君の瞳の中の王国

 あたしは、ひねくれた子供でした。

 いえ、今でもひねくれている子供です。
 テスト勉強があたしの将来になんのかかわりがあると言うのでしょうか。今の時代ならばパソコンや足し算引き算割り算できて、あとは基本的な協調性があれば生きていけるのではないでしょうか。優秀な作文が書けたからなんだと言うのでしょうか。
 上辺だけ仲良しごっこをして、陰では悪口を言い合うような友達が将来なんの役に立つのでしょうか。私はクラスメイトが他のクラスメイトの悪口を言うたびに「ああ、きっと私も影ではこうやって蔑まれ馬鹿にされているのだろう」としみじみと思い、不愉快になります。
 親に、なんであたしを産んだの? と聞くような最低の子供でした。
 あたしの命はあたしの好きにしていいと思っている子供でした。
 なんであたしは生きているのか――それが、中学一年生だったあたしの、最大の問題でした。

 そしてあたしは考えることを放棄しました。
 答えなどきっとどこにもないのだろうと思ったからです。
 自分を納得させるための理屈を考え出すなど、馬鹿げていると思ったからです。
 そしてあたしは今、適当な履歴書でバイトに雇ってくれたゲーセンで日がな一日を過ごしています。
 中学校へは、朝出席をとってからバイトまでの時間を潰す程度にしか行きません。
 一応、卒業するつもりはあるので進学に必要な程度は授業を受けていますが、あと三ケ月もすれば、一般の生徒と同じく毎日のように通わなければならない程度にはサボっています。六十日以上の欠席だと、あたしは三年に上がれなくなってしまいますし、あたしは中学すら卒業できないで生きていけるほど世の中が甘くないことを知っています。そして、名前さえ書けて、専任受験すれば点数など関係なく受かる高校があることも知っています。

 あたしがこの生き方を始めてから、両親はあたしを叱咤したり励ましたり宥めたり叱り飛ばしたりとにかく頑張ってくれましたがあたしは青春っぽい屁理屈を押し通し、プチ家出と両親の説得を繰り返して、半ば諦められている状態で、今の生活をしています。他人に迷惑をかけたらぶん殴られる程度に厳しい両親ですが、しつけと虐待の境目を理解する程度には賢い両親です。

 いまだに、自分がなんで生きているのかわかりませんが、自分が何故ここにいるのかわかりませんが、死んでないから、あたしは多分生きてるのでしょう。

佐藤さん、今日もテンション変だね」
 あたしがカウンターでぐねぐねしていると先輩アルバイターが苦笑しました。あたしの奇行や奇声を“若いから”で許してくれる素敵な人です。まあ、確かにあたしは若いから、冒頭のような甘酸っぱい思考をしているのでしょう。いえ、あたし的に甘酸っぱさは微塵も感じないですが、きっと大人になったあたしからみれば恥ずかしいほどの思考であろうと思います。
 黒地に赤をポイント使いしたナイロン製の味気ない半そでのシャツと、太腿の半分くらいの長さの、シャツと同じ素材同じデザインのスカートは、空調の効いた夏のゲームセンターでは少し肌寒いです。
 ですが、もう慣れました。時給は最低時給。都内では同じ規模のチェーン店でではプラス百円はいくらしいので、ちょっと悔しい気もしますが、かといって、あたしは都内に出稼ぎに行くほどの気力はありません。
 流行のアニメのテーマソングとゲーム機が奏で出す不協和音にプラスして、昼間から漂うタバコの煙。みんな、何をしている人なんでしょうか。こんな時間にゲームセンターだなんて。新世界の神・キラに見られたら顔を顰められそうな現実がそこにあります。
 デスノートがあったらお前ら全員皆殺しだ。簡単に言えば鏖殺だ。
 あたしは、クレーンゲームのぬいぐるみをお客さんに取りやすいようにしてあげたり、裏でゲームの当選率をいじくったりしていました。身体を動かすのはいいことだと思っています。思考が遮られるからです。逆に本は良くありません。色々想像してしまうからです。映画もです。漫画ぐらいなら丁度よいのですが。
 三階のメダルコーナーでフィーバーが出たらしく、それを補充にいかねばならず、内心だるいと思いながらそのゲーム機へ向いました。昼間はバイトの数が少ないので、まれにその階の担当者がいなかったりもするのです。メダルコーナーでは、滅多にそんな事はないのですけれど。

「おめでとうございまーす」
 あたしの馬鹿に明るい声は口元のマイクを通して店内に響きました。そしてあたしはカップに山のように盛ったメダルをジャンジャン投入していきます。それと同じくらいの速度で、フィーバーを出した人のメダルの排出口からメダルがガチャガチャザラザラキラキラ溢れ出していきます。
 メダルは専用の機械で枚数を数え、そのデータをやっぱり専用のカードに入力すればいつでも出し入れ可能になっているので、どれだけ出ても困る事はないでしょう。簡単に言うとメダルの銀行です。
 メダルの流出がとまった事を確認して、あたしはカウンターに戻ろうとしたのですが、フィーバーを出したお客さんに手をつかまれました。

 めちゃくちゃビビって振りほどきそうになりました。

佐藤?」
 けれど、かけられた声に、あたしは、またびっくりして、あたしの手を掴んでいるお客さんを見ました。
 去年のクラスメイトがそこにいました。切とか赤とかついていたのは覚えているのですが、ちゃんとした名前は思い出せません。
 あたしが困っていると、くるくるした黒髪クセ毛の元クラスメイトは不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫みたいに笑いました。もしかしたら、このひとは身体を消せるかもしれないとか、そんな事を考えました。
「やっぱり佐藤じゃん!」
 あたしに会えた事の何が嬉しいのか、元クラスメイトはにこにこしています。名前を覚えていない程度には、彼とあたしは仲が良くないのですが。
 とりあえずあたしは「こんにちはー」と返して「じゃあ」と逃げようとしたのですが、切赤――わからないので混ぜてみました――は「お前、ここで何してんの?」と無邪気に聞いてきます。
 見てわからないのかこの能無しが。
 そう思っても口に出さないのがあたしの偉いところです。
 まあ、偉い所と言うか、言ったらあたしが礼儀知らずの常識なしな女に成り下がるだけですが。
「バイト」
 お客様用スマイルで答えました。一応コイツも客なのです。ゲーセンには頭の足りないバカや乱暴なヤツらも来ないでもないので、対応は丁寧にしておくに限ります。ただし、ここで愛想よく切赤は? と聞かないのがポイントです。
 しかし、切赤は「ウチの学校ってバイトしていいのかよ?」とツッこんできた。いいわけないだろこの馬鹿が。誤魔化してるに決まってるだろ。と思ってもただ笑顔でかわします。「うち、貧乏だから。仕事あるから戻るね」と。みんなやってるよ、と言うのだけは、くだらない人間であるあたしでも言いたくないほど低レベルな言葉です。
 これで切赤が教師に密告ったら松葉の火呪で呪ってやる。あ、でも死なれたらさすがに重いので、できればもっと軽い呪いがいいかもしれません。私も人の子なので呪うよりも祈るほうがすきなのです。

 少しして、格闘ゲームのあたりで、喧嘩のような言い合いのようなうざったいものが始まりました。無視していたら、客にそれを指摘されました。ていうか苦情が来ました。
 しかし、先輩が、近くにいません。こんなゲームセンターで騒ぎを起こす輩なんてどうせロクなものではないのです。出来れば関わりあいたくありません。
 けれど、これも仕事です。先輩に連絡を入れて出来るだけ早く来てくれるように要請してからその場に挑みました。
 あたしは平謝りしつつ“迷惑だからさっさと帰れ”をオブラートとゼリーにくるんで何度も言いました。しかし、十代小娘のいう事を二十代のガラの悪い低脳な男が聞くわけもなかったのです。あたしは途中でゼリーを使わなくなり、オブラートも破ってやろうかと思いました。
 怒声と罵声とをものすごい剣幕で浴びせられて、意識していないのに声が震えてきてしまいました。コレはまずいと思いながらも声だけが勝手に筋肉痛の翌日みたいに勝手に痙攣し始めてしまっています。まるであたしがこいつに、怯えているようで不愉快です。不愉快なのに、声の震えは止まりません。相手のいうコトは千パーセント間違っているのに、怯えているわけではないのに、あたしの声は震えます。きっとムカつきすぎているんでしょう。先輩が来るまで、あたしは声を震わせながら一人で頑張りました。
 なんとかバカ共が帰った後、先輩がバックヤードに戻りながら人差し指で自分のこめかみ辺りを指してくるくると回してから顔の横でパッと開きました。
 それから「大丈夫?」と聞いてくれました。あたしはうなずきました。傷ついたとかではなく、とにかく腹が立って理不尽な言葉にイライラしていました。
 サッカー監督の通訳が、その監督が激昂した時に通訳をする際に泣いたそうですが、人間は強い感情をぶつけられると過剰反応してしまうようです。

 さて、あたしは夕方十七時にバイトを終え、遅番と交代しました。
 本日会った嫌なことをぶつける為に最近よくあるヒトカラをしにカラオケへと向います。どこぞのチャレンジャーのようにオープン時間を全て歌に費やす気でいます。あたしはまだまだ未熟も未熟な半熟卵状態な子供なので、嫌なことがあれば発散しなければなりません。
 あたしは嫌なことを抱え込めるほどの器の大きい人間ではないのです。
 しかし、女子中学生が一人と見られてはカラオケボックスで入店拒否をされる可能性もあるので制服を着ないのはもちろんのこと、二十五歳からのアゲアゲマガジンとやらを見習って飲酒運転で捕まったアメリカのバカ女(と書いてセレブと読む)っぽい風の服装に、メイクをほどこします。
 下手をするとヤンキーぽく見えますので“あたしにはコレが似合う! ”という心意気と気迫で着こなしてみると、人間なるほど心意気だと思うほどに似合うのです。やる気と気合、それさえあれば人間なんでも可能な気がします。確かに少々年齢不詳気味な感じにはなってしまいますが、そこはそれ。あたしを大人っぽい顔に生んでくれた親に感謝をすべきところでしょう。
 カラオケボックスへ足を向けるとホールには同じ学校の、立海の制服を着た一団がいました。内心、不愉快です。ですが、あたしの顔を覚えている人間なんてそうそういないでしょうし、あたしも、クラスメイトの顔ですら覚えていません。
 授業のノートを貸してくれる女友達二、三人なら覚えていますが。

 私は歌いました。
 シャウト系の洋楽を絶叫しました。オマエは大馬鹿野郎だピストルで撃ち抜いてやろうかとか、死ね死ね団の歌だって熱唱しました。ちなみに死ね死ね団の歌は歌詞の半分以上が“死ね”となっている歌です。でも、邪魔っけ、なんて単語も出てくるのでどこか滑稽で可愛い感じもします。何にせよひどい内容の歌ですが。
 しかし、運命の神様は思っていたよりもずっとひどい方でした。部屋番号を間違えた輩が侵入してきたのです。そして、それは、ワカメのような髪型の立海の制服を来た少年でした。
 少年はすぐに謝ったあと、大きな目をくりくりさせて、あたしの名前を呼びました。今日、二度目です。そういえば、こんな偶然の鉢合わせが重なって重なって結婚した人がいることを思い出しました。縁起でもないです。
 なんやかんやのやりとりの後で二人でオールでカラオケに居座ることになったのはもっとひどいことです。あたしは、暗い小部屋で未成年の男女が二人きりでいるなどとんでもないことだと訴えましたが「絶対何もしない」と半ば土下座気味に頼むものですから部屋の明かりを最大に明るくし、カウンターにもう一人追加になった旨を電話させてフリードリンクを一人分追加しました。
 しかし、彼は制服姿です。夜になれば首根っこつかまれて追い出されるでしょう。それは面倒なので、制服のカッターシャツの下にティーシャツを着ているとのことなので、上はティーシャツで、制服は畳んで学校指定の鞄に入れさせ、鞄は目に付かない場所に置き、制服のズボンは私のはおっていたドドンと柄の入ったジャケットをかけて誤魔化しました。
 それはともかく――彼はハイテンションで歌っていましたが(お互い、お互いのことは無視しているような状況でした)夜の二十二時を過ぎたあたりでソファで寝てしまったのです。歌うに歌えない私は、けれど、ここはカラオケなのだからと悩んだ後にまた歌を入れました。
 でも、ヴォリュームを、一番小さくしてやりました。感謝しやがれです。
 さて、朝の五時五十五分。私は画面に映る残り時間とカウンターからかかってきた電話とに、そろそろ出るかと立ち上がり、眠りまくってる――少年に(まだ名前が思い出せません)ヴォリュームを最大にしたスピーカーとマイクとで「起きろー!!」と叫びました。これが、カラオケで一番スッキリした大声でした。
 少年はフラフラして起き上がり、大きく欠伸をして、素で“この人誰だっけ? ”みたいな顔であたしを見ました。しばらく固まった後、あたしの名前を思い出したらしく「佐藤、今何時?」と聞かれました。
「朝六時」
 少年はそっか、と頷くと立ち上がって頭をガシガシ掻きながら大きく欠伸をしました。
 カウンターで支払いを追え、外に出ると、清々しい天気で、なんだか自分がとてもみすぼらしくなった気がしました。少年もそうだったらしく、ヘンな溜息をついていました。
 あたしはその日学校をサボりましたが、翌日、またバイトまでの時間つぶしで学校へ行って、少年の名前を友人に聞きました。
「切原赤也」
 一度、口に出して言ってみると、友人がその音で思い出したようにそういえば、と言いました。なんでも、一昨日、切原の姉が結婚するため近しい親族が切原の家に集まったらしいのですが、切原はその日帰ってこなかったとのことでした。切原は“忘れてた”と言ったらしいですが、深夜になっても帰って来ない切原に心配した両親が部活の先輩宅などに電話をかけたためクラス中に広まり、切原は部活で大変なことになっているアンド教師にとてつもなく叱られたとのことでした。
 ちなみに、あたしに対して教師は腫れ物に触れるように対応するので頭ごなしに叱られたりはしません。
 翌日、あたしは珍しく真面目に一日登校し、切原を探しました。
 どうしても、一言言ってやりたくなったのです。それも、シチュエーションを選んで。
 そしてあたしは何故かその日から真面目に学校に通うようになってしまいました。親は喜びました。バイトも学校後から二十時までの短時間に変えてもらいました。
 何が何でも、切原に一言言ってやりたいのです。
 あたしは、ひねくれた子供です。
 ひねくれた理由が、逆にあたしを普通にしましたが、とりあえず今の目的は切原をつかまえて、なるべく人が多いところで、公衆の面前と言うやつで、一言彼に言いたいのです。

 シスコン、と叫びたいのです――。

 くだらないことと思われるでしょうが、あたしは言いたくて言いたくてたまらないのです。
 あたしが、とうとう、その目的どおりの行動をした後にあたしたちの関係がどうなったかは、想像にお任せします。