恋せよ中学生!

 嫌味なくらい天気のいい、金曜日の昼休み。
 机に突っ伏して寝ていると、教室のドアが勢いよく開け放たれる音で意識が浮上した。
 それは、その音が五月蝿かったからで、別に教室に入ってきた奴が気になったからではない。
 入室者がシャカシャカと盛大に音漏れしながらヘッドフォンで音楽を聴いていた神尾へ、突進していくのが気配でわかった。
 わかったというよりも、俺と神尾の席は隣同士だった。わかってしまった。
 くじ引きなんかで席を決めるのをいつになったら担任は止めるのだろうか。
「アキラくんっアキラくん!」
 ああ、やっぱり……その声を聞いて、入室者が俺の予想と合致した。
 昼食も終わって校庭に遊びに出たり読書したり、俺みたいに寝てる生徒だっているのに、いい加減にしたらどうなんだろう。
 他人の迷惑くらい考えられないわけ?
 俺が、いくら、そんな事を思っても、声の持ち主、木之下陽奈子は頓着しなかった。
 少しだけ、組んだ腕から顔を上げて、瞼を押し上げる。
 頬を紅潮させた木之下が興奮気味に神尾に詰め寄っているのがぼんやりと見えた。
陽奈子! どーしたんだよ?」
 神尾も嬉しそうな顔しちゃってさ。
 何? 俺への嫌がらせ?
「みてみて!」
 木之下が取り出したのは長方形の紙。おそらく封筒。
 中身は、封筒の大きさと厚さと神尾の趣味から推測すると、たぶん何かのチケットだろう。
 それを見た神尾の目がキラキラしてるのが、わかった。
「おまっそれ、あのっ?! マジで?! 陽奈子すげー!」
 ああ、うるさいうるさい。
 ココで五月蝿いから少し黙れとか言ったら俺が心の狭い人みたいに思われるんだろうな。
 大体なんで俺の隣でやるんだよ。
 俺は寝てるんだって。周りの人間を思いやる気持ちとかないわけ?
 少しは静かにして欲しいんだけど。
「伊武くん、ごめんねー?」
 木之下が顔の前で両手を合わせて、申し訳なさそうに俺の顔を窺ってきた。
「……――読心術?」
「お前さっきから口に出てるんだよ……」
 呆れた様子の神尾を机に頬をつけたままの状態で見上げる。神尾は俺に睨まれたとでも思ったのか、全く悪いと思っていないような口調で謝罪してきた。
 大体、謝る位なら最初から騒がないで欲しいんだけど。
 すっかり目がさめた俺は、まじまじと 木之下を見た。
 いつもはストレートの髪が、今日は雑誌のモデルみたいに、綺麗にウェーブを描いている事に気付く。
 木之下は俺の視線に居心地が悪そうに後ずさり、照れたように髪を弄くる。
 その木之下の動作を見て、神尾が「ああ!」と声を上げた。
陽奈子、髪どうしたんだよ? すげーかわいいじゃん! 似合う!」
「あ、ありがと」

 わかる。

 木之下の考えていることが解る。
 解っても全然嬉しくないけど。
 神尾に笑顔で、誉められて、照れてる。
 俺の方が先に気付いたのに。
 むしろ神尾は気づくのが遅かったのに。
「お姉ちゃんが、髪の毛やってくれたんだ」
 神尾に気付いてもらえた事がよほど嬉しいのか、そわそわする木之下
 なんだよ。
 そんなにあからさまに喜んでるなよ。
 俺だって、ちゃんと、可愛いと思ったし。
 っていうか、それ位、察せないわけ?
 口に出して言わなきゃわかんないわけ?

 わかんないんだろうなぁ……
 俺が言ってやるしかないんだろうなぁ……
 いやになるよなぁ……

「――似合ってる」
 ぼそりと。
 つぶやいた言葉は、木之下の耳にも入ったようで。
「うれしい、ありがとう」
 と、満面の笑みで、木之下が言う。
 知り合ったばかりの時は俺がこういうことを言うと「ほんと?」とよく言っていたけど、俺が「俺が嘘言うと思ってるわけ?」と毎回言っていたら、最近言わなくなった。
「あ、で、でね! この……」

 照れまくりながら木之下が何か言おうとしたのを神尾が制した。
 唇の前で人差し指を立てた神尾を見て、木之下が“しまった! ”って顔。

「なに? なにか俺に対して後ろめたいことでもあるわけ?」
 そう言った俺の言葉に木之下も神尾も首を横に振った。
 そして、意味深に笑う。
 俺をからかいたいのか?
 意図は不明。
 だからこそ、なんかムカツクんだけど。
 いやになるよなぁ。
 二人だけでこそこそしちゃってさ。
 あーあ、でも、俺が問い詰めたらしつこい男だと思われるんだろうな。
「ま、ま、深くは気にするなよ。な? 陽奈子?」
「そうそう。やましいことはないから! ね、アキラ君?」
 満面の笑みで頷きあう二人。
 俺だけ仲間はずれにされてない?
 大体神尾は杏ちゃんが好きなんだろ。
 木之下 にまで手だしていいわけ?
 俺は溜息を一つ吐くと、もう一度寝る体勢に戻った。
 別にふてくされてるわけでも拗ねてるわけでもない。
 眠かっただけ。
 眠かっただけだ。
 断じて他に理由はない。
 だから、部活の時間まで、全授業寝続けただけだ。

「深司、おまえ寝すぎだろ?!」
「スピードのエースじゃなくて大声のエースにでもなるつもり? うるさいんだけど」
 部活が終わり、汗ばむ身体をタオルでぬぐっていると隣で神尾がわめきだした。
 ぐ、っと答えに詰まった神尾。
 俺はその顔を見て、一言。
「神尾って、頭悪いだろ?」
 その言葉を聞いた瞬間、神尾の顔がカッと赤くなった。
 けれど、いつものように突っかかってくることもない。
 なんかぼそぼそ言っているみたいだけど。
(耐えろ。今、深司は陽奈子 のことで俺にあたってるだけだ! 耐えろ神尾アキラ! 俺は強い男だ、これくらい余裕で耐えろ……!)
「俺の頭はともかく……明日、暇だよな?」
 神尾はいきなり聞いてきた。
 俺はわざとらしく溜息を一つ吐く。
「決めつけられるのってむかつくんだよなぁ……まあ、テニスの練習以外は、暇といったら、暇だけど……それが神尾に何か関係あるわけ?」
「よっしゃ! じゃあ、明日、駅前で九時五〇分に集合な! 待ってるからバックレんなよ!」
 それだけ言うと、神尾はしてやったりというような表情で、スピードを無駄遣いした速度で部室から飛び出していった。
 俺に見えたのは、神尾が右手にしっかりと握っているらしい携帯のストラップ。
 それが、そのスピードに翻弄されて空を泳ぐところだけだった。
 それにしても、強引過ぎるだろ。
 俺、行くとかいってないんだけど。
 ああ、でも、行かなかったらバックレたことにされるんだろ?
 むかつくよなぁ……

 昨日と同じ見事に、天気予報どおりに晴れた眩しすぎる太陽に眼を細める。
 少し風が強い所為で髪が暴れてうざったい。
 待ち合わせ時間きっかりに駅前に来た俺は、何故か、神尾の代わりに木之下を見つけた。
 いつもの制服姿とは違う。
 ちょっと困るくらい可愛いんだけど。
 犯罪?
 とにかく、神尾はまだかと思っていると、木之下が照れたように頬を染めて手を振ってきた。
 とりあえず、軽く会釈だけを返したんだけど、移動する気のない俺に業を煮やしたのか、木之下が駆け寄ってきた。
「おっはよ! 今日はね、杏ちゃんと、アキラくんと、伊武くんと、私で、コンサートに行くんだよ」
「なにそれ? 聞いてないんだけど」
「驚いた?」
「べつに。むかついてるけど」
 ……
 ……
 ……
「なんで、そこで暗くなるわけ?」
 押し黙った 木之下に顔を向けると、木之下は眉を寄せていた。
「なに? その変な顔。何か言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろ?」
  木之下は、はぁ、と大きく溜息を吐いた。
 俺は意味がわからなくて気分が悪いんだけど、木之下は言う気はないらしい。
 けれど、意味深に俺の顔を見つめてくる。
 ちょっと、やばいって、その顔。
 自覚ないわけ?
 すごい可愛いんだけど、誘ってるのかなぁ。
 それとも、俺の忍耐力でも試してる?
「わかんない、っか。……それとも、対象じゃないか」
 ふ、っと表情を緩めて 木之下が苦笑した。
 それから、くるりと俺に背を向ける。
 珍しく、纏め上げられている髪。
 白い首筋がやけに新鮮に目に映る。
 いつもは制服だから、余計にそう見えるのかもしれないけど。
「何がわかんないって?」
「べっつにぃ? ――あ、アキラくん来たっ! おーいっ!」
 妙に元気よく神尾に向かって手を振る 木之下
 神尾も笑顔で軽く手を振り返す。
 その後ろから杏ちゃんも来た。
 釈然としない。
 俺は溜息を漏らしつつ、木之下の後を追って神尾達と合流した。
 コンサートは俺の好きなアーティストのプレミアムコンサートでかなり嬉しかったし楽しかった。
 でも、強引に誘われたんだから礼なんて言わなかったけど。

 コンサート会場を出た、大通りの脇で、俺たちは解散することになった。
 けど。
「何で、 木之下と俺が一緒に帰らなきゃいけないわけ?」
 神尾が明らかに呆れた顔をしている。
 一人で帰すのは確かに気が咎めるけど、だからって何で俺なんだよ。
 それって自分が杏ちゃんと一緒に帰りたいだけなんだろ?
 俺をダシにするのやめてくれないかなぁ。

「深司は 陽奈子と一緒に帰るの嫌なのかよ?」

 そんな事言ってないだろ。
 と、言おうとしたのに、木之下が畳み掛けるように神尾の言葉に言葉を返していた。
「あ、いいよ。アキラくん。私一人で帰るし」
「そんなわけにはいかねぇって!」

 なんで神尾がそんなに必死なんだよ。
 それに……
「別に送らないなんて言ってないだろ?」
 何なんだよ。
 その視線は。
 三人ともあからさまに驚いた顔しないでくれる?
 俺だって一応男なんだから、女一人送るくらい面倒でもやってやるし。
 木之下を送るんだったら、別に面倒とかじゃないのに。
「いいの?」
 恐る恐る窺うような木之下の表情に、なんだか少しいらつく。
 神尾の前では、阿呆みたいに笑ってるくせに。
「べつに」
「じゃあ、陽奈子は深司にまかせたからな。きっちり送り届けろよ?」
 びし、と偉そうに指を突きつける神尾。
 うざったいので無視したら、木之下が可笑しそうに笑っていた。
 神尾と橘に軽く手を振っている。
「じゃあ、俺と杏ちゃんはこっちだから、また学校でな! 深司! ちゃんと陽奈子送れよ!」
 そんなに心配なら神尾が送ればいいだろ?
 そう思いながら俺はちらりと神尾を一瞥して、それから、すぐに歩き出す。
 木之下が慌てて追いかけてくるのが足音で解った。
 俺は、一応送っていくんだから、と歩む速度を緩めて振り返った。
 丁度タイミングよく、木之下は躓いている。

 気が付けば、俺は木之下に下敷きにされていた。

 いや、俺が木之下の下に滑り込んだというか、
 その身体を支えようと手を伸ばしたのはいいけど、バランスを崩して支えきれずに一緒に転んだ。
 木之下は俺が何か言うより早く、ばっと立ち上がって、顔を赤くさせたり青くさせたりしながらしきりに謝っている。
 ゆっくりと立ち上がると怪我がないかと何度も聞かれる。
「平気」
 前見て歩けないのかとか、歩くことすらまともに出来ないのか、とか思ったけど。
 何か、本気で木之下が泣き出しそうだから、口に出すのはやめておく。
 一言だけ返して、木之下に顔を見られないように歩き出しながら、埃を手で掃う。
 実は、下敷きにされたとき、木之下の胸が結構強く当たって、ちょっとまだ心臓が落ち着いていなかったりする。
 木之下の私服姿は可愛いし、今日は結構楽しかったし、さっきはアクシデントがあったけど、なんか。
 隣を歩いている木之下を妙に意識してる。
 結局、木之下が家への道順を説明する以外は、俺たちはその後、全く喋らなかった。
 黙々と、無言で木之下の家へとむかうだけだ。

 ただ、どちらからともなく、手を繋いで。

 ◆◇◆

『ば……っ! おい、陽奈子! せっかく二人っきりにしてやったのに進展なしかよ!?!』
 携帯のスピーカーから、思ったよりも大きな声が響いて、私は思わず首を竦めて耳から携帯を離した。
 その勢いに押されながら、電話の相手、アキラくんに聞いてみる。
「ご、ごめん。でもアキラくんは? 杏ちゃんと……」
『あの後一緒に食事してペットショップでゴクトラのおやつ買って一緒に帰った』
 ちょっとだけ、ほくほくしたような、嬉しそうな色の声でアキラくんが答える。
 私はベッドに腰をおろしながら羨ましさに羨望の溜息を一つ吐く。
「いいなぁ……」
『よし、じゃあ、次は再来週にダブルデートだな……どこにするか陽奈子も考えろよ』
 私の言葉に、アキラくんはちょっとだけ苦笑したみたいだった。
 それから、次のデートの作戦について喋りだした。
 伊武くんは、ダブルデートだなんて思ってないみたいだけど。
 アキラくんが強引に誘わないと来てくれないし。
「うん。あんまりお金のかからないところがいいよね」
 アキラ君の言葉に答えながら、鬱に入ってしまった思考を振り払うように首を振る。
『そうだなー。今日みたいに陽奈子のお姉さんに甘えるわけに行かないしな』
「うん。じゃあ、来週中にはどこに行くか決めようね」
 うーん、と悩むアキラ君。
 その真剣な様子に少し笑ってしまいながら、意識して明るい声を出す。
 アキラくんは杏ちゃんが好きで
 私は伊武くんが好きで
『おう。深司は俺が誘うから安心しろよ。じゃあな!』
 アキラくんと伊武くんは仲がよくて
「うん、ばいばい」
 私と杏ちゃんも結構仲がよくて、利害は一致した。
 携帯を切ると、そのまま力を抜いてベッドにぼふっと背中から倒れる。
 私から見てもアキラ君と杏ちゃんはいい感じ。
 私と伊武くんは、どうなんだろう?

 私は自分の手のひらを見る。
 それだけで、ちょっとドキドキする。
 伊武くんの体温がまだ残ってるような感じさえする。
 ぎゅ、っと目を閉じて、あの、テニスをしている、伊武くんの手の、暖かさと力強さを思い出す。
 ドキドキしすぎて、今更、涙が出そうになってきた。
 ああ、今なら死んでもいいかも。

 ベッドに放り出された携帯からメロディが流れ、私は物思いから現実に引き戻された。
 電話の相手を恨めしく思いながら、登録されていないその番号に首をかしげる。
 少しビビリつつ電話に出ると、伊武くんの声。
 なんで電話番号知ってるの?

『神尾に聞いた。ちょっと聞きたい事があったから、電話したけど、登録はしてないから、木之下が嫌ならもうかけないようにするけど』
「い、嫌じゃない! 全然平気だよ! それで、聞きたいことって……?」
『明日暇?』
「え? う、うん、午後からなら……」
『そう、じゃあ、駅前に十三時で』
「え? え? え?」
『遅れるなよ』
「え? え? あの……――切れちゃった」

 汗のにじんだ手で携帯を握る。

 うそ。
 どうしよう。
 これって、
 正真正銘の
 デートですか?!
 うそうそうそ、どうしよう!
 伊武くんが、私を誘……っ?
 や、たまたま予定がなくなっただけかもしれないし、変に期待しすぎちゃダメだってわかってるけど。
「おねーちゃんっ! 明日服貸して!」

 神様、嘘です。
 今は死にたくありません。
 これから、伊武くんともっと仲良くなるまで、やっぱり私は死んでもよくないです。