「だめ!」 「なんでだよ……」 あまりに頑なな香奈の態度に、俺は伸ばした手を引き戻し、はぁ、と小さく息を吐いた。 自分の身体を自分で抱き閉めた香奈は、俺を睨み座ったまま器用にズリズリと壁際に後退する。 なあ、それ、自分で退路を断ってるって気付いてるか? 気付いてないよな…… はぁ、ともう一つ溜息が出た。 香奈は、キッと俺を睨んでいる。 睨まれる覚えはない。 ◇◆◇ そりゃあ、久々に会えて、パパとママは仕事だし、お兄ちゃんはいるけど、私の部屋からお兄ちゃんの部屋は離れてて。お兄ちゃんは若が来てる時は私の部屋には来ないし。 だから……あの……そーゆー感じの雰囲気になっても仕方ないとは思うんだけど。 私も、若とそゆ事するのが嫌なわけじゃないんだけど。 だけど。 「今日はだめだってば!」 「理由を言えよ……」 私が訳を言ってないので、なんでそんなに嫌がってるのかわからない若。 若は、もう、しないならしないで仕方ないなって顔をしてるけど、納得はしてないっぽい。 隠し事をされて不機嫌みたいな口調と表情で、私もちょっと申し訳ないとは思うんだけど。 でも、理由とかいうの恥ずかしい。 と言うか、言えるならとっくのとーに言ってますから! ぎゅ、と手で自分の身体を守りつつ(って表現も変だけど)答える。 「内緒!」 「だから何で」 言いたくないのに何でそんなに即行で聞き返してくるの! 0.1秒って! いつもなら仕方ないなって見逃してくれるのに! 確かに一番最初に聞かれた時、生理じゃないとはいったけど。 お腹壊してたりとかだったら言いづらいとか悟ってよ! や、お腹痛いわけじゃないんだけど。 あー……うー…… ホント、どうしよう。あっち見たりこっち見たりして、この現状をどうやって打破しようか悩んでたら、若が手を伸ばしてきた。 それを撃墜しようとしたら、あっさり、避けられて、若の両手が私のほっぺたを包んだ。 それを剥がそうとしても、力では敵わなくて。 思いっきり目が合う。 物凄い近いところで目が合う。 若の視線が痛い…… そういう気分じゃないとか言ってみる? いや、ダメだ、そういう問題じゃないことはさすがに私でもわかる。気分ではないことは今までの会話でばれているけれどなんで気分ではないのかが若は聞きたいわけで。 何かやましいことがあるんじゃないかって思ってるのかな。いやでも、私、浮気なんかしてないし! え、別にそこまでは思ってないのかな。ああ、そっか、私がなんでこんなに嫌がってるのかが若は気になるのか。好奇心ですか。好奇心って猫も殺すって知ってますか若さん。 今の若には、私を逃がすつもりが、ない。 ああ、もう、ほんと、恥ずかしいのに……! 「――し、下着が上下揃ってないの!」 ああああ、言っててはずかしい! 若は一瞬言われた言葉の意味が解らなかったようでした。 ちょっとだけ、きょとんとした顔が可愛い。 なんて。 でも、すぐに可笑しそうに笑い出した。 わたしのほっぺたは若から開放されて、若の、そんな、無邪気な感じの、顔が幼く見える笑い方は、すごくレアで、今度は私のほうがきょとんとしてしまう。 「香奈、お前、本当に、馬鹿、だろ」 すっごい笑ってる。すっごい笑ってる。 どーせ馬鹿ですよ。 若が来るって知ってたのに、上はピーチジョンのピンクのラインストーンで、下はヴィクトリアズシークレットのブルーストライプのローライズとか、何この組み合わせ! 朝の私の馬鹿……! せめて同系色でまとめようよ! それかピンクならこないだ買ったピンクのリボンのついたライトグリーンのとかさ! なに、この海の深遠の様なディープブルーに、イエローラインのローライズって! 絶対絶対若には見せられない下着姿……ああ、もう。 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい! 黙り込んだ私に、若はツボを突かれたようで、まだ笑ってる。 いわゆる爆笑だ。 完全なる爆笑だ。 間違いなく爆笑だ。 爆笑以外有り得ない。 「すっげぇ、久々にここまで笑った」 可笑しすぎる、とか。腹痛い、とか。声震えてるし。若、ほんと、笑いすぎだから。 私は恥ずかしすぎるのに! 笑われると思ったから言わなかったのに! 私だってそんなに笑う若はかなり久々に見ましたよ! ああ、もう、恥ずかしくて顔から火が吹けるかもしれない。珍獣化してしまう。 とりあえず笑いが止まらない若の頭を軽く叩いてみた。 ◇◆◇ 顔を真っ赤にしながら、とにかく今日は嫌だ駄目だと説明する香奈に、俺は笑いながら何とか頷いた。 「わかった、そこまで嫌なら、今日はしない」 結構、その気で来たので、肩透かしを食らった気分でもあるが、仕方ないだろう。それはできればいいな、程度の願望であったし。今のところ肉体的にも、そこまで逼迫してはいないし、香奈のこういった我がままのようなものは今に始まった事じゃない。それに、最初に嫌がられた時点で無理強いするつもりはなかった。ただ、理由が気になっただけで。 俺は、まったく気にしなくても、香奈がこんなに赤くなるほど気にするのなら、仕方ないだろう。 「よし! ……あのさ、ところで、どんな下着が好き?」 何だその「よし!」ってのは。 怪訝な俺を、ものともせず、香奈はいきなり素っ頓狂な質問をしてきた。 流石に“何言ってるんだコイツ”という俺の視線にバツが悪そうにしながら、言葉を紡ぐ。 「あ、えと……無いならいいんだけど」 「……どんなって言われてもな……ああ、このあいだの白い、首で結んでたやつは好きだ」 それほど香奈の下着なんて見たことがない。首の後ろで結ぶやつは、何となく面白くて解いたり結んだりして遊んでいた記憶がある。 もちろん――と言うべきなのかどうなのか――香奈は服を着たままで、だが。 向日先輩が何冊か部室で広げていたそれ系の本にはまともに下着が載っていなかったように思うし、記憶にも薄い。 下着に執着のあるタイプではないし、こんなものは聞かれても困る。 「若、ちょうちょ結びしてくれたもんね。これは?」 ぐ、っと肩を落として襟の隙間から少しだけ下着を見せられる。 肩の紐の部分に宝石のような石のようなものの装飾がある、それ以外はシンプルな桃色のそれ。 初めて会った中学一年の頃とは比べ物にならないくらい女性らしくなった香奈の肩のどこか可愛らしく丸いラインや、鎖骨のなめらかで日に当たらない健康的に白い皮膚、それが下に行くにつれて緩く描く柔らかな曲線、その先を隠す桃色の下着の縁がわずかに目に入る。 ……待て。 お預け喰らわせといて、誘ってるのか? 溜息を吐きそうになりながら、探るように香奈の目を見る。 さっきまで恥ずかしがっていた顔はどこへやらで今は真剣に俺好みの下着について考えているようだった。 俺をじらす気も、そういった趣味があるわけでもないような、妙に真剣な面持ちだ。 それを見た瞬間に気が抜ける。 本当、香奈って馬鹿すぎる…… 普通、そういうモノは直接聞かないんじゃないか。 というか、もう少し恥らえ。 「中身が香奈ならなんでもいい」 もう、真剣に考えるのが馬鹿らしくなって、言う。 「真剣に聞いてるのにー!」 香奈は本気で俺を責めているような口調だった。真剣に答えてるんだけどな。俺も。 こんな話題、真剣に問う香奈も香奈だが、真剣に答えた俺も俺だ。 むくれた香奈の顔と、あまりな会話とが馬鹿らしくて、思わず少し笑ってしまった。すると香奈は俺の頬をぺちぺちと軽く叩いてくる。 「なんで笑うの?」 あからさまに睨んでくる香奈は不機嫌そうだ。俺は、何故だか、そんな香奈を可愛らしく思ってしまう。ああ、俺も末期なのかもしれない。 「香奈が好きだから」 さらりと出た俺の言葉に、香奈が赤くなる。 俺の珍しい好意をダイレクトに伝える発言に、香奈はどう反応して良いか解らないらしく「ありがと……」と小さく答えてきた。 それから、しばらく、こまったように視線を浮遊させていた香奈が俺にぎゅ、っと抱きついた。そして俺の顔に、香奈が唇を寄せ。耳元で。 「やっぱ、してもいいよ」 そうして、小さな声が続けられる。 「私も若好きだから」 今更なのに、耳元で囁かれたその声に、心臓が一度強く脈打った。 「でも、ぱんつみちゃだめ!」 けれど、次の一言に思わず笑う。 自然に噛み殺した笑声が喉から洩れ、香奈はやはり恥ずかしそうに俺の頭を叩いた。 こんな仕草も可愛いと思ってしまう、なんて。 ダメだ。 俺はもう本当に、相当、香奈にハマってる。 |