大人の言うことは大体一緒だ。 「昔は良かった」「今は恵まれている」「今時の子供は」「甘えている」 いつも言い返したいと思う。 アンタが生きているのは過去ではなく“今”だろうと。なぜ、自分を昔に縛り付けて、自分の今を見ないのだろうかと。 それにプラスして、いつも同じ事を言う人がいる。 毎年毎年、開口一番に、母方の従兄弟、日下部春子は同じセリフを言う。 春子さんの父親、俺にとっての伯父は築地で働いている。その娘である春子さんは毎年新年の挨拶には旬の魚を持ってきてくれる。 そうして、一月十一日、ガラリと玄関の扉を開けた俺に、春子さんは、やっぱりいつものように言った。 「おめでとうございまーす! うわっ若君?! 大きくなったねぇ!」 毎年毎年、そんな大仰に驚かれるほど俺は大きくなっているのだろうか。呆れるほど驚かれる事が、誇らしかった時期はもう終わり、鬱陶しかった時期はもう過ぎ、今年はもう無感動になった。 「おめでとうございます。いつもありがとうございます」 ずり下がった眼鏡を人差指で押し上げてから、儀礼的に挨拶すると 「また声も低くなったねぇ……あんなに可愛かったのに」 これもまたいつもと同じ流れだ。 身体を半身にして、手のひらで玄関を示して、どうぞお入りくださいというジェスチャーをすると、春子さんは挨拶をしながら上機嫌で玄関に入った。 「今年はなんなんです?」 「愛知県は日間賀島産。寒前の天然トラフグでーっす!」 なんとも豪儀な差し入れだった。 お い し い か ん け い 家族に混じって、鏡餅を木槌で叩き割っている 春子さんを、壁に寄りかかり腕組みをしながら観察する。春子さんと俺は中々歳が離れている。四捨五入して一〇年。普通の従兄弟はどれくらい離れているのか知らないが、俺と春子さんの間には、四捨五入十年の壁がある。 春子さんから見れば俺はいついかなる時でもとても子供なのだろう。しかし、三センチ身長が伸びても「すごい!」という春子さんは、鏡開きの何が面白いのか、毎年餅を食いにやってくる。子供のようだ。 ゴッゴッと音を立てながら笑顔で木槌を振り下ろしている春子さんは、なんというか、大人には見えなかった。 母にとっては、春子さんが初の姪でとても思い入れが強いらしい。また祖父母は息子と男孫しかいないからか、外の人間である春子さんを可愛がっている。春子さんのご両親とは年賀状を送り合い、三が日に軽く挨拶するだけだが、春子さんだけは母に懐いているのか祖母に懐いているのか、年に一回必ずやってくる。 そういえば、春子さんは一度も“今時の子供は”などと言わないなと思い出しながら、鏡開きを見守っていた。そうして、餅もあらかた砕けた頃、それはぜんざいにしようということで話がまとまった。 その前に少し早い夕食もしくは少し遅い昼食を摂ることになった。フグ調理師の免許を持っている春子さん自身が捌いて布を巻いたフグが、氷の敷き詰められたトロ箱から出てきた瞬間、居間にはちょっとしたどよめきが走った。 「じゃあ、白子ポン酢と唐揚げと どよめきどころじゃない歓声に沸いた。大人は何故こんなに食い意地が張っているのだろうか。 「ばっちゃんとおばちゃんはお正月にいっぱい働いたと思うから、若君手伝ってー」 大人は何故、年少者に手伝わせようとするのか。 台所へ行き、刺身用の古伊万里の染付け大皿を出す。 「ちゃらららったらー、自家製ちり酢ー♪」などと一人でドラえもんの真似をしている 春子 さんは無視して、白子ポン酢用に口が広く少し長けの低い湯呑のような焼き締めの筒向付を取り出す。てっさ用の小さな印判豆皿を取り出して、 春子 さんが置いたちり酢を注ぐ。 それから、春子さんに言われた通り、大根に箸をぶっ刺し、その中にトウガラシを突っ込み、紅葉おろしザシザシおろす。大根をおろすのは怒った男の仕事だと、耳にタコが出来るほど聞かされていた。 春子さんは、ぺなぺなと柔らかい自分専用のフグ引き包丁持参で、染付けの模様が透けるけれど、貧弱ではない程度にさくさくフグの刺身を引いては、ピンと伸ばして更に盛っている。 鍋には昆布だしが沸いていて、春子さんは刺身を引いては一枚ずつ並べながら、沸いた昆布だしにフグの白子を投入した。 「茹り過ぎないように若君見ててね」 「見てもよくわかりませんけど……」 素直な気持ちだった。 湯の中で、どこか透き通っていたフグの白子が、さっと不透明になったのを眺めながら、どれくらい茹でるものなのか、茹で時間の目安くらい言ってほしいと真剣に思う。 「男の子はね、今時料理くらいできないとモテないよ!」 「俺、結構モテるんで、これ以上はいいです」 アバウトすぎる春子さんに軽い説教をくらい、少々不愉快だったために馬鹿にするように言う。と、春子さんの食いつきっぷりが物凄かった。従兄弟の恋愛事情など、そんなに気になるものなのだろうか。というか、女は恋愛話が好きなのかもしれない。 ということは、大人の女は恋愛話が好きで回顧主義で説教好きなのかもしれない。最悪だ。 嫌いではないが、春子さんのフグがなかったら彼女を追い出したいと思った。けれど、さすがに俺もフグの高級さには抗えない。フグは年に一度くらいしか食べない上、天然トラフグなど三年に一度程度だ。 とりあえず、フグの刺身を引いている春子さんの失礼すぎて善意が目減りする質問は全て無視して、火が通ってるかどうかなど確認せずに白子の湯引きを筒向付に投入し、紅葉おろしとワケギの小口切りを散らしてちり酢を適当にぶちかけて、ちり酢の入った豆皿と、箸と一緒に居間に運んだ。 それに続いて、春子さんがフグ刺しが大輪の華のように並べられた大皿を、食卓にどんと置く。 家族が食べ始めるのを見て、俺も後に続こうとしたその時、春子さんに首根っこを掴まれた。春子さんがカラアゲを作っている最中に、フグちり用のネギを切り、土鍋に昆布だしを沸かせる仕事に任命されてしまった。 土鍋にしいた昆布からうっすら色が出てきたのを眺めていると、急に春子さんから肘鉄を食らった。痛くはなかったが驚いて彼女を見ると「若君さー、お母さんが毎日料理つくってくれてるんだから、たまにやるくらいでそんなにブスーッとした顔しないでやんなさいよ」と説教を食らった。なんでおさんどんなんてしなきゃいけないんだ、と思っていたのが顔に出ていたらしい。 「だから、文句は言ってないじゃないですか」 「若君の顔が文句言ってた! すんっごい字で書いてあった!」 すんごい字ってなんだよ。 「顔に出ちゃうところが未熟じゃな! 青少年!」 「うっさいですよ」少しだけ素が出た。 「あー早くフグ食べたい? 大丈夫、たくさんもってきたし、一番美味しいのは雑炊だから!」 「うるさいですよ」丁寧に言い直す。 「昔は可愛かったのになぁ〜……」 やはり春子さんも大人らしい。 ◆◇◆ 「若はねぇ、テニス部でレギュラーになったみたいなのよ」 台所で、母がぜんざいを作りながら、手伝いをしている春子さんに声をかけている。なんで親は息子の話ばかりするんだろう。自分の話をすればいいのに。この間の園遊会の事や、初釜開きの事ではなく、話題は大抵いつも俺だ。そうして、レギュラーになったのはとっくの昔の事だと言い添えたくなる。むしろ今の部長は俺なので、なぜ部長ではなくレギュラーの方を言ったのかわからない。 「でね、女の子とかからの手紙は届くわ、電話はなるわでもう、今時の子はすごい……なんて言うのかしら、積極的って言うのかな?」 「えーっ本当に若君モテるんだね!」 母と春子さんの会話は、少しだけ友人のようで、少しだけ姉妹のようだ。 熱い焙じ茶を、居間で家族とすすりながら、それからも続けられていく会話に、わって入ったり、話題を反らしたりしたくなったけれど、必死に我慢した。 だって、会話の邪魔などしたら、それこそ子供っぽいじゃないか。 しばらく待っていると、根来塗りの椀によそられたぜんざいが目の前に置かれた。火鉢で香ばしく焼かれた餅の散らされたぜんざいは、豆のこってりしたコクと控えめな甜菜糖の甘さがきいていて旨い。 マイペースに、家族の会話を聞き流しながら食べている途中、ふと視線を上げると、大き目の餅と格闘している春子さんと目が合った。春子さんは一瞬目を瞬いてから、少し笑った。 春子さんは、昔は良く俺と遊んでくれていて、あの時は確か小学生だったはずで、けれど、今の春子さんの顔は本当に大人のものになっている。春子さんも俺に対してそう思っているのかもしれない。 きっと来年も「大きくなったね」と言われるんだろうなと思っていたら、祖父母の関心が、春子さんの結婚の話題に移り、春子さんはたじたじしながら居心地悪そうに応対していた。 少しだけざまあみろと思う。先ほど春子さんに恋愛関係について質問されていた時の俺にそっくりだったからだ。こんな小さなことでも因果は巡るらしい。 けれど、春子 さんの結婚など、昨年はそんな話題はちらとも出なかった。 俺も春子さんも、両親も兄貴も、祖父母も、こうやって、歳をとっていくのかなと思うと、現在過去未来の全てが、とてつもなく途方のないものに思えて。 早く結婚しないと! などと説教されている春子さんを助けるために、とりあえず社会人である彼女にお年玉をせびるところから始めようと、ぜんざいを食べる速度を少しだけ上げた。 来年も、再来年も、こんなふうに過ごせる保証のないことを、少しだけ感じながら。 |