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 六月なのに珍しくとっても天気のいいお昼休み。
 日差しで人が殺せそうだったけど、風だけが少し冷たい。
 ちょっと気温が高くて、やっぱり湿度も高かった。
 肌がベタベタするカンジで不快指数も高い。
 けれど、空は、本当に澄み渡った青で、白い雲とのコントラストがとっても爽やか。
 太陽の白い光が暖かくて気持ちいい。
 時折吹く風が汗ばんだ肌に心地いい。
 スカートがその強い風でめくれないように校舎外のベンチに座った私の膝の上には空のお弁当箱。
 わいわいと校内の喧騒が聞こえてきて、教室は涼しいだろうな、とちょっと思った。
 何も言わない私に、隣に座って冷たい烏龍茶の缶を傾けていた若が、小さく息を吐いた。
「何拗ねてるんだ」
「拗ねてないです」
「じゃあ何なんだ」
「落ち込んでるだけですよ」
「なら早く持ち上がれ」
 そういうと、若はまた烏龍茶を飲み始めた。
 若と付き合って気付いた事がある。
 若は本当に天邪鬼だということ。
(特に学校とかでは。二人きりだとそこまでじゃない。でも、その所為で私は若に嫌われてるんじゃないかとか付き合う前はもやもやしたりしたんだよね)

 “嫌いじゃない”は“好き”と言う好意
 “嫌じゃない”は“いいよ”と言う受諾
 “悪くない”は“良い感じ”と言う褒誉
 “悪いな”は“ありがとう”と言う謝礼
 “悪かった”は“ごめんなさい”と言う謝罪

 嫌と悪で構成されている。
 今も、私のことを心配しているのだけれど、何を言っていいのか悩んでるんだと思う。たぶん。
 若は実は心配性だから、きっと色々な事を難しく考えてるのだろうなと思う。
 私はただ、若が近くに居るだけで、気分が少しずつ浮上しているのだけれど。

 あ、若、缶の飲み口を噛んでる。
 今、ちょっと自分のことを不甲斐無いとか思ってるでしょ?
 それか私に対して苛々してるのかな?
 でも、それだったら、私にはっきり言うかここからいなくなっちゃうもんね、若。
 私、心配されてるのかー、そうかそうか。そういう事にしておこう。前向き前向き。ポジティヴシンキング。
「何笑ってるんだよ」
「いい天気だなーって思ってるんだよ」
「今更だろ」
「若、私にも一口」
 若は私の方を見ないで烏龍茶の缶を押し付けてくれる。
 受け取った缶はよく冷えていて、私は勢いよく一気飲みした。日差しを浴びて熱膨張を起こしそうだった身体に、烏龍茶が染み込んでくる。お風呂上りのビールってこんな感じかな。
「……おい」
「何?」
「お前の一口はずいぶん量が多いんだな」
「ごちそーさまでした! ありがとね、若。元気でた!」
 若はハァって大きく溜息をついた。
「で、何に落ち込んでたんだよ」
「んー? コレ、です」
 ポケットから取り出したのは横長の紙。
 四つ折りにしてあるそれを若に渡す。
 ちょっと指が触れ合って、間接チューは何とも思わないのに(ちょっとだけ嘘)こういうのはドキドキするなあ、としみじみ感じた。
 若はその紙を広げて、印字されているそれを見る。
「ああ……なるほど。まあ、香奈にしては頑張った方だろ」
 慰めるように言われて私は思わず苦笑してしまって、制服のプリーツスカートの裾を掴む。くしゃっとチェックの模様に皺が入った。
 若に渡したのは全テストの結果。
 小曾根 香奈
国語 数学 理化 社会 英語 保体 技家 美術
80 72 70 71 68 81 78 84
五教科合計/順位
361/407
 私と若は実はテスト前にちょっとした賭けというか、約束をしていました。
『次のテスト、“全教科七十点以上”とったら、一つ言う事聞いてやる』
 以上:数量・程度などを表す名詞の下に付けて、それより多いこと、また、優れていることを表す。数量を表す用法では、その基準点を含む。
英語
68
 七十点以上じゃあ六十八点は入りませんからッ! 残念ッ!!
 アンタの願いは叶いません! 斬り!! (古いなぁ)
 なーんて。
 折角、テスト前に若に勉強を教えてもらったのに。
 若もとても丁寧に教えてくれたのに。
 頑張ったのに、なぁ。
 英語、教えてくれたリョマにも悪いなぁ。
 ああ、やっぱ、まだ少し落ち込んでるかも。
 ああ、太陽がまぶしい。

「若のも見せてよ」
「今は持ってない」
「そっかあ。あーあ、でもやっぱ、七十点取りたかったなあ……」
 溜息が勝手に出る。空を見上げると、やっぱり目が焼けそうなくらいのカンカン照りで、湿度が高いせいで蒸されてるみたい。風がなかったら外になんていられない。教室だと、からかわれちゃうから、外なんだけど。
 ああ、熱い、もう少しで夏だ。夏休みだ。

「何を言う気だったんだ?」
「んーもう、今更いっても仕方ないもん」

 若は私を甘やかしはするけれど(本人にあまり甘やかしているという自覚はないのではないかと最近思う。若って親ばかになりそう)決めた条件を変更する事は有り得ない。
 私が首を横に振ると、若が言う。
「努力賞くらいはやるけどな」
 言外に、言え、と。
 私はきゅっと目を瞑って空の缶を握り締めた。

 ああ、熱い。
 夏だ。

「やっぱり言わない」

 カラカラに乾いた声が出た。

 ああ、熱いなあ……












「日射病だ。馬鹿」

「う、ん?」
「もう、下校時間だぞ。今日はテスト返しだから、部活ないんだよ。鞄持ってきた。俺はもう帰る。さっさと起きないと置いて行く」
「や」
「じゃあ早く起きろ」
「若も寝る」
「誰が寝るか。あまり我儘言うと嫌うぞ?」
「わかしのばか」
「馬鹿は香奈だ。 メンソレータム塗るぞ、目に」
「やっ!」
「やっと起きたか……」
「おに、あくま」
「鬼でも悪魔でも何でも良いから、さっさと帰らないと電車に間に合わないんだ」

 渋る……と言うか、ぐずる香奈を無理矢理に保健室のベッドから立たせ、手を引く。香奈は引っ張られてよろよろと立ち上がった。
 学校内であまりこういう事はしたくないのだが、具合が悪く変になっている香奈を放っておく訳にもいかない。目の前でぐったり倒れられた時は本当に肝を潰したのだ。心配で一人にしておけない。
 養護教諭に頭を下げてぐずる香奈を引っ張って保健室を後にした。

 ベンチで会話していた香奈が急にぐったりと俺に身を寄せてきたときは何がどうしたのかと思ったが、何の事はない軽い日射病だった。弁当もあのベンチで食っていたらしい香奈は昼休みは丸々野外にいたと言うことで、天使の輪を作っていた香奈の髪はそうとう熱かった。風が冷たいとは言え、さんさんと降り注ぐ日光をずっと受けつづけていればそうなって当然だ。車のボンネットで卵が焼けるほどの温度ではないだろうけれど。
 そんなことを思いながら、力のない香奈の手を握って、歩く。
 昇降口に向う途中で忍足さんと向日さんのコンビに出会ってしまい、廊下で冷やかされた。この人たちも暇人だなと思っていると、まだ本調子ではない香奈が、冷やかされている途中で、俺にも良くわからないがいきなり泣き出した。
 向日さんと忍足さんはこっちが面白いくらい慌てて香奈の機嫌を取ろうとしている。

「こいつ、具合悪いんで」

 軽く頭を下げて、二人が心底申し訳なさそうにしているのに、平気ですから、と一言告げる。
 引いた香奈の手は暖かく、眠い子供のようだった。
 まだ、昼間のように明るい空は、それでも、日が沈むと実感できる程度には風はぬるく湿気を含んでいる。
 昇降口で靴を履き替えながら、未だにしゃくり上げている香奈を見て、溜息が出た。

「もう泣くな。たいしたこと言われてないだろ」
「――っぅー……」

 たいした事どころか、先輩達のどのセリフで泣き出したのかも俺にはわからない。
 ただ、七十点取れなくて落ち込んでいるところに直射日光を浴びすぎて具合が悪くなった所為で、体が辛くて泣いていると言われたほうが合点がいく。
 めそめそしながら靴を履き終えた香奈の手を掴み、俺はまたその手を引っ張って歩き出す。まるで幼子の保護者のように。

 昔なら泣いている女子を見ても、うざったいとか、煩わしいとか、そんな事しか思わなかっただろう。
 いや、香奈以外の女が泣いても、俺は少し困りはするだろうけれど、驚きはするだろうけど、こんなふうに頭を悩ませたりしない。こんなふうに切ないような気持ちになったりしない。
香奈がどうやったら泣き止むかと、結構切実に考えている。

 歩みの遅い香奈の所為で乗りたかった電車には乗れない事を確信しつつ、小さな手を引いて歩く。
 駅への道程は運良く、人がほとんど歩いていなかった。もし、歩いていても仲のいい中学生カップルだと微笑ましく思われるだけだろうけれど、俺はそれが一番恥ずかしい。
 何でかなんかわからないけれど、あの微笑ましそうな視線は背中が痒くなる。

「きら、嫌いにならないで……」
 後、信号を二つ越せば駅に着くという所で、俺に手を引かれている香奈がしゃくりあげながら、言った。
 そして、先の自分の言葉を思い出す。
『あまり我儘言うと嫌うぞ?』

 何か、もう。
 無性に笑えてきて。

「じゃあ、もう泣くな。泣いたら嫌う」
 ゆっくり振り向いて、繋いだ手は離さないまま、もう片方の手で濡れた頬を拭ってやる。
香奈は、俺の言葉に、ぐっと涙を堪える。
 涙を堪えた香奈に、少し笑う。
 俺が再び手を引いて歩き出しても、後ろから嗚咽は聞こえなかった。

 目的のものよりもニ本遅れた電車に乗って、空いている座席に香奈を座らせる。
 俺はその前に立ち、聞いてみた。
「結局、俺に何をさせるつもりだったんだ?」
「――内緒」
 首を横に振り頑なに言いたがらない。
 そんな様子に、いつか白状させてやろうと心に決める。
香奈は、停車駅で乗り込んできた老人に気付くと颯爽と立って席を譲っていた。そうして香奈が隣の車両へ行こうと俺の服の裾を掴んでくるので、それに従う。

 一つ先頭に近い車両は先ほどの車両よりも空いていた。
香奈の後についていき、扉の近くに二人で立つ。と言うか香奈は思い切りドアに寄りかかっていた。まだ本調子ではないのだろう。少しだるそうだし、不運と不調と情緒不安定で馬鹿みたいに泣いた所為で目も少し赤かった。
 けれど、確かに今回のテストは香奈香奈なりに勉強を頑張っていた。苦手な数学を七十点以上取るなんて、俺は実際思ってなんかいなかった。いつも四十点の赤点すれすれだったそれが三十点も上がった。実は内心驚いている。
 そんなことを考えていると、ああ、さっきのは悔し涙もあったのかとか、そんな事も思った。
 俺は、視線を走らせて辺りの様子をうかがう。

 そして、電車の揺れに僅かに抵抗しながら、窓の外を眺めている香奈に声をかけた。
香奈は俺に呼ばれて顔を上げる。目が一瞬合いそうになってどきりとした。
 それを悟られないように、少し屈んで、その額に口付ける。
 本当に、ほんの一瞬掠める程度だけれど。確かに触れた証拠に、香奈の高い体温の欠片が唇に残り、淡い石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。

「努力賞」
 にやりと笑ってやる。

「若には功労賞ってトコ?」
 どうやら、俺が香奈の勉強を見てやった事を言っているらしい。功労ではないだろうが。本当に馬鹿だ。
 それでも、澄ました調子で言ってくる、香奈の顔の、その頬が赤く、それがおかしい。
 多分、俺は香奈の顔を見て無意識に勝ち誇ったような顔をしたのだろう。
香奈は少しだけ悔しそうな表情になった。
「次ぎはもっと頑張れ」
 笑って言ってやると
「下剋上だぃ」
 わざとらしく拗ねていることをアピールして頬を膨らませた香奈が答えた。

 次こそ、香奈の望みを聞き出してやる。
 そう決意しながら、今更にこんな公共の場でやらかした自分の行動を恥かしく思う俺も、やはりまだまだ子供なのだろう。