かくれんぼ
 駅中の雑踏を、人を避けながら歩いている途中、ふと、気づいて首を右に捻り後ろを振り返る。目的のものを見つけられずに視線を下ろす。しかし、それでも見つけられずに今度は左へと首を向けると、俺と視線が合った香奈が、ほんの少し意地の悪い笑みを浮かべていた。
 むかついたので「チビ」と言うと「そのチビを探してたのは誰ですか?」と勝ち誇ったように香奈は笑った。
 悪戯が成功したような香奈の子供らしい笑顔を、どうしてか俺は可愛く思う。それを悟られない為に少し乱暴に香奈の手を握って隣を歩かせる。まるで子供の保護者のように。
 仕方がない。香奈は小さくて、すぐに俺の視界から逃げてしまうのだから。俺が彼女の手を取りたいわけではないのだ。
 香奈は、基本的に人の前を歩くような性格ではない。
 “三つ指ついて三歩後ろ”なんて言葉を香奈は口にしたことがある。いかにも昔の良妻というイメージだが、三つ指はともかく、香奈は確かに俺の一歩程度後ろを歩こうとすることが多い。
 それでも、俺が歩みを緩めると、その開いた一歩分軽く駆けて、嬉しそうに隣に来る。
 よく考えれば有田と歩いているときも、香奈は半歩ずらして歩いているように思う。それが香奈の気性なのか、それとも、横を並んで歩くと他の歩行者に迷惑だと言う配慮から来るのかはわからない。
 ただ、たまに香奈はこんな感じで、悪戯とまでは言わないけれども、自分の低身長を自覚していて行動することがある。前にいるのならばともかく、後ろにいる時の香奈は見つけ辛い。
「若、私が迷子になったかなって一瞬心配したでしょ」
 迷子、などとあっけらかんと口にする辺りプライドがなさすぎるような気もしたけれど、そんなおおらかさや、勝ち誇っているように見せた嬉しそうな笑顔で、俺はさっき少しだけむかついたことも忘れそうになる。
「してねぇよ」
 言うと。
「してたよ。ちょっと焦ってた」
 返される。
 大きく溜息をついてみせると、香奈は笑顔を消して「でも、もうちょっと伸びたかった」と言った。異常なほどの低身長という訳でもないのだけれど、香奈なりに日常不便な所があるのだろうかと思い、けれどどうせ高い場所のものが取れないとかその程度だとあたりをつけて「そうか」とだけ返した。
 それでも、香奈はなおも言葉を重ねる。
「背伸びしても、もう、私からはキスできないんだもん」
 そう言って、香奈は軽く背伸びをして見せた。想定外のセリフに、ほんのわずかに動揺した。
 俺は着実に身長が伸びていて、鳳にも“日吉の顔が近いとへんな感じだよね。まだ俺のほうが高いけど”などとむかつく言葉もかけられる程になっていて、背伸びをした香奈の唇は、香奈が頑張っても俺の顎先程度にしか届かない。背伸びをしたのは一瞬で、また香奈はとことこと歩き出す。
「何でも子供料金でいいな」
 と、からかって言うと、香奈は「その身長分けてよ」とうらめしげに睨んでくる。そんな香奈が可笑しくて「布団の中なら関係ないだろ」と言えば「せめてベッドって言って下さい。えろしさん」と、カウンターを喰らった。
 少々悔しかったので「小さいところも気に入ってるから」と言ってやると、俺の思惑通り香奈は赤い顔をした。本気で恥ずかしがっている。言った俺も、心の中で呆れるような台詞だったけれど香奈には効果抜群だったようだ。
 勝負ではないけれど、勝負ではないのに、とりあえず自分の勝ちだと満足して、駅前の駐輪場に向う。今日は、兄が前日から駅前に放置してしまっているバイクを取りに行けと頼まれていたので、香奈を迎えるついでと言うわけだ。一応、二輪の免許は持っているが、バイクは五月蝿くてあまり好きではない。嫌いではないけれど、マフラーを換えたからエンジン音の聞こえ方が変わっただろう? などと兄に聞かれると困る程度には興味がない。
 そうして止めて置いたバイクの元へ歩いている途中で、何か小声で香奈が言ってきた。けれど、残念ながら声が小さすぎて何か喋ったと言うことが分かる程度にしか聞こえなかった。聞き返すと。
「……胸、は?」
 おずおずと、少し以上に不安そうに香奈が言う。
 しかし、その言葉の意味がわからない。なので軽く眉を寄せてその問いの応えにして、ヘルメットを手渡す。
 香奈はもう、それ以上は何も言わず、素直にメットを被る。なかなか似合わなかった。似合わないなと素直に口にすると「私にはエプロンが似合えばいいんです」と冗談めかして返された。
 それから、腹部にまわされる香奈の手のひらの感触と背中を包むような温かさを確認して、それから、先ほどの香奈の問いを思い出して、唇だけで笑う。
 ああ、なんだ、そんな事を気にしていたのか。
「そっちも気に入ってる」
 あまりにタイミングをずらした回答に、香奈は何のことを言われたのかわからずに「え、何が?」と聞いてきた。それは無視して走り出す。
 帰路への途中で、俺の言葉の意味に気づいた香奈が、照れてメットをしたまま頭突きしてきたのには困ったけれど、今日の緒戦は俺の優勢だと、勝負でもないのに、満足して笑う。
 とりあえず、自室に着いたら、香奈の胸を小さいと感じたことなどないと伝えてやろうと思った。気が向いたら。