きらきらダイアモンド

 若が観たいというホラー映画。
 私は観たくない。だって、ホラー映画は怖いから。怖いのは、苦手だから。
 でも、若が観たい。
 私がいなくても、若は観たいと思ったら一人で観に行っちゃうんだけど。でも、テニス部で忙しい若と、折角、一緒にいられるなら、一緒にいたいし。
 だけど、観たら、私、怖くて死んじゃうよ。解った! 若は私に死ねって言ってるんだ!
「お前、今、物凄く変な事考えてるだろ」
 殺人者め! と思って、じっ、と若の顔を見たら、若がなんだか疲れた感じで眉を寄せて言った。
「ん……ちょっと、被害妄想してみました」
 誤魔化すように笑ってみる。でも、若はやっぱり疲れた顔をした。
「無理に俺に付き合わなくていいって言ってるだろうが」
 若の溜息に、私も溜息。でも、ぐっと拳を作る。
「大丈夫。若の好きなものなら私も好きになってみせる」
「絶対に無理だ」
 即答された。即否定。
 うん、いや、私もそう思うけどね……。でも、折角、ふたりで過ごせるんだよ?

 お昼前に終わった学校。テスト期間も明日で最後。
 部活がないのは勉強をするためなんだけど、こういう時でもないと制服デートなんて出来ないから、結局、私が押し切った感じ。
 それに、若は勉強しなくても大丈夫でしょ。うん。
 私は微妙だけど、明日の国語は、今日の英語より出来るしね。
 通りすがりのお姉さんたちがくすっと微笑ましそうに笑うのには少し照れるけど、なんだか、わくわくする。
 平日に若と制服でデート――なんて、なんだか、顔がにやける。今までは制服で、なんて、公園とか駅前の本屋さんとか、その程度だったし。
 でも、この後でホラー映画なんだよね……。
 恋愛映画なんてわがままは言わないけど、アクション映画くらいにして欲しかった……若は、うるさいの、好きじゃないみたいだけど。
「百面相してるなよ。何か食うか?」
 三時限で授業(というかテスト)が終わって、そのまま街に出てしまったから、もちろんお昼ご飯は食べてない。昨日までは、テストが終わったら家に帰ってお昼ご飯食べてたんだけど。
「あ、うん、お弁当屋さんがいいな!」
 歩いている途中で、乾いたアスファルトを蹴って、くるっと若の正面に身体を移動させながら答える。若は、歩いてた足を止めて私を見た。冬になりかけの澄んだキレイな淡い青の空と、やっぱり淡い色の若の髪が素敵な統一感で、笑っちゃったりとか。
 お弁当屋さん、というのは本当はお惣菜やさんのこと。もともとは、私のママがオススメしてくれたお店なんだけど、バイキング形式で、好きなお惣菜を選べて、材料は全て無農薬の自然食品(らしい。ママいわく)。
 お店の奥のテーブルは少し狭いけど、あまりファーストフードが好きじゃない若が外で食事してくれる数少ない店。私のお小遣いはそう多くないので。
 今の時間なら、近くの大学の人たちもまだ来ていないだろうから、きっと空いているはず。
「食べ物のことになると元気だな」
 氷帝の指定鞄を担ぎなおした若が呆れた声を出してお店に向って歩き始める。
 今日はテニス部がないから若は、いつものラケットバッグは持ってなくて、それがなんだか、ちょっと寂しいような、ちょっとおもしろいような。
「美味しいものを美味しく食べられるって言うのは幸せなコトなんです」
 人差し指を立てた私に、若が「確かにな」と頷いた。
 その顔に、なんだか不思議な幸せ感が胸に湧いたりして。
「ねー若」
 若は答えずに視線だけを向けてくる。
「大好き」
 あ、なんでそこで溜息吐くかな。
 でも、耳が赤いから、きっと若は照れてるんだなって判断して、ちょっと睨むと、若は嘆息した。
「お前は唐突過ぎる」
 ……それは、そうかも。
 でも、こういう想いというのは自分では押えられなくて、勝手に“ああ、若が好きだなー”って感じてしまって。勝手に口が開いちゃうので……うん、自重しよう。好きって伝えるのは大事だけど、伝え方ってあるよね。急に言われたら若だって困るよね。
 ちょっと無神経だったかな……でも、言いたくなっちゃうんだよなぁ……なんて、落ち込んでいたら「凹むな」って言われた。
 なんで、私の考えてること、すぐにわかるんだろう、若って。
「――エスパー?」
 お惣菜やさんに向って歩いている途中、若は立ち止まって私のほっぺたを軽く摘んで、すぐに離して、また歩き出した。
 いきなりのことに、ちょっとびっくりしてる私に「香奈は顔に出る」って若は何でもないみたいに言った。
 それだけ、若が私を見てるんだよ、って心の中で笑ってしまった。

 ◆◇◆

 映画の途中、香奈は耳を塞いで目を瞑った。
 本当に馬鹿だ。
 だから無理に付き合う必要はないと言ったのに、と、そう思いながらも、本気で怯えている香奈を、多少なり可愛いと感じるのは俺にそういう気があるからだろうか。
 けれども、さすがに必死で目をつぶって涙を流して耳を塞いでいる様子を見ていると憐れというか、まあ、そんな感情も湧いて来る。
「先に出てろ」
 俺が唇を香奈の耳元に寄せると、香奈は耳を押えていた手を離したが、俺の言葉には首を横に振った。
「し、静かにしてるから」
 そういう問題じゃない。
 俺はこの映画を観たいし、勝手についてきた香奈にそれを邪魔をされるのもかなわない。
 だからといって、ここまで怯えさせているのには――どうするべきか。
 しばらくの逡巡。
「出よう」
 香奈の手を取り、立ち上がるように促す。
 そんな俺の行動を見た香奈が違う意味で泣きそうになっていた。
「わ、私出るから、若、観てて」
 すでに懇願に近い。
 先に出たがらなかったのは俺と一緒にいたいから。
 今、一人で出ようとしているのは俺に気を使っているから。
「もういい」
 にべもなくそう言い、手を掴んで、後ろに邪魔にならないよう気をつけて立ち上がる。
 香奈はべそをかきながら大人しく、俺に手を引かれていた。しかし、映画館を出たところで何度も謝罪してくるので、俺としてもどうしたものかと。
 正直、少しうざい。
「映画、観たかったのに、勝手に、ついてきて、邪魔して、ごめ……」
「気にしてない。でも、もう、俺の趣味に付き合わなくていい」
「ほんと、お金無駄にしちゃって、ごめん……」
「本当に馬鹿だよな。香奈って。どうでもいいから、早く泣きやめ」
 金のことなど問題ではないのに、恐縮する場所が間違っている。
 確かに、今日の俺の映画を観るという予定に無理矢理ついてきたのは香奈だが、それを許容したのは俺だ。こうなることも予想の一部には入っていた。だからわざわざ映画館のサービスデイに学生証と割引券を併用して入ったのだ。
 しかし、泣いている妹の手を引く兄と言う図でしか見られないだろうけれど、下手に学校のやつに会って俺が香奈を泣かせたというような噂でも流れれば、面倒なことになる。
 それに、幾人かの通行人が僅かながら注目しているので居心地が悪かった。
 仕方がないので、人通りの少ない通路の自販機の横で無理矢理ハンカチを香奈の顔に押し付けて。
「泣き止まないと俺は帰る」
 面倒になってくると脅すというのは俺の悪い癖だと思いつつ、香奈が一発で言う事を聞くので、当分、改めるつもりは無い。
 俺の言葉に「やだ」と言いながら服の裾を抓んでくる。
「もう泣いてないよ」
 片手で俺の服、片手でハンカチを握った香奈の目は少し赤い。
「ハンカチ、洗って返すね」
「別にいい」
「ダメだよ。あ、じゃあ、私の――「いらない」
 香奈のハンカチ……というかミニタオルはファンシーなクマのキャラクターのものだったり、控えめながらレースがついていたり、しかもほとんどが薄桃色の、思いっきり女物なので、持っているのも嫌だ。
  俺が即答したのが可笑しかったのか、香奈は笑った。
 泣いている顔も嫌いではないが、道端で泣かれるのは堪らないし、やはり、好きになった女の笑顔と言うのは破壊力がある。これは本当に。今まで気付かなかった事が不思議なくらいに。
 小説などで、あまり笑わない人物が微笑むと、それを見た人物が笑った人物に対しての認識を改めるという表現が腐るほどあるけれど、それが事実だからこそ腐るほど文章化されていたのだと知った。
 そんな事を思って笑顔を眺めていたのだが、香奈は俺のハンカチを見つつ、何やら変な顔になった。
 しばし、その表情を観察、黙考。そうしてから言うべき事をはじき出す。
「俺の趣味じゃないだけだ」
 言ってやると、きょとんとした顔で俺を見てから困ったような顔をする。
「さっきも言ったけど、気にしてないから」
 香奈は感情表現が素直だから無意識だと顔に出る。
 とはいっても「機嫌が悪そうだ」とか「疲れてそうだ」とか「緊張してるな」とか、その程度だけれど。
 それに、前後のやりとり、香奈との付き合いを照らし合わせて、おぼろげに何を考えているのかわかるレベルでしかない。
 最近は当て推量で適当に言った言葉も当たっているようなので、その精度も上がっているのかもしれないが、外す事もある。そういう時、香奈は何故か嬉しそうに笑うけれど。
 香奈の、他人の思考のトレースなど、そう簡単にはできないらしい。
「だめ、私が気にする」
 言うと、香奈は鞄から財布を取り出して何やらごそごそしている。
 映画のチケット代かと推測すれば、溜息が出そうになった。
 気にしなくてもいいと言っているのに。
 香奈のこういった、俺に迷惑をかけまいとする所は、よく言えばフェアなのだが、俺の感じ方としては――【しつこい】。そして、融通がきかない。
「いらない」
 香奈の行動を制するためにその手に自分の手を重ね、まだ何か言いたそうな香奈に尋ねる。
「それより、時間余ったし、どうする?」
「うん?」
「俺は本屋に行きたいけど、いいか?」
「え、うん、勿論」
 同意を得て歩き出した俺の後を香奈が慌ててついてくる。
 やっと隣に並んだ香奈は俺の手に自分の手の甲を当ててきた。
 手を繋ぎたいという、香奈の要求。
 勝手に繋いでしまえばいいのに、まず俺の許可を得ようとするところが、なんだかおかしい。
 それが嬉しい俺も、もう駄目だと思うけれど。

 ◆◇◆

 本屋さんで、読みたかったトムは真夜中の庭でを見つけたのはいいのだけれども、背が届かない。
 うーん、と背伸びして本のおしりを指と爪でちょいちょい、っとひっかけて少しずつ動かす。
 時間がかかったけど本をゲット。
 あ、でも、星の王子様も家にあるハードカバーとは違う訳者さんの文庫本が出てるから、それも欲しいな。
 若は歴史小説のコーナーに行っていたのでトムまよ(略した)を手にそちらへ回ってみる。
 なにかの本を開いてページを捲っている若を発見。あ、宮部みゆきだ。
 若曰く「宮部さんの作品は歴史ものじゃないと人物が薄っぺらい」のだそうで。
 私は蒲生邸事件しか読んだことなくて、それは私からしてみたら凄く面白かったので、よく解らないけど。
 お子様思考な私はミヒャエルエンデとか大好きで、星の王子様も大好きで、若とは、結構趣味が合わない。若は呆れるけど、私は児童文学とか、童話とかはすごく好き。でも、怖い奴は苦手だけど……グリム童話の昔のやつとか。
 それに、若は買った本は部分部分で読み返しても二度読まないらしいけど、私は何度も最初から最後まで読む。
 私はミステリーのハラハラ感は大好きで、謎解きのシーンなんかはちょっと頭がよくなった感じがしてすきだけど、ホラーは夜とかトイレ怖くなるから読めないし。
 若は、結構片っ端から何でも読むけど、宮沢賢治とか、私にはよく解らなかったりもするし。
 図書館派な若と、購入派な私。やっぱり、色々、若と私は違う。
 なんで、若はこんな私を好きになってくれたんだろう。聞いたことないけど。なんでかな。
 今日は何だか色々申し訳なくて。自然に、ちょっとビクつきながら若に近付くと、それに気付いた若が顔を上げて、隣に立った私を見下ろした。
「み つかっ た?」
 あ、ちょっと変な声、でた。
 若が変な顔してる。けど、すぐに手に持っていた本を軽く持ち上げた。
「ああ。香奈は?」
「うん、あったよ」
「じゃ、帰るか」
「ん」
 そんな会話をして、レジへ向うと、若が私の本を手にとったので、お金だけ渡す。お会計が終わって、若からお釣りを受け取って、本も貰おうと思ったら「送るから」って言われて、またなんか、申し訳なくなってしまう。嬉しいんだけど、申し訳ないなって。思ってしまう。私だけ、若にしてもらうばっかりで。
 ごめんね、と謝るのも変だなって思ってありがとうって言うと、どういたしまして、と若はすたすた歩き出した。慌てて付いて行く。
 駅まで向う途中、若は何も言ってくれなかった。手も繋いでくれなかった。
 けど、でも、送ってくれるという事は、怒っていないからだって事がわかる程度には、若と一緒に居て。
 けど、でも、なんだか、今日は色々と、本当に申し訳なくて。
 駅のホームを、とぼとぼと若の後ろを歩いていたら。
香奈
 呼ばれて。
「なに?」
 見上げる。
「明日のテスト、大丈夫か?」
 ……若、お父さんみたいなこと聞かないでよ。ていうか、思い出させないでよ。
 白線に靴のつま先が触れる位置に立って今度は私と立場逆転で、私の一歩後ろにいる若を見上げる。
「帰って、お兄ちゃんに勉強教えてもらうから」
 多分大丈夫、と頷く。
「そうか」
「うん」
 ……会話停止。
 でも、いつもの事なので。本屋さんからここまでだって無会話だったし。
 会話がなくても、一緒にいられればいいんだ。
 片想いだった時は、同じ教室内にいるだけでドキドキしてて目が合っただけで顔が赤くなってたけど。電車に一緒に乗るのが、一大イベントで。毎日、毎朝、しんじゃいそうな位ドキドキしてて。大好きだった若が、こんな風に一緒に街を歩いてくれるようになるなんて想像もできなかったけど。
 けど、今、私の隣には若がいて。
 だから、会話がなくても若がいればそれだけで幸せ。
 いつの間にか凹んでいた気持ちが消えて、若が好きだなって、今、幸せだなって、そればっかりになった。
 馬鹿とか言われても。
 呆れられても。
 こうやって、一緒にいてくれるそれだけでとっても幸せなんだよ。
 若ってそこら辺、解ってるのかな?
 ま、いいか、解ってなくても。
 若も、私といて、少しでも幸せだって思ってくれたら嬉しいな。
 変わらない毎日だって、若といれば宝物みたいに輝くんだよ。
「若」
 私に呼ばれて、若が視線を合わせてくれる。
 私は笑う。それから、告白。
「大好き」
「少し自重しろ」
「うん」
香奈
「んー?」
「俺もだから」
「……? ――! あ、あ、ご、ごめん。これって、すごく照れるね……!」
 俺の気持ちがわかったかと言うように、ニヤリと若が笑った。
 やー、照れる! どうしよう! 顔赤いよ! 絶対!
 何気なく、気持ちが溢れるたびに「好き」って言ってたけど、言われる側に回ると照れるなんて。
 私って馬鹿だ……
 若がすごくおかしそうな顔で私を見ていて、余計恥ずかしい。照れる。
 でも……あー、もう、ホント、
「大好き」
 ポーカーフェイスの若が照れているのに気付けるのは何人いるんだろう。