テスト期間のおかげで早く帰れた今日。 全部活がテスト前の一週間からテスト中の一週間の、合わせて二週間テスト期間休みになる。 私の所属している美術部も、もちろん。 そんなわけでまだまだ明るいのにお家に帰れてラッキーという感じで若を誘って一緒に帰った。 でも、家に着いてから、よく考えると普段テニス部で忙しい若と一杯遊べるチャンスじゃないか! と気付いて、今日は塾もないことを思い出した。 そんなわけで、思い立ったら吉日生活。わくわく若に連絡をいれて意気揚々と家を尋ねた。 のに。 なんで、 テスト勉強とかしているのでしょう。 じめじめした空気と暖かい気温に湯のみも汗をかいてぐったりしてた。 でも、中の氷が溶けるたびに湯のみに当たってカランコロンと清涼な音を立てるのが耳に心地いい。 透明で綺麗なガラスの大皿に、手作りなのかなんなのかミニ氷山が乗っかっていて、その上につやつやのさくらんぼが乗せられている。 若のおばさんが出してくれた冷えたグリーンティーとピンクのさくらんぼと、濡れせんべい。 勉強するたびにこんなものが出るんだったら私毎日勉強しちゃうかもー……とか、教科書から視線を逸らしつつ。 若は真剣に問題集を解いていて、まっすぐ伸ばした背筋がきれい。 何事にも真剣に取り組む若がとてもかっこよくて、私は大好きだったりする。でも、せっかく部活がなくて、久々に彼氏の家に遊びに来た彼女としては、この状況はちょっと不満だったりもするわけで。 正直、つまらない。 ぼんやりと若を眺めつつ、デスノートのエルがやってたみたいに口の中でさくらんぼの茎を結ぼう、と、躍起になってみたり。蕎麦では成功したんだけどな。 私がグーで握ったシルバーのシャープペンシルは若のもの。 何も書いていない真っ白な大学ノートも若のもの。 赤い線や小さな書き込みが入っている教科書も若のもの。 ノートの上のどらえもんは私が描いたもの。 何とか結んださくらんぼの茎を小皿の上に出して、情けない声で若に泣き付いてみる。 「若……教科書を読むのを目が拒否してるよ……」 そう、さっきから文字列が目の上をするすると滑って頭まで入ってこないのです。私、数学苦手だし。苦手だからやってるんだけど。 「香奈、馬鹿な事言ってないでさっさと解け」 一刀両断。 あんまりにも呆れた冷たい口調で言うので、ちょっとザクっときた。 「将来これって役に立つのかなあ」 わざとらしく大きく溜息をついてから、ちらっと若を覗うと、若は私に視線すらくれていなかった。 若の熱烈な視線を浴びているのは教科書と大学ノート。無機物相手に嫉妬したくなってしまう。 「物凄く近い将来に役立つ」 それって将来? ていうかテストのことだよね。 「……人間はテストではかれるものじゃ――」 なんて、悪あがきをした私に、若が言い捨てた。 「香奈。解らない所は教えてやる。けど、やる気がないなら帰れ」 … …… …… …… …… ……… ……… ………… ………… ………… …………… …………… ……………… …………… …………… 珍しく長時間にわたって黙り込んだ私。 「次のテスト、香奈が全教科七十点以上とったら、一つ言う事聞いてやる」 勉強する訳でもなく、ただ拗ねてふてくされてうつむいて座るだけの私。 その沈黙に、若が折れた。 溜息を吐いて、私の開いているノートを人差し指でつついて、むっつりとそんな事を言ってくれる。 その言葉にとても嬉しくなって期待に満ちた目を若に向けた。だって、まさか若がそんな事を言い出すなんて思わなかった。 目が合った若は、仕方ないと言うかわりに、また沈痛そうに溜息を吐く。確かに、若にとっては何もメリットの無い賭けだ。 いま、私の機嫌がちょっと浮上して勉強に向う、というだけの。 甘やかされてるなあ、私。 でも、若は言葉ではあまりそういう事を言わないので態度でこうやって表す位で丁度いいでしょう。なんて思いながらも嬉しくって可笑しくって笑ってしまう。 私は上機嫌でさっきから一方的ににらめっこしている証明問題を指差して若に示した。 「んっとね……コレよくわからないの。最後にQ.E.Bって書くやつ」 「……香奈、それはクォド・エラト・デモンストランドゥムで、BじゃなくてDだ馬鹿」 若は呆れた目で私を見た。というか、そんなの正式名称暗記してるんだ。それがちょっと可笑しい。 にこにこと笑う私に、また若が溜息を吐いて私の開いている教科書を覗き込む。その拍子に肩が触れ合ったけど、若は問題に目を通しているので全然気にしてないみたいだった。 肩が触れ合うなんて今更なのに、私だけちょっとドキドキしてて悔しかった。 ===ここから先はひたすら問題解いています=== 「――下図でEは平行四辺形ABCDの辺CDの中点、Fは直線AEと辺BCの延長との交点である。この時、BC=CFとなる事を証明せよ。つまり、この下の線……」 と言って若が綺麗な鉛筆の持ち方でさらりと点Bと点Cと点Fに丸をつける。 そして点Bと点Cを結ぶ線にaと書いた。 次に点Cと点Fを結ぶ線にa´と書く。 「aとa´の長さが同じだ、と言う事を証明する問題だってのは香奈でも解かるよな?」 さすがに文系一直線な私でもそれくらいは理解できていたので、若の問いに素直に頷く。 「じゃあ……香奈はどうすればイコールを証明できると思う?」 かつかつ、と芯の出ていない筆記用具の先で三角のくっついた平行四辺形を差す若。 いつもより少しだけ言葉がゆっくりで、私に理解する時間をくれているのか、それともどうやって教えようかと考えているからなのか、どっちなのか私にはわからない。 ただ、ちょっとゆっくりめに喋る若もいいな、くらい。 「それが解ったら苦労しません」 即行で白旗を揚げた私に、若はまたしても呆れたカンジで溜息を吐く。 今日一日で若が何回溜息を吐くのかカウントしたくなってきた。というか、既に問題を解きたくなくなってきた。そして流石にへこんできた。 彼女とこんなに近くで触れ合ってるのに、勉強のことしか頭にない彼氏なんて……とも思うけど、そんな若が、私は大好きなわけで。腕を伸ばせば抱き締められる距離に若がいるのに、一生懸命勉強を教えてくれているから、そんなふざけた事は出来ないな、なんて思う。 怒られそうだし。若って怒ると、こわいし。あんまりふざけてると嫌われるかも、だし。 「馬鹿。少しは考えろ。――平行四辺形っていうのは向かい合う辺が同じ長さなんだ。それは香奈でも解るだろ?」 辺AB=辺DC 辺AD=辺BC とノートに追加で書き記される。 私は曖昧に頷いた。っていうか、そもそも平行四辺形っていうものがイマイチよく解らない。曲がった四角みたい。向かい合う角度が一緒だった気はするけど。あと向かい合う辺が平行? で……えーっと 「あー……うん。わかる」 明らかに適当に相槌を打っていますと言わんばかりの声が出たので、自分でもちょっと落ち込んでみたり。 若はちょっと呆れたみたいだったけど少しだけ手を動かして、点Eに○をつける。 さっきより密着して私はドキドキして、若は全然そんなこと意識してなくて、やっぱり悔しかった。 「馬鹿。覚えておけ。……次、辺CDの中点に点Eがある。この中点ってのはCとDのちょうど真中にあるんだ。――だから?」 C――D の真ん中がEだから…… C――E――D でしょ。 えっと、だから……だから…… 「 辺CE=辺DE に、なるの、かな?」 辺CEと辺DEにイコールを示す二本線を入れて首を傾げて聞いてみる。 「そうだ。 それで香奈はここからどうすればいいと思う?」 私の答えに軽く頷いてから、また若が聞いてきた。 全然わからなくって、困り果てて、黙ったまま教科書とノートを睨んで途方にくれていると、ヒントを出すように図形の線を若が何度かなぞる。 若、すごい真面目に教えてくれてて、馬鹿な自分がちょっと悲しくなった。 とにかく、若がなぞっている図形を見て、思いついた事を言ってみる。 「……この三角――えっと△AED? とー△FECが似てる……じゃん?」 似ていると言うか見た目には全く同じ大きさに見える。 自分でも自信なさそうだなって思うびくびくした声で聞いて、若をうかがう。 「それで?」 若にうながされて、間違ってないって言う意味だろうなって思って、ちょっと安心して先を続ける。 「この二つの三角形が一緒だって解ったらいいんじゃないでしょうか」 「そうだな。この二つの三角形の合同が証明できればAD=BCなんだからAD=CFが証明できる事になる。それで、香奈はどうやってこの二つの三角形が合同だと証明する?」 ゴウドウ。 合同ってなんだっけ……えっと、同じ……三角形……角度と……辺の長さ……合同を証明する…… 「……――二角と一辺が同じだって解れば……合同だよ、ね?」 私の声、すっごい自信がなさそうでした。 「ああ」 でも、若がうなづいてくれたので、ちょっと安心した。 それから気付いたことを言ってみる。 「DE=ECで一辺の長さが一緒でしょ……それで、えーっと……この∠Eも同じ度数っぽい」 「なんでだ?」 即座に聞き返されて、でも、同じ角度だろうって事はわかるんだけど、説明の仕方が全くわからない。ど、どうしよう…… 「見た目がそれっぽいから……」 「馬鹿。いいか香奈。この∠DEFと∠CEFは対頂角だから同じ角度なんだ」 ふむふむ。たいちょーかくなんてものがあるのか。習ったような習ってないような。――って、たいちょうかく? 「隊長格?」 聞いてみた。 「香奈、お前、本当に馬鹿だな……」 笑ってもらえるどころか、すごい馬鹿にされた上に呆れられてまた溜息を吐かれました。 「……とりあえずこうやって直線が交差している時に向かい合ってる角は同じ角度だって覚えとけ。それが対頂角だ。――で、もう一角、証明しなきゃならないだろ」 ああ、そうだそうだ。 二角と一辺が合ってることを証明しなきゃなんだ。 「んー……これ! ∠ECFと∠EDAって同じだよね。平行四辺形のココとここだから」 ちょっと図形を眺めてから、びしびし! と二つの角を自信満々指差してみる。若は、頷いた。 「ああ。それを何て言う?」 「たいちょーかく!」 私がそう言った瞬間、若が物凄く呆れた顔をした。というか、馬鹿にした顔かもしれない。それから私の指差した角を、若も筆記用具で示して。 「馬鹿。それは∠Eだろ。この∠ECFと∠EDAは平行四辺形の錯角だから同じ角度なんだ。――ここまで来たら解けるだろ?」 角度の同じ角を筆記用具で記しながら若が尋ねてくる。 私はこくこくと頷いた。これで△AEDと△FECが合同だって証明できる。これだけ材料が揃えば私でも大体わかる、と、思う。 「えーっと」 私は、教科書の証明問題の模範解答を見ながら、もくもくと真っ白い若の新しいノートに(どらえもんの下辺りから)解答を書きはじめる。
「ED=ECかっこ……」 なんて書けばいいのかわからなくて、困って若を見ると、若はふっと私の顔を見て、参考書を見て、ノートを見た。 「仮定って書いておけば十分だ」 「わかった」
===宿題にお付き合いくださり誠にありがとうございます=== 「で、証明終了! キュー・イー・ディー!」 回答を書き上げて、パシ、とペンを置くと若に向かって自信満々に笑って見せる。コレで完璧でしょ? って。そうしたら若はちょっと溜息をついてた。シツレイな。 「対頂角は対になる頂点の角、錯角は金偏に昔。それくらい漢字で書け」 「うん。ね、ね、頑張ったからご褒美!」 苦手な数学をちゃんと解けたので当たり前のようにねだって、つんつん、と若の服の袖を引っ張って要求すると、デコピンされた。 しかも、結構痛い。 「知るか。欲しかったら全教科七十点取れ」 言って、額を押さえている私を少し笑う若。 「うぅ……私、英語と数学は赤点ギリギリなのに……」 一番危ないときなんか四十五点とかだったのを思い出して情けなくなってきた。若がひとつお願いをきいてくれるって言うのに……泣きたい気分で溜息を吐く。 「だから勉強しろよ」 そうだよね、そういう事だよね。 「――うん……」 仕方ない、と私がしぶしぶ頷くと、若が他にわからないヤツは? と尋ねてくれる。 他にって言うか全部わからない、と言おうと思ったけど、どう考えてもふてくされてるし、すねてる感じになっちゃうから、ぐっと我慢した。 それに、この問題を解いている間、若は私につきっきりだったわけで。 「ん、んー……私の勉強教えてたんじゃ、若が勉強できないよね。ごめん。私、やっぱり自分で考えてみるよ」 次のページを捲って、私はまかせとけとばかりに自分の胸を軽く叩く。ほんとはすっごい自信ないけど。 若は苦笑して、ぽんぽん、と私の頭を撫でた。 ――なんか、優しいな、って、それだけでちょっと幸せになったり。 「頑張れ」 「頑張る」 笑顔で請合ってノートに問題を書いていく。 結局、私は、若の家で晩ご飯をご馳走になってしまうほど勉強しました。 次の日は使いすぎた頭がストライキを起こしてぼーっとした。 結局テスト前はずーっとそんな感じ。 学校でも勉強して、放課後は塾に行くか若の家でお勉強会して、お兄ちゃんに聞いてみたりもして、とにかく私は人生で一番勉強したと思う。 数学と歴史は若に教えてもらった。(若の得意教科なので) 英語はリョマを家に呼びつけた。(嫌がってたけど、一日百円で) 他は学年主席のまどかちゃんに教えてもらった。(学校の休み時間に) 最初に氷帝に入る為に色々習った六歳くらいの時は、楽しかったから勉強だなんて思わなかったけども、最近は勉強になってしまったなあ、なんて、そんなことを思いながらお風呂に肩までつかる。知らない事を知ることは面白いと思うけれど、やっぱり、テストは苦手だ。若みたいに実力がハッキリ目に見えるのが好きなら、よかったんだけど。 ああ。明日はテスト返し…… そう思うと、ちょっと心配になってきてしまった。アレだけ勉強して全教科七十点取れなかったら本当に凹む。どれだけ私は馬鹿なんだろうって思うに決まってる。 それに、もう、若にお願いしたい事は決まっていて。 それができたら……なんて事を考えると顔がにやけてしまう。なんて言おうとか、いろいろ考えて――これってトラヌタヌキノカワザンヨウ? っていうのかな。 ああ、とにかく……皆の為にも、どうかいい点でありますように……! ぶっちゃけ七十点以上ならなんでもいいけども! |