| 俺の自我が芽生えてから自分で意識した初恋の人は、現在俺の彼女になっている。ありがたい事だ。 彼女はそんなに背が高くない。 それはそれで可愛いところだとは思う。単純に好みの問題で言えば俺は背の高い女の方が好きだ。また、好みではなく安っぽいプライドで考えれば俺より少し小さいくらいの身長が顔も近くて、一番いいと思うのだけれど何故だか俺の彼女は女子の中でも少し背が低い方だ。 好みではないけれど、それもまあ可愛いなと思えるほどには彼女が好きなので問題は無い。 だけれど。 「へそ、見えてる……」 黒板に書かれた文字を必死で消そうとしている香奈は爪先立ちで、背伸びをして、腕を一所懸命伸ばしている所為で制服のシャツが引っ張られて腹と背中が見えていた。 「だって届かないんだもん!」 言外に”手伝え! ”と言われたような気がするが俺は俺で日誌を書いているため、今はそちらを手伝うのは無理だ。大体、俺は日直ではない。部活の開始が監督の事情で遅れるので、それまでの時間つぶしで日誌を書いてやっているだけだ。 「椅子使えよ」 「使った後、戻すのめんどくさい」 「横着者」 かくして、俺の彼女は黒板と対峙して格闘しているわけだ。ぴょんぴょんと跳んだり跳ねたりしつつ地道に少しずつ黒板の文字を消していく。時折ばふっと音を立ててチョークの粉が黒板消しから飛んで行った。 来年度は……二年になったら、こんなふうに二人で同じ教室で過ごす事もなくなるのかもしれないなと、少しだけつまらない、少しだけ安堵するような、そんな気持ちで日誌を書き上げた。 日誌を書き終わった俺は、立ち上がって黒板の前で格闘している香奈の手の中にある黒板消しを奪い、黒板の上部に残った文字を消してやる。 「あr」 俺を見上げて、ありがとう、と紡ごうとした香奈の唇は、最初のたった一文字しか発せられなかった。 こいつ、何で教卓に足とか引っ掛けるんだろう。 頭悪いんじゃないのか。どこに何があって自分の体がどう動けばどこに当たるとかわからないのか。未来予知しろとは言わないがある程度の予測は立つだろうに。 ああ、そういえば、同じ時期にテニス部に入った奴らでも、下手な奴はボールがどこで跳ねてどこに飛ぶか、相手がどこに動くのか予測するのが不得手な奴が多いなと思い出したりしつつ、バランスを崩して黒板に肩からぶつかった香奈に「大丈夫か?」と一応聞いておく。 「いたい……」 ガンともダンともバンともつかない大きい音をさせてぶつかり、情けない声で痛みを訴えて自分の肩を押さえている香奈の手の上から、俺は自分の手を重ねて「痣になりそうか?」と聞く。 香奈は、しぼんだ様子で首を傾げ、それを俺の問いへの答えにした。 軽い自己嫌悪に陥っているようなので「とりあえず保健室に行こう」と提案してやり日誌を手に保健室へ促す。その前に職員室に寄って香奈に、思いっきり俺の字で書かれた日誌を提出させる。 今日の日直は香奈と他の男子だったのだが、お人よしと馬鹿のダブルコンボな香奈は、日直の相方に「悪い! やっといて!」と言われて「うん、いいよー」と気軽に請け負ったのだ。 本当にコイツは馬鹿じゃないかと思うのだが、というか馬鹿なのだろうけれど、俺は残念ながらこの馬鹿が好きなので、こうやって馬鹿なことに付き合ってやっている。たぶん、そんな俺も馬鹿なのだ。 「すみません」 保健室の扉を無造作に引きながら入る。特有の消毒液の匂いがたちこめた中を歩き、養護教諭がいないことに気付くと、香奈に適当に座るように指示して適当に棚をあさる。一応劇薬系の棚には鍵がかかっているはずだし、中学校の保健室にそんな危険な薬品は無いだろう。遠慮なく捜索していく。 はたして目当てのものを見つけるとベッドに腰を下ろした香奈へ肩を肌蹴るように促す。ぷちぷちと外されるボタンと少しずつ露わになる香奈の肌。普段、日に当たらないそこは白色の蛍光燈に照らされてなまじろい。しかし、健康的な張りがあって弱々しさは感じられない。 シャツの下の無地のキャミソールの紐と下着の紐が少しだけ見えるのと同時に完全に片方の肩が肌蹴られ少しだけ赤く擦れているような皮膚が顔を覗かせたけれど、ぶつかった時の痛みの訴え方から予想したとおり肩が外れたりはしていなかったので丁寧に打ち身系の軟膏を指と手のひらですべらかな香奈の肩へ塗りつける。少し打った部分が熱いような気がしたが、香奈に聞くと「大丈夫」と答えてきたので、その上からガーゼを乗せた。テーピングで軽く押さえて治療を終えるとシャツを着なおすように手で示す。 使った物を元の場所へ戻し、シャツのボタンをせっせと留め直している香奈の様子を何となく眺めていると「ありがとう……」と言われ、その言葉が、妙に力ない調子だったので軽く首を傾げてみせる。 「どういたしまして。痛むのか?」 「や……うん、まあ、痛いけど。大丈夫だよ」 大丈夫、という言葉とは裏腹に香奈の声ははっきりせず、ぎこちない調子だった。顔をうつむけてボタンを掛ける手も、どこかもどかしい。 「大丈夫じゃないだろ。どうした?」 重ねて聞くと、はぁ、と小さな溜息が耳に入る。 「別に……恥ずかしかっただけだから」 少し拗ねたような香奈の言葉に、今更ながらに香奈のなめらかそうな肌と薄く色づいた下着の紐のコントラストと軟膏越しに触れた熱い皮膚を思い出した。 今更だけれど、俺も何だか恥ずかしいような気持ちになってきて、照れ隠しの意味も込めて「馬鹿か」と、うつむく香奈の頭を軽く小突いた。 |