかけた薔薇の蕾のような清廉さで訴えたので、取り急ぎ近場で、となった。茜的にはただ単に連行される前に思考する場所が欲しかっただけである。 そして、そこで、優雅にアフタヌーンティーを嗜んでいる滝と日吉と、警備隊にがっちり固められていた茜と芥川が運命の出会いを果たした。ちなみにその後ろにはいつの間にか宍戸と鳳だけではなく、向日と忍足もいた。ここでおおよそのメンバーは揃った。 さすが衛星。 宇宙から見れば人間など塵芥のごとく、吹かれなくとも飛ぶようなもので、出会いもまたすぐなのである。跡部の迷子っぷりは全員予想もしていなかったが。 しかし、問題はここからだ。 滝は軽く茜に手を振った。その滝の日常っぽすぎて日常から乖離している様子を眺めながら、茜は物凄い勢いで脳みそをフル回転させ、現状を打破する最上の策を一瞬で練り上げ始めた。キューピー三分クッキングのBGMがどこからともなく流れる。ちなみに筆者の妹は“長ネギはキューピー(人形)ちゃんの味がする”と訳のわからない主張をしていた。 滝も滝で、このまま茜のほうに行っても警備隊に邪魔されるだろうな、と少しは現状のことを考えていた。このゲームは茜をこの国から出せば、滝らの勝ちなのである。某ホラーゲーム的に書くならば 終了条件:「御陵院=Damrosh・茜」の「XXXXXX国」からの脱出 キャッチコピーは、【どうあがいても、絶望】(色んな意味で) 足湯を所望した茜であるが、水の重要なXXXXXX国ではものすごい勢いで我がままでセレブな要求だった。それを知っていての要求でもあった。湯がすぐに用意できる場所などさすがの王宮本殿でも限られる。 小ぶりのたらいに張られた湯に、スカートの裾をそっと押さえながら、ほんのりと血潮の朱が透き通った白くなめらかな足首を浸す茜は、芸術家がいればすぐさまスケッチに入り“足を暖める少女”というそのままの題で素晴らしい絵を描いただろう。が、芥川も滝も日吉も慣れていたのでどうでもよかった。芥川は残念なことに普通に滝らに話しかけようとしたので、茜がさりげなく全身で“今はやめろ”押さえつけていた。仲間だとバレたら、自由に動ける駒が減ってしまう。これは茜が自由に動かせる駒という意味であった。 少し湯が冷えたところで、茜はXXXXXX国の言葉で『ありがとうございます……』と言い、そっと足を引いた――瞬間、よくあるパンを齧りながら遅刻遅刻ぅ〜なドジッ子☆のようにどばたーんと倒れこみ、頭からずぶ濡れになった。 『いたぁい……す、すみません、こぼしてしまって……』 絶世の美少女という容姿をフル活用した茜は、菫の花弁にとどまる朝露よりも透明な雫を目尻に浮かべ、熟す直前の色づいたさくらんぼのような唇をうっすらと開き、秋の晴れ間のような薄い栗色の髪をこぼれた水の玉で飾り立て、濡れた虹彩の中に夜空の星を封じ込めたような眸を、悲しげに潤ませた。ごく上等なクリームのような白い肌の上を、とろりと水の珠が愛撫してゆく。 被害者――警備隊の皆さん、給湯室内のメイドさん、芥川慈郎、滝萩之介、日吉若。 少し離れた場所で給湯室内の様子を伺っていた他メンバーは無事に、本気で陥落させにかかった茜のしどけない姿を見ずにすんだ。 ちなみに被害者の中で、もっとも先に自失から脱した滝は近場の、これからたたまれるところだったタオルの山を引っつかんで、これがチャンスなのだと茜の身体を拭き始める――と、同時に茜が滝に聞こえるギリギリの声で「携帯」とだけ言った。服と共に兄に没収されていたのである。愛猫の写真が記録媒体にたっぷり入っていたので、携帯の無事を茜は祈り続けていた。 なるべく自然な、茜を拭いている動作に見えるように滝は自身の携帯電話を茜に手渡した。とりあえず、これでいつでも茜の位置はわかるし連絡も取れる。ちなみに、芥川は、兄のお下がりのツンデレを通り越したツンバカ携帯を使用している。大家族は大変だ。 そして滝に拭かれ、メイドに服を乾かしてもらった茜と、茜の仲間とされている芥川は無事に、兄の元へ連れて行かれたのでした。どっとはらい。 ◆◇◆ 宍戸の目に燃える炎を見出した向日と日吉のダブルスツーがげんなりしている時、忍足は跡部と普通に携帯電話で普通に会話していた。場所は王宮の本殿から外殿に繋がる通路をダッシュで通過した、すぐの階段の踊り場。 「もう、場所ついたん?」 『ったりめぇだろ』 「誰が残る?」 『残りたいやつが残れ』 それだけの会話だった。忍足はそのまま伝えたので、D2ペアは声をそろえてそろそろ帰る、と言った。さすがに飽きた上に疲れたらしい。本物の拳銃も何丁も見ていれば、ゲシュタルト崩壊してきた。ああ、拳銃ね、拳銃、というレベルに向日の中でなっていたし、日吉は正直飽きた。ここまで膳立てすればあとは残りのメンバーでどうにでもなるだろう。というか、茜を見つけるまでが、まず第一関門だった。それさえ過ぎれば第二関門力押しだ。 と、言うことを向日吉(纏めた)が言うと、宍戸が「そこに直れオラァ!」と二人に説教し始めた。宍戸はいかに結婚とは尊いものか、純潔とは替え難いものか、愛とは素晴らしいものか――を、ものすごく適当に誰にも理解できないくらいざっくり説明して、仲間を見捨ててはならないということだけは熱心に言い聞かせた。向日は寝た。日吉は校長の話並みに聞き流していた。鳳は宍戸の博愛精神にちょっと感動した。とりあえず、向日吉は残留決定。 芥川と樺地と茜と絆のいる部屋の観察を宍戸と日吉に任せ、他メンバーと共に移動しながら警備用のカメラに滝は微笑んで見せた。それから、今のところ見つけてきた全ての警備用カメラと同じように粘着力が強すぎてはがすのが一苦労なテープをべったりとレンズに貼り付けた。いわゆる子供のいたずらである。 そんな滝のこまやかな気配りにも気づかず 「鳳は残しておいたら壁になったんじゃないですか?」 「アイツ、喧嘩するとすげーんだよ」 などと、日吉は気が抜けすぎた、宍戸は気合が入りすぎた、そんな会話をしていた。しばらくすると、警備隊にがっちり囲まれた芥川と樺地と茜が出てきたので、日吉はだるだると、宍戸はきりきりと見張っていた。 とある一室に茜は運ばれたが、計算違いに樺地と芥川は警備隊につれられて別の場所へと誘われていく。 「芥川さんの場所、下手したらわからなくなりますよ?」 「あー大丈夫。跡部がジローの服にマイクロチップ縫い付けてんだと」 「……過保護にも、程があります」 「ま、樺地がいるし滅多なこたーないだろ。じゃ若、行くぞ」 ◆◇◆ 真打ちは遅れてくるもんなんだろ? と、跡部は言った。 誰が真打ちなんだか。 と、茜は言った。 ◆◇◆ ここで話が少し前後する。 ノックの音に、絆が立ち上がってドアを開けた。 絆は自分の顎の付け根から耳の下を正確に狙った底掌の打ち上げを、身体をマトリックス的に仰け反らせ――これの軽いものをスウェーと格闘技では言います。足を移動させて後ろに下がりながら避ける場合はバックステップ。使いすぎると審判にアグレッシブファイト! と言われるので注意――て、避けた。その瞬間にドアは強引に押し開かれ、まろぶように室内に飛び込んだ宍戸は茜の手を引っつかんで、走った。メロスになった気持ちで走った。茜を引きずるつもりで走った。だが残念ながら、普通の女子とは比べるべくも無い体力の持ち主だった茜は、マラソン程度にしか息を切らせなかったので、宍戸は地味に悔しかった。 茜と宍戸は階下へ走ったが、わらわらとあふれでるバイオハザードのゾンビ並の警備隊に、やむなく階段を駆け上がるしかなかった。 まあ、どっちにしろ。 追われて追われて、なんとか逃げ出した屋上で、さすがに茜も宍戸も肩で息をしながら、床に倒れこんだ。心臓が暴力的に唸っていた。車のエンジンのアイドリングというやつを宍戸は思い出す。どっどっどっど。汗が目に染みて痛い、と宍戸は思った。 ちなみに、テレポートダッシュについてきたドレス姿の茜は、頭の中で脱ぎたいと邪魔をエンドレスでリフレインしていた。 「お疲れさん、日吉は?」 「知らね。勝てないかもしれないから絶対立ち止まるなってさ」 屋上でゼーハーやっている宍戸と茜を立ったまま見下ろしつつ、屋上へと続く両開きの扉に金属製の靴べらを刺して簡単な閂にすると、先客の忍足は「ま、姫さんに怪我がなくてよかったわ」とけろりと笑った。現在午後三時。太陽が若干月に押され始める時間帯に片足を突っ込んでいた。 息を整え終えた茜は「早く日本に帰って葛きりが食べたいのよ、私は……」と、なんだか呪いのように吐き出していた。 そんな茜に「それくらい俺が奢ったる。無事に帰れたらの話やけど」と、忍足は欠伸交じりに空を見上げて言い、茜は「無事で帰れない可能性など存在しないわ」と切って捨てた。そんな返事にも忍足は軽く肩を竦めたのみだ。 「とりあえず、岳人と滝と鳳には上に来たって連絡しておくわ。宍戸もお疲れさん」 携帯電話をいじっている忍足に、宍戸は帽子でバタバタと風を発生させながら問う。 「んで、どーすんだ?」 「ジローの方は樺地がなんとかするやろ。日吉もまあ……むきにならんで逃げる方に集中したらいける……っと。まーこの程度やったらギリギリ兄妹喧嘩の範疇でおさまるしな。誰も大きな怪我してへんし……岳人の額、日吉が割ったけどな……まあ、誰か逃げられんでも、とりあえず姫さん逃がしたらあとは平謝りや。国際指名手配とかは、ならん」 携帯をいじっているために、忍足の口調は適当でおざなりだった。 そんな会話をしているうちにも、三人のいる場に続く扉はガンガンと砲撃でも受けているような大きな音を立てて歪み、軋んでいく。ディズニー映画の美女と野獣のワンシーンのように、攻撃的な歌を歌いながら丸太ででも扉を突いているのだろうか。茜と宍戸の顔色が、少し悪くなる。 それを見た忍足は、とりあえず……と言いながら、二人に落下傘を背負わせた。何かあったら飛び降りろとキャビンアテンダントのように使い方をテキパキと指示する。そして、風もあるし出来れば飛び降りないですむのが一番だとも付け加えた。ドレスと普段着に落下傘。なんともミスマッチこの上ないが今回は仕方がないと二人は渋々受け入れた。 「もともと、ルートは二つやねん。あとここにあんのは催涙スプレーくらいやな」 などと、忍足が一人で余裕ぶっていたが、忍足が余裕なのならば理由があるのだろうと茜は納得し、風の吹き具合と建物の配置からどこから落ちてどこで傘を広げれば一番良い場所に付くのかを計算し始め―― 最初は衝撃的な、爆発にも近いドンと言う音だった。 次いで、中が空洞になった金属同士を思いっきりたたきつけた時のような、キンとした高い音が超音波のように響く。 背景に超絶美形と背負った御陵院=Damrosh・弥永・Hildebrandt=絆が、粉塵の舞う屋上に優雅で気障な所作で足を踏み入れた。 忍足は“あちゃー、日吉のヘルプが必要か……”と顔を顰め、宍戸は仇敵に会ったかのように睨みつけ、茜は口を三角形の形に半開きにして鼻を歪めていかにも不満げな顔を作った。さすがにそんな美少女らしからぬヤンキーのような表情をする茜に絆は「女の子がそんな顔をするモノじゃないヨ」と言った。が、茜は眉間の皺を深くしただけだった。 「それに、友達まで巻き込んだりしてイケナイコだ。キミのような傷物は、もう誰も娶……「はぁ? 傷物? 娶る? バッカじゃないのかしら! バッカじゃないのかしら!!」 兄の血縁どころか同じ人間とも思えない非道な台詞を聞き、興奮のあまり繰り返したらしい茜の言葉は、とても幼稚な響きと幼稚な怒気とが力技で混ぜ合わされていた。 「一発犯られたくらいで私の価値は毛ほども下がらないわ! そもそもこっちはギリギリで回避しているわよ! もし、回避できなかろうが! ゲテモノに犯されようが、酔っ払った実父に母親と間違ってディープキスかまされようが、そのあと半泣きで謝った実父の金的に蹴りくれて病院送りにしようが、私の価値は、下がらないわ! 私の価値は! そんな表面的なところにはないわ! 私にはひとひらも傷など存在しないわ!」 言い切った。 忍足は思った。茜はすごい。色んな意味で。某元タークスの赤い人なんかは“私の罪”とか言っていたし、伊集院光いわく中二病によくある“私は穢れているの”とか言うある意味図々しい思考は、茜にはないらしい。 しかし、穢れていると思うのも、穢れていないと思うのも、どちらも驚くほど図々しい。その意味で恐ろしく図々しい茜は、けれどその総てを“美形”の美点でねじ伏せていた。 「火事で黒こげになったって拷問されてすぐに仲間を売ったって、私の価値はひとかけらも下がらないわ!」 宍戸がそうだ! と茜の言葉に何度も頷いたが、忍足は、さすがにそこまで言ったら価値は下がるんじゃ……と心の中でこっそり思っていた。こっそり。言わないけど。 「私の価値は私が決めるのよ! お兄様にもデブにも、決めさせないわ。だから、覚悟しなさい。覚悟しなさい!」 怒鳴ってます。そして、ものすごいナルシスト発言が出ました。 「覚悟? 兄のいう事を聞かない悪い雌がよく言ったものだネ。茜、お前こそ覚悟が必要だ。俺と、デブと、敵に回した覚悟はできているんだろう?」 どうでもいいが、この兄妹、王子をデブ呼ばわりである。実際、デブという単語では可愛すぎて欠片も本質を示せないほどのデブだが。 「ええ、ええ! お兄様、世界を巻き込んで兄妹喧嘩をして差し上げますわ!」 茜、マジ切れ。 「 地 球 割 っ て や る !」 なんてシャープ・アンド・ストロング。もしくは、きったぞきたぞ茜ちゃん。 戦争はきっとこういう発端なんだと、忍足はぼんやりした頭で思った。ちげぇよ。いやちがくもないが。アベルとカインとかも思い出した。あれは兄が弟を殺したんだったか。 さて、現状を思い出そう。ここはXXXXXX国の王宮の両端にある棟の屋上兼ヘリポート。風の気持ちいい地上二〇〇メートル。六本木ヒルズよりは四〇メートルほど低いが、アメリカ人は空を削るもの(スカイスクレイパー)などとよく考えたものだ。 正直、この屋上の広さがあと十メートル四方小さければ、忍足はここには上がらなかっただろう。 さて勿論、ただ単純に逃げたわけでも、ただ単純に追い詰められたわけでもない。もともと大まかに二つのルートを考えていた。その証拠に、まるで雷のような轟音が絶え間なく空気を震わせていた。 聡明な忍足のするどい視線は、薄いガラスごしに――てめっ忍足地の文乗っ取るな――現在バックヤードで問題が発生しております。皆様にはご迷惑をおかけいたしますが何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます――神に干渉すn――……ピーガガガガガガガ……ブツッ―― |