Rock-a-Bye, Baby

 朝、若と私の愛の結晶である(こんな形容をしたら若が本気で嫌がりそうだ)双子の若菜ちゃんと龍星くんにミルクを飲ませた後、リビングにぺたりと座る私を、シャワーを浴びた若は怪訝な顔で見下ろしている。
 それはそうだ、私は、若菜ちゃんのオムツを変えている最中に、ふと思い当たって若菜ちゃんの胸に耳を当てていたのだから。
 床の上に敷いたタオルケットの上で横になる娘の胸に顔を乗せる妻。
 なるほど、訝しく思う状況ではあろう。
 うむ。

「とくんとくん……って」
 そう言うと、何となくは私の言いたい事を理解してくれたのか濡れた髪をタオルで拭いながら呆れた様に息を吐く。
 肩にタオルをかけてキッチンへ朝食を作りに行く若の背中を見てから、私は若菜ちゃんの服を着せた。
 寝起きで不安定なせいか、着替え終えてベビーベッドに寝かせようとすると若菜ちゃんは大声で泣き始めた。
 龍星くんは、ふぁあん、と泣くけれど、若菜ちゃんは、ぎゃああああん、と泣く。
双子なのに不思議なものです。

 とにかく、ぎゃあぎゃあ泣く若菜ちゃんを仕方なく抱き上げるとピタリと泣き止んだ。
 試しに一〇センチほど私から離してみると、また火がついたように泣き始める。
 仕方なく、ぎゅう、っとぴったりと身体を密着させて抱きしめる。
 その途端にぴたりと泣き止む若菜ちゃん。
 もう一回、ちょっとだけ私から離してみる。

「ぎゃああああああああぁあぁぁぁぁぁぁん」
 やっぱ泣いた。

香奈、あまり甘やかすな」
 泣き止ませるために若菜ちゃんをまた抱きしめると、キッチンから、髪を少し湿らせたままの若が咎めるように私に言った。
「ほっとけってこと?」
「ある程度はな」
 さらりと言って、お湯を沸かし始める若をちょっとだけ睨んで、若菜ちゃんをベビーベッドに寝かせる。
 やっぱり泣いていたけど、若菜ちゃんの大好きなぬいぐるみを目の前で揺らしてあげると、ひくひく、っと喉を鳴らしてぬいぐるみに手を伸ばす。
 若菜ちゃんのもみじみたいにちいさくてふくふくした手がぬいぐるみに届く寸前にちょっとだけ距離を置いてみると、“なんでそんな意地悪をするの?”とでも言いたげな悲しそうな目で見られたので慌ててぬいぐるみを渡してあげた。
 まだ、ちょっと涙目だけど、ベビーベッドの上でぬいぐるみを握っては離してと楽しそうだ。
 見た目とかよりも、色とか感触とかが何となく好きなんだと思う。

 何かを焼いているじゅうじゅうした音と、美味しそうな香りに顔を上げると、若は手早く無表情で料理を作っていた。
 若は和食が好きなので、今日の朝食は和食だろう。
 美味しい鮭をお義母さんに送ってもらったから、多分それだろうな。
 私は、双子ちゃんの機嫌がいい事を確認すると、ゆっくり離れて窓を開けて換気する。
 それからキッチンへと向ってお皿を用意したり、ご飯を盛ったり、若のアシスト。
 そういう事でも何だか幸せだなー、なんて。顔がにやけた私に、若はちらりと訝しそうな視線をくれた。
 ごめんね、怪しくて。

 簾のようなランチマットを二つ敷いて、若に渡されたおかずやごはんを乗せていく。
 お互いに椅子に腰掛けると、いただきます、と手を合わせて食事開始。
 一年以上こうしているのに、いまだに妙に幸せを感じるひと時。
 たぶん、私だけなんだろうけど。

 そう、同棲を始めたのが去年の四月。
「早いなあ」
 お箸を口に含んだままそう呟くと
「行儀悪い事をするな。仮にも人の親になったんだから、きちんとしろ」
 と、即座に怒られた。
「はい」
 今度はお箸を口から離して答える。
 確かに子供を育てるのは責任重大だもんね、と思いつつ、若が最近、少しピリピリしてるような気がしないでもない。
 というか、する。
 特に、最近。
 来月、短期留学するから、それのことなのかもしれないけど。
 もしかしたら――双子ちゃんの夜泣きのせい、とか?
 そ、それだったらどうしよう……。
「あの、若、今日は私が二人を送ってくから……」
「別にいい」
 即答ですか。
「や、でもほら、今日は若、一限からでしょ? 私もたまには運転しないとなまっちゃうしさ」
香奈は、もう なまってるから嫌なんだ」
 ……返す言葉もございません。
ペーパードライバーに毛が生えた程度の初心者ドライバーです。
「あ、のさ……若、もしかして、機嫌、悪い?」
「いや。何でだ?」
 さも不思議そうに返されて、ちょっと困る。
「……ううん。なんとなく?」
 若は、ちょっと私を見てから、ふぅ、と息を吐いた。
「……そこまで運転したいならすればいい」
「う、うん……」
 別にそういう訳じゃないんだけど勘違いされてしまった。
 実は運転しなくてすむなら、ホントはしたくないし……(身分証明のつもりで免許取っただけだし)
 そして、結局、今日は私が双子ちゃんを護送する事になりました。

 学校が終わって、龍星くんも若菜ちゃんも迎え終わった帰宅後。
 まずは龍星くんの晩御飯。
「よし」
 小さく頷いて、キッチンから、わざわざリビングで勉強している若をちらりと窺う。勉強の妨げになってはいけないので、話しかけない。
 自室で勉強しないのは、多分、私を気にかけてくれているからだと思う。
 ちなみに、タオルケットをしいたソファの上で龍星くんと若菜ちゃんは寝ている。

 そして、私は牛乳とコーンスターチの入った鍋の中身とにらめっこ。

香奈

 声を掛けられて若の方を振り向くと、ノートをパタン、と閉じて(中学の頃からノート派な若。バインダー使ってるの見たことない)こっちへ来た。
 首を傾げて見上げると、若は冷蔵庫から干したプルーンを取り出して、一言。

「手伝う」

 勉強は? 、と聞こうかと思ったけど、勉強を蔑ろにしてまで若が離乳食作りを手伝うことはありえないのでお言葉に甘えてしまおう。
 いつも作ってるプルーンのブラマンジェ。
 若菜ちゃんは好きじゃないけど、龍星くんがよく食べるから頻繁に作る。
「じゃあ、お湯沸かしてくれる?」
「熱湯入れて潰せばいいんだよな」
 小鍋に水を少し入れながら、尋ねるというよりも確認する口調で若が言う。私はこくりと頷いて返す。
 水で濡らしたおにぎり用のうさぎさんの型に、ブラマンジェを注ぎ込んで、冷蔵庫へ投入。
 コンロの前の若の隣まで行くと、小鍋に少量の水で一気に沸騰させた若はディップ用の器にプルーンをいくつか入れてから、私を見る。
「ストップって言うまで入れて」
 若は無言で小鍋を傾けて上手にディップ用の器に熱湯を注いでいく。
 私なら絶対溢してしまうのに――だからおたまを使って入れる――器用だなぁ、と思いつつストップをかける。
 小さなポテトマッシャーみたいなの(商品名忘れた……)を差し出すと、若の大きな手はやっぱり器用にプルーンを潰していく。仕上げは私がスプーンの背で潰してプルーンのソースが出来上がり。
 一口味見。
 うん、こんなものかな。
 スプーンにソースを少し掬って若の口元に持っていく。
 味見した若に「薄い?」と聞くと「こんなもんだろ」とのお答え。
 とりあえずブラマンジェは出来上がり、と。
龍星の分だろ? 若菜は決めてあるのか?」
「うん、レバーバナナ」
 あ、眉間に皺。
「……レバーとヨーグルトの時もあったよな」
若菜ちゃん、貧血気味みたいだから」
 母乳で育ててる赤ちゃんには多いんだって、とは言えなかった。
 恥らうものでもないかもしれないけど、でも、ちょっと恥ずかしいのは何でだろう。
 物凄く微妙な顔をしている若を尻目に私は冷蔵庫から、臭みを消すためにミルクに浸した鶏のレバーを取り出す。筋も取ってあるし、血抜きも完了。
「茹でるから、お湯沸かして?」
 微妙な顔をした若は一応私の言うとおりにお湯を沸かし始めた。
 私はミルクからレバーを取り出すと、私達の夕飯用と、若菜ちゃん用に分ける。
 若は私から簡単に説明されたとおりにフルーツの籠からバナナを取り出して、皮を剥いて一口に切ってくれている。
 ボウルに入れた夕飯用のレバーに味付けをして、ザ、っとバナナを切ったまな板を洗うと買っておいたニンニクの芽をざく切り。
 若は既に小さなすり鉢を用意してレバーを茹でてくれていた。
 炊飯器がご飯が炊けたと音を出す。
 私は、あとは炒めるだけのレバーを冷蔵庫に入れて、ご飯をかき混ぜて、蒸らす間に、先に龍星くんのブラマンジェをお皿に取り出す。
 それからプルーンのソースをかけてスプーンを添えてラップに包む。

 若は丁寧にレバーを擂っていた。
 若菜ちゃんは舌触りが悪いと「べえ」って口の中に入れたものを出してしまうことがあるので、それを心得ている若は丁寧に擂っていた。
 そんな若の手馴れた手つきに笑ってしまいそうになる。笑ったら不機嫌になるから笑わないけど。
 龍星くんと若菜ちゃんがお腹にいる頃は、悪阻の酷い私のかわりにキッチンの主は若だったから、当たり前なんだけど、やっぱりちょっと面白い。
 でも、こんな面白い若は私以外の人には見せてあげない。秘密を独占している優越感で小さく笑う。

 潰したバナナの入った器ですり鉢を示す若。
 いいよ、と頷くとレバーのペーストにバナナを投入した若は微妙そうな表情だった。
 栄養価の高い組み合わせだから身体にはいいのに。
 私も率先して食べたくはないけど。それにしても離乳食の本はびっくりする組み合わせが書いてあったりする。やっぱり大人のご飯よりは味も薄いし組み合わせも栄養優先だ。

 スープと温野菜のサラダと、龍星くんと若菜ちゃん用のおかゆを同時進行で作る。
 バナナとレバーの離乳食は、たいへん素敵な色をしていた。
 くすんだ黄色、みたいな……でも、若菜ちゃんはバナナ好きだったはず。ヨーグルトレバーも、もぐもぐ食べてたし好きなバナナならなおさら大丈夫なはず。

 くまさんの陶器のお皿にバナナレバーをよそいながら、やっぱり若は微妙な顔。
「味見する?」
 ちょっと意地悪に聞いてみると、誰がするか、って目で睨まれた。
 私は肩を竦めて大人用にレバーを炒め始める。実は私も最近貧血気味なのでレバーはそれなりに食卓に並ぶ。妊娠中はビタミンAの過剰摂取にならないように鉄剤だけで、レバーは控えていたけれど、今私のお腹はからっぽなので丁度良い。
 若は私がレバーとにんにくの芽を炒め始めたのを見て夕食の為の器を二人分用意してくれる。
 残り物野菜の温野菜のサラダ、根菜と海草と卵のスープ、最後に若菜ちゃん用レバーの余りの炒め物。
 今は忙しくて、手早く作らなきゃいけないから難しい料理は無理で、いつもこんな感じ。


 私達が食事を終えても、双子ちゃんは眠りっぱなしだった。
 赤ちゃんは寝るのが仕事だけど、今、ここまで寝られたら夜中に寝なくて大変な事になる。
 私もきついけど、若も同じ部屋で寝てるからきついよね。
「あのさ、若」
「なんだ?」
 食器を洗いながらやっぱり勉強してる若に話し掛けてみる。
 顔は上げなかったけど答えてくれたので、手をタオルで拭きながら若の側まで行った。
「今日は小さい方の部屋で寝たら? それか、ベビーベッド、小さい方の部屋に移動させて私が寝るとか」
 私の言葉に、若はノートから顔を上げた。
 あ、ノートじゃなかった、レポート用紙だ。
 それから、椅子に座ったまま私の顔を見上げる。
 視線が合う。若の目は確かにちょっと怖い感じ。切れ長で目尻が少し上がってて、眉もしっかりと真っ直ぐだからなんだろうな。手入れしなくていい眉を持ってるなんてうらやましすぎる。
 じゃ、なくて。
「えっと、たぶん、若菜ちゃんとか、夜泣きすると思うし」
 若の問うような視線に、答えると、今度は“不可解”とでも言いたそうな顔をした若。
「今更だろ?」
「そうなんだけど……あのさ、若」
 椅子に腰掛けている若の横に膝をついて、ちょっと見上げる。
 立ってた時よりは距離が近くなった。
 テーブルの上の若の手に、自分の手を重ねてみた。皮膚はひやっとしてたけど、すぐにじんわりと二人の体温が混ざる。
「何か、苛々……してたりとか、疲れてたり、してるでしょ?」
「それは、香奈だろ?」
 う、そりゃ、まあ、疲れてますけど。
 ぶっちゃけ、一日オフ貰えたらお買物二時間、美容室一時間、リフレ一時間、睡眠二十時間って割り振っちゃいそうな程度には疲れてるけど。
 いや、うん疲れてますよ。
 でも、幸せだから。
 若菜ちゃんも龍星くんもかわいくて疲れなんか消えてしまうのだ。それはちょっと嘘だけど、そういう気持ちの面では元気。
 本当に本当にダメになっちゃう程になったら、若とかに泣きついてるし。ママたちも助けてくれてるし。
「私はママだから、子供の世話をするのは当たり前だし、若の奥さんだから、家の事やるのも当然だし」
「勉強もしてる上に、日数を減らしたとは言えバイトもしてるだろ」
「んー、勉強なんて、家じゃあまりしないし。専門だし。バイトだって気分転換したい時に空いてたらお願いして入れて貰ってるだけだし――それより、若のが大変でしょ? それに、最近、ピリピリしてるから……」
 氷帝の大学なんて、目的が無ければすぐに浪人してしまうし、三年で就職活動するみたいだから、二年までに取れるだけ取っておいた方がいい。氷帝の大学は頭いいし、なんて自分だってあのまま進学してたら同じ大学だったんだけど。
 テニスサークルだって頑張って大会目指してるし、バイトは若だってしてる。
 首を傾げて若を見上げると、若は眉間にしわを寄せて溜息をついた。
 反射的に手を伸ばして眉間の皺を伸ばす。折角かっこいい顔なのに、跡が残っちゃったら勿体無い。
 その手は直ぐに若に捕まえられてしまったけれど。

「……気持ちが急いてるだけだ」

「うん?」
「俺は今、ただの学生で、お前たちを金銭的にすら養えない」
 私の手を離しながら、苦い言葉を吐いているような、若の顔を見つめる。
 若は、また溜息を一つ。
「いつも家事や育児を手伝える訳でもない」
 こうゆうとこ、好きだなあ。
 責任感が強いというか。
 短期留学のこと、私に迷惑をかけてしまうって、思ってるのかな。
 だから、余計焦ってたの?
「早く卒業して働きたいと、そう、思っていただけだ」
 若は、自分の手で、私達を……なんというか、護りたいというか、きっと、そんな風に思ってくれてるんだ。
 ホント、大事にされてるなって、愛されてるなって思って、ちょっと顔がにやけそうかも。
「あんまり早く社会人になったら、もったいないよ。遊園地だって学割だし。携帯も学割で家族割だし」
 ああああ、若が“こいつ馬鹿だ”って目で見てる。
 えっと、違くて。
 本当に言いたいのはそういう事じゃなくて。
「若の気持ちは嬉しいよ。でも――えーと、何て言うか……うー……大丈夫だよ」
 ぽんぽん、と若の手を撫でたたく。
「若が元気で、龍星くんも若菜ちゃんも元気で。みんな一緒にいられて、私は嬉しいし幸せだし。お義父さんもお義母さんもパパもママも皆、私達を助けてくれるんだから、一人で頑張らなくていいんだよ。ゆっくりで」
 それから、若の手から手を離して、若のほっぺたを両手で包んで、鼻のてっぺんをくっつけて。
「だって、これからずっと一緒に居てくれるんでしょ?」
 納得していないけれど、仕方がないかって諦めムードな若に聞くと、即答してくれた。

「その覚悟だ」

 覚悟……覚悟かぁ……。
 その言葉にちょっと笑ってしまう。
「でも、よかった。育児に疲れて私の事嫌になっちゃったのかと思ったよ」
「俺は、そんな理由で香奈を嫌ったりしない」
「私も。若のこと嫌いになったりしないよ?」
「……そうだな」
「うん。若大好き。若マニア」
 そう言うと、若は冷たい目で私を見た。
 私は思わず笑ってしまう。今更ながらに恥ずかしい台詞だと思ったり。

 ねえ、若、若菜ちゃんや龍星くんが独り立ちして、私達がおじいちゃんやおばあちゃんになっても、こんな風に笑えてるといいよね。
 二十歳になっても、その後も、ずっと、若と一緒にいられたら、嬉しいな。

 あ、いま、若にキスしたい。

 とか、思ったら、若が私の手を握って自分の頬から離して、それから軽くキスしてくれました。
 何も面白い事なんか無いのに、二人で、ちょっとだけ笑ってた。