少女が黒煙をじっと眺めている。 少女は膝を折り、手のひらを己が太腿に乗せ、じっと黒煙を眺めている。煌々と熱いほどの熱を照り付けられている。 たっぷりそれを眺めてから、たっぷり熱で体を温めてから、少女はポケットから携帯電話を取り出し、まず一を押した。息を吸ってからもう一度。最後に、たっぷり深呼吸してから九を押した。 『救急ですか? 消防ですか?』 電話の向こうの冷静すぎる声に、少女も同じくらい冷静に「消防です」と答えた。 ◆◇◆ 「燃えたものはなんですか♪」 クラスメイトの一木ゆづるが、自虐的な歌を歌っている。 一木は、近所のじいさんやばあさんと趣味でハウス栽培をやっていて、それらをレポートの題材にしたものを小学生の頃から提出し続け、文部科学大臣賞とかいうのを小学校の六年間は勿論、中学に入ってからも毎年とっていた。 タマネギの芽の伸び方とニンニクの芽の伸び方だの、切ったネギの中心が伸びるのは何でかだの、陽光の当たり方でどうのだの、根の先の方と根元の方の細胞ではどうのだの、かなりマニアックだった。顕微鏡を買ったと聞いて少し引いた。 学校の行事があっても“サニーレタスの時期なので”とクラスメイトに反感を買いながらもさっさと帰っていた自己中心的な女子だった。 これは一木も悪いので、おそらくは煙草による失火でビニールハウスが全焼したと聞き、影で“ざまぁみろ”と笑っているクラスメイトもいた。 俺は、ざまぁみろとは思わないし、残念だったな、と一木に一言伝えたが、一木は「そーだね」の一言で会話を続ける気はなかったようだ。一木とは別に仲は良くないから、こんなもんだろう。 しかし、一木はただではすまさなかった。 消防車が来るまで燃え盛るビニールハウスの写真を携帯で取り捲り、持っていた白いハンカチで空気の汚れを取り、消防車が来た時間から、消化剤の舞い散り方、風の方向、消火後には燃えたビニールハウスの写真と、無残な野菜を何種類か持って帰り、どれが一番よく焼けていたかだの、土の焦げ方だのを研究して発表した。 イギリス人並のブラックジョークのような研究だったが、やはり一木は賞をとった。変人と言うのはよくわからないと、俺は思う。 でも、そこがまたクラスメイトの鼻に触ったらしく、一木はやはりいつも一人で、なんとなく俺は居心地が悪かった。やっぱり、クラスメイトは仲良くしているのが一番だろう。と、俺は思うのだが。 「一木さんですか。彼女は自分の好きで一人でいるんですから、余計なお世話というものですよ」 汗を拭いた観月が、特に興味もなさそうに溜息をついた。 裕太に負けた金田が、あまりがっくりした表情をしているので、裕太がフォローしていて、部長としては嬉しかった。俺から見ても、金田も裕太もいい勝負をしていた。 観月がそれぞれにタオルを渡して、今の試合のおさらいをしていた。観月のアドバイスはいつも的確だ。 「赤澤は一木が好きなんだーね?」 「いや、好きじゃないぞ。――嫌いでもないが。ああやって一人でいられると居心地悪くないか?」 「面倒見がいいんだよ、赤澤は」 木更津の言葉に、確かにそうかもしれない、とうなづく。 「可哀想?」 「いや、可哀想と言うよりは――やっぱり落ち着かない感じだ。部活でも一人で行動してるやつがいると気になる」 俺の言葉に木更津が、外国人みたいに肩をすくめた。 「ま、どうでもいいだーね。それより特訓するだーね」 木更津も俺も、柳沢に同意して、またラケットを振り始めた。 ◆◇◆ 同室の早川楓が、顔を赤くさせたり、何故か怒りだしたりしながら話しているのを、ベッドに腰を下ろしたまま聞いている夜八時。 楓は、この聖ルドルフ学院、女子テニス部一年。身長は百五十五センチメートルで小学校からテニススクールに通っている精鋭だ。性格は素直じゃないというか天邪鬼と言うか。可愛いけど、少なくとも同学年の男子にモテるタイプじゃぁない。あたしは可愛いと思うんだけどね。 ちなみに私は三年。各学年で余った寮生をくっつけられた感じ。別に文句は無いけど。 楓の口からこぼれる言葉から判断するに、不二裕太の鈍感さにイライラしてるんだろうなぁとあたりをつける。へんなことを言うと、照れ隠しで攻撃的に反論されるから、言わないけど。 「先輩! 一木先輩! 聞いてます?」 「うん。聞ーてる聞ーてる。で、何だっけ?」 本人にとっては必死な事柄なんだろうけど。三年のあたしが、二年と一年の恋愛の橋渡しなんてできないし。 お似合いだとは思うけどね。金田一郎とかだと、楓が強すぎちゃうだろうから、不二裕太で丁度いいとは思うんだけど。 別に、上手くいってほしいけどね。 「ハロウィンパーティでセクシーな仮装すれば?」 「何言ってるんですか!」 とたんに顔が赤くなった楓は、同室と言う贔屓目から見て、可愛い。 九時の点呼まで楓はいかに不二裕太が鈍感か、いかに青学の小鷹那美さんが自分を馬鹿にしているかなどを切々と語ってくれた。 某ラジオ番組のお手紙で、小学生が「ストレスの解消方法を教えてください」と書いていたけど、中学一年の楓もそうとうストレス指数は高そうだ。 そりゃあ、ビキニ水着まで海で見せたらしいしねぇ。あの時から“早川って意外に色っぽい! ”とか、野村拓也とか、その他もろもろの男子が、乙女ドン引きトークをしてた。 それを楓の耳に入れないように無駄に頑張ったなぁ、と楓の言葉を右から左に流しつつ懐かしく思う。 消灯後も、楓は、今日はやけに嫌なことでもあったのか、ずーっと話していた。ずーっと相槌をうってあげた。 翌朝、私たちの目の下には黒いゴシックフォントで寝不足と書かれていた。当たり前だ。 急に酸素が足りなくなって、くぁ、とあくびを一つすると、観月はじめが眉間に皺を寄せてはしたないと言ってきた。 楓が部屋の机の上に、観月はじめに毎日提出を義務付けられている日記を忘れていたのでテニス部のコートまで届けに来てあげたというのに、観月はじめは「僕が渡します」と、楓に会わせてくれずにこの態度だ。ツンケンしやがって、と思いもすれど、まあ、どうでもいっかー、とも思いもする。 「じゃーよろしく」 それだけ言って、ぁふ、ともう一度大きくあくびをする。 ふゎわわわ、と声に出して言いながら手のひらで大口を塞いだり塞がなかったりしながら、もう用はないと踵を返す。 「ああ、一木さん、今日はスクールですから早川さんの帰りは遅いですよ」 「あーあー、狼しないでね」 肩越しに手の甲を観月はじめにひらひらさせて見たら、顔は見えなくても、観月はじめの視線があたしにレーザービームしてるのがわかった。視線って質量ないよねぇ…… さて、何ヶ月か前にハウスは燃えてしまったので入学してから勝手に作っている畑へ出て行く。毎年六月には授業でヨウ素液がどーだのやるのに、ジャガイモを提供したから、一応黙認はされてる一木菜園。今は、なんとか早めに収穫できるように四苦八苦した芽キャベツがいい感じである。収穫はまだ先だけど、いい感じになってる。 というわけで芽キャベツはいい感じになくなっていた。別に収穫してないのに何でだろ。 何でだろと思っていたけれど、仕方ないので芽キャベツの残骸を掃除して、もりもり畑にクワを入れて掘り返す。あと、ついでだから離れた場所で育てていたヤーコンも収穫する。高麗人参を作ったときは失敗だった。他の食物が全く育たなかった。アレは土の栄養を取りすぎる。 さて、何を植えようか。 とりあえず、土の酸度を酸度計で調べてから、土壌活性剤を芽キャベツが失踪した畑にもりもりする。どうでもいいけど、与作が歌いたくなる。どうでもいいけど。 土作りも終わったし、汗もかいてきたからとりあえず今日は終了した。夕食の時間になって、遅れたら食べれなくなってしまう。今日の夜は部屋で植物図鑑でも読んで次に何を植えるか考えよう。春までに収穫できるものでないといけない。 何を植えよう、と考えると頭がぽわーんとしてかなり幸せだ。楓にも畑作りを趣味にするように勧めたけれど、なんか、蛆虫見るみたいな目で見られた。あたしの先輩としての威厳とかってどこにあるのか。 ところで夕食は寮母さんの作ってくれた芽キャベツのパスタだった。 著名で高齢な有名人が“適宜”が読めなかったことに感動を覚えた、食後の 思うのだけど、寮長は絶対に自分の子供のおもちゃを学校経費で落としてる。別にいいけど。でも、中学にもなってボールプールで遊ぶのはあたしくらいだから、もっと選べばいいのに、おもちゃ。でも男子寮の娯楽室にはほとんどおもちゃがないらしいから贔屓はされてるんだろな。 ボールに埋まっていたら楓が「点呼まで三〇分しかないんですから早く戻ってください!」とあたしを迎えに来た。 あ、ちなみに“適宜”は“てきぎ”と読みます、よ。意味は、まあ、今回は、料理のレシピを読み上げるときに使ってたので、ちょーどいい量……適量みたいな意味だと思う。適宜解散するようにー、とか、そんな使い方もする。 まだ三十分もあるじゃん、と言っても楓はあたしの首根っこを掴んで離さなかった。過去五度ほど点呼に間に合わずに連帯責任でトイレ掃除をやらされた楓は、厳しい。 ああ、でも、これは普通に私が悪いんだけど。 とりあえず、部屋に戻って寮母さんの点呼が終わったらベッドにライトを引っ張ってって植物図鑑を眺める。何がいいかな。美味しいものがいい。あたしは花を植えるタイプじゃないし。植えるなら野菜だ。 とか、にやにやしながら植物図鑑を眺めていたら楓がなんか話しかけてきた。 芽キャベツは勝手になくなっていたので別に寮母さんにあげたわけじゃない、と答えた。あー何植えようー。今度おじいちゃんに相談してみよう。別にお祖父ちゃんじゃないんだけど。 翌日、調理実習室で、昨日捕獲したヤーコンのカレーを作ってみた。ちょう作りすぎた。なんと言うか、ニンジン切り過ぎたからジャガイモをさらに投下したら、それに見合った肉を炒めなくちゃいけなくて、そしたらルーも多くなるし、ヤーコンも余ったら醤油漬けにしようと思ってたのに、研究用の分がギリギリ残せたくらいだった。 で、料理漫画見ながら、林檎とか醤油とかソースとかインスタントコーヒーとかケチャップとかチョコレートとか漢方薬とか隠し味を入れまくったら味がごちゃごちゃして濃くなりすぎて、味を纏めるためにまたカレールー投入したら味はまとまったけど濃いなんてもんじゃなくなって、ふちギリギリまで薄めたら美味しいは美味しいけどなんていうか、寸胴いっぱいになった。重さで言うと二十キログラムは確実にある。 寮の夕食にしたって作りすぎ。って、寮母さんに叱られた。 料理は好きでもないけど、嫌いでもない。得意でもない。ただ、自分で作った野菜を食べたいから、何か作るだけで。カレーは色んな野菜を投入できる。きゅうりなら適当に長く切って味噌で食べるし、イモ類ならふかして塩とかバターとか、適当に塗って食べる。 まあ、多くなってしまったものは仕方ないので、今日は学校で練習中の楓に「誰でもいいからカレーを食うやつを調理実習室に連れて来い。来ないとこれから毎日点呼の時間には宇宙に消えてやる」という脅迫文を送ってみたら、物凄い怒りながら部活が終わった後に楓はやってきた。物凄い怒っていた。 すぐ来てくれると思っていたので部活が終わるまでの時間、あたしは寸胴を構えていつでも反逆した楓にかけられる体勢で待っていた。それを知ったら、物凄く呆れた顔をされた。先輩って本当は頭悪いですよね、とか言われた。 とりあえず、テニス部のメンバーと、楓の寮の友達が来て、もしゃもしゃカレーを食べてくれた。ヤーコンはなかなか宜しい歯ざわりでいい感じだった。やっぱりこういうのは大きな鍋で作るに限る。 赤澤吉朗が五杯くらい食べた。蜂蜜と林檎とココナツミルクで――隠し切れなかった隠し味――お子様用に甘くなったカレーなのによくそんなに食べれるなと思ってたら、不二裕太も子供用カレーが好きな甘党らしく山盛り二杯食べた。 ところで、あたしには楓以外に友達がいない。 楓も後輩でルームメイトだからしぶしぶあたしに付き合っているのだろうけれども。 別に、必要なときに必要な感じで必要なことは出来る程度なので、全然問題ないと思っている。 だから、カレーを食べているカレー色の男にどうこう言われるいわれはないのだけれど、なんというか、赤澤吉朗は赤澤吉朗なりにあたしを心配してくれているようなので、とりあえず、また今度カレーをつくったげる約束をした。一木菜園には、またジャガイモがごろごろある。 しばらくして、今度は我が菜園に『放火魔』と書かれていた。魔は略字だ。广(まだれ)の下にはカタカナで“マ”と書かれてる。 もしかして芽キャベツの失踪もこの人の所為なのかしらと思いつつ、寮の夕食に出たパスタがあたしの芽キャベツだったらうれしいなーと思った。廃棄されるよりも食事に使われる方がいい。農薬を食べちゃいけないレベルでたっぷり使ったやつはプランターで別に植えていたから、アレは食べられるやつだった。研究には使えなかったけど。芽キャベツは大きなマスカットみたいで可愛くて好きだったんだ。 湿った黒い土に校庭にラインを引くための白い石灰が、なんか……餅みたいな色あいだなぁとか思いつつ。なんか、めんどくさくなって残ってた無農薬――今年夏に自作ハウスで作ったトマトは残念ながら病気になってしまい、ギリギリ必要な分だけ使った。売るレベルの商品の無農薬・無化学肥料って実は作るの超大変だ――ジャガイモを全て掘り起こして、あとはもう放置。 ジャガイモに見合うだけの量の、ナスとかしーたけとかエリンギとかのもらい物の野菜と、寮母さんにもらった期限のヤバイ筍とかの缶詰でカレーを作って、楓に「勝手に食わせといてー」と伝言してセルフで食べたい奴に食べてもらうことにした。 ていうか、さすがに放火はしませんよ。重罪だし。懲役なしで実刑判決下るし。あ、あたしはまだ少年法で守られてるのか? よくわからないな、そっち方面は。 ◆◇◆ 最近、一木は菜園に行かなくなったらしい。早川伝手に聞いてみたが『飽きたぁ』という返事だったらしい。俺には理解できん。 「それは、半分は嘘ですね」 興味などまったくなさそうに観月が手にしたボードに何かを書きながら言った。 俺は汗を拭って「なんだ?」と観月に聞く。早川が野村とお遊びで始めたゲームは、早川が勝った。 「そんな簡単に飽きるような性分ではありませよ、彼女は。面倒になっただけでしょう」 「……面倒と飽きるのと、どう違うんだ?」 俺の言葉に観月は心底呆れた顔をして「不毛な会話をする気はありません」と切り上げてしまった。マネージャーらしからぬ態度が、観月らしいが、さすがにカチンとくる。 「おいおい、そりゃないだろ」 と言うと、観月はこっちを見もしなかった。 「あなたが説明して理解するタイプならしますけどね……それよりも今はテニスに集中してください。せっかくスクール組も参加しているんですから」 そう言われて、観月の示したボードを見ると、時間内では終わりそうにないトレーニングがぎっちり書かれていた。まじか? と訊くと まじですよ? と返された。死ぬだろう、これは。 汗が目に染みて、喉じゃなくて胸に痰がからまったように呼吸が苦しい。そんな練習を終えて、一木の耕していた、校庭の隅――というか学校の隅の畑を覗きに行った。クセの強い字で“一木菜園”と立ったプレートは折れて、土は黒と白のまだらにぐちゃぐちゃになっていた。 「一木がやったのか……?」 飽きたにしてはすさまじい状況だ。 「や、あたしはやってないよ。とりあえず、ここはもう学校に返還したから、あたしのものでもないし」 唐突に現れた一木に驚く。一木はそんな俺も無視して、手にしたバケツをまだらの土の上で逆さにした。水が落下する。 一木は土に汚れた白いスニーカーでぐりぐりとそこを踏んで固める。泥になるのかと思ったが、土は水を全て吸収して湿っただけだった。 呆然とその様子を眺めていると、まるでダンスを踊っているみたいに土を踏み固めていた一木が、泥のついた軍手で額の汗を拭う。そして、最後に折れた一木菜園の札を拾い上げて、小豆色のジャージ姿のまま軍手を外して、学生鞄を手にして、学校の外へと歩き出した。 「おい」 思わず声をかけると、一木は屈託なく振り返った。 「あにー?」 「一木、お前、もう、野菜は作らないのか?」 「学校では、もうやめる」 「なんで」 「赤澤に関係なくないかと」 「カレーはもう作らないのか?」 「……たぶん?」 俺の質問が以外だったのか一木は胡乱な瞳を向けてきた。 でもな、俺はそんなことを気にするタマじゃない。 「俺はカレーは好きだぞ」 「……うん?」 「だからな……だからだな……」 だが、言いたいことは上手く言えなかった。観月の奴なら上手く言うんだろうなと焦る。 「俺は一木の野菜で作ったカレーが好きだぞ」 「カレー家政婦?」 とりあえず、なんだかその日は一緒に帰ることになった。 |