閉鎖された屋上は、私と一人しかいなかった。その一人は、笑いながら言う。 「これは神様の導いた運命の出会いなんですよ」 妙に明るく染髪された髪がその胡散臭い言葉と同時にくらくらと風にあおられた。 むかつくほどに、そのオレンジ色の髪の毛と、澄み切った五月の青空のコントラストが綺麗で、余計に腹が立つ。軽佻浮薄を実体化させたようなこの男の名前が、千石清純なんて爽やかかつ清らかな名前を持っていることが信じられない。 どうせ、エリカにだってミナにだってアオイにだって、同じ事を言ってるに決まってる。 「 ヒトミ ちゃん。そんな怖い顔すると幸せが逃げるよ? コレ、俺のLucky論」 無意識に、隣の千石を睨みつけていたらしい。 「ラッキー論って何」 今度は意識して睨めつける。 「ノンノン。ラッキー↓論じゃなくてラッキー↑論」 全然私の睨みは効いていないようで、千石は人差し指をピッと立てて左右に振った。 「それ、ラッキー!ロン!って感じに聞こえる。マージャンくさい」 「麻雀やったことあるの?」 「ないけど」 アハハ、とわざとらしい声を上げて千石は笑う。自称伝説のナンパ師で、自他共に認めるラッキー男。 でも、ここぞと言う時には運が無い。本当にラッキーなのか、私には信じられない。可哀想な男。 ナンパはともかくテニスではかなり実力はあるのに。ここぞという時に、いつも年下に負けている。本当にどこがラッキーなのだろうか。 でも、全国には行けるらしい。 頑張ったじゃんテニス部。 未だに約束をしている南が来ないので、暇な私と一人は、屋上でまったり昼食を終えたところだった。 共通の玩具(その名を南健太郎と言ふ)がいないと、結局、いつも会話がダラダラだ。 別にいいんだけど。 千石と一緒だと気が抜けるしね。 ふと気付くと昼休みの学校の屋上というシチュエーションにも拘わらず、タバコをふかしだすオレンジ頭。 「そんなの吸ってるから負けるんじゃないの?」 「うわっヒッデ! ヒトミ ちゃ〜ん。俺、今、結構マジメに傷つきましたよ?」 「事実を言ったまでなんだけど?」 フン、と鼻を鳴らす。もっと傷つけばいい。 こっちはアンタにボロボロにされてるんだから。 さっきみたいな言葉で、抉られてんだから。 「ヒトミは吸わない?」 差し出されたタバコの箱からは一本だけ飛び出ていて、パッケージには赤い丸と、人体への害を書き連ねた文章。 ラッキーストライク・ライト、と音読すると、千石はおかしそうに笑った。千石はよく笑う。 一度聞いてみたら、笑う角には福来るのだそうだ。 LuckyStrikeだなんて、タバコでも弦担ぎですか。別にいいけど。 ニュースの占いとか、毎日チェックしてるみたいだし。そっちはラッキーと言うよりも占い好きかもしれないけど。 「吸わない」 ふう、と息を吐いて青空を眺める。 頭の悪そうな明るい太陽の光に、目をやられそうになって手をかざす。真っ赤に流れる僕の血潮が見えた。 「なんで?」 妙につっかかるね、千石君。 私に吸って欲しいのかい? 、と思いつつ、空を眺めたままフェンスに背を持たれかける。 「彼氏がさー、タバコ吸ってたらキスも出来ない、って言うわけ。もともと、私、そんなにタバコ好きじゃないし」 服に匂いがつくから、と付け足す。 でもまあ、千石は一応、気を使って、みんなとファミレスに行くときとかは率先して禁煙席だし、私の前でも屋外じゃないと吸わないけど。もともと、千石がタバコを吸うようになったのは、何代か前の彼女の影響だ。タバコを吸う千石を見るたびに、私はその女のことを思い出す。私はそいつがとても嫌いだった。 「ふぅん。ま、いーけど」 千石は、ごそごそと制服の内ポケットにタバコをしまった。ふだんはきっちり閉じられている白ランの襟元が大きくはだけていて、その下はカッターシャツじゃなくて、千石の髪の毛みたいなオレンジ色のティーシャツだった。 ゆっくり目を閉じる。太陽の日差しがあったかい。 南、まだかな。 「みにゃみぃ〜昼休み終わっちゃうよん」 猫なで声で、ここにはいない南を呼ぶ。 身体を反転させて、ぐでぇ、とフェンスに腕を乗せて、だらり。 私と千石との賭けで負けた南が、今日の昼ごはんを奢ってくれるはずだったのに、急な委員会召集でいまだに来ていない。 勿論、昼食は食べ終わっちゃったから、あとでお金だけ貰う手筈なんだけど。 南の為に買って来たあつあつ揚げたてコロッケパンは、もうすでに冬場のお風呂みたいにぬるぬるになってしまっている。 こういうのは出来立てが美味しいのに。もったいないな。美味しかっただろうに、そのうち不味くないに変わってしまう。きっと人間だって、あっと言う間に。 「千石、南来なかったら、コレ食べちゃってよ」 ひょい、とすぐ隣のパンを放ると「あっぶねえな」と半笑いで、唇にタバコを引っ掛けたまま言う。そしてあぶなげなくパンをキャッチしていた。 「ねー、 ヒトミって今の彼氏のこと、好きなわけ?」 薄いビニールで包まれたパンを手でくるくると回しながら千石が聞いてくる。 私はフェンスに全体重を預けながら空を見上げる。 あんたが聞くか? なんて、言う気は無いけど、サ。 「好きなんじゃない? タブン」 「うっわ、投げやり!」 うるさいな、私はアンタが好きで、でも、あんたは女なら誰でも良くて、今の彼氏は私が落ち込んでたときに丁度傷を舐めてくれたから、何となく付き合ってるだけだよ……とは言わない。 別にいいんだ、このポジションで。 今の彼氏は好きでも嫌いでもないけど、優しいので、別に付き合ってても苦じゃない。 その程度だ。 でも、まあ、ある程度の愛着はあるし、嫌いじゃない。 凹んでいたら優しくしてくれるし、彼女っぽいことをしてみたい時に、自己満足で彼女っぽいことをできる。便利な存在と言うのが一番近いかも。 「そーゆー千石はどうなのよ。まどかちゃんとは?」 「あれ? 言わなかったっけ。先週別れて、俺は今フリーな人デスヨ」 まどかちゃんとは一ヶ月か……歴代の中でも短いなあ。 千石と付き合ったら、私も絶対にその程度しかもたないと思う。 「でも、千石って別れた女とも仲いいよね」 そんな仲のよさ、私はいらないけれど。 「あ、それ、オレの得意とする所だから」 ふふん、と自慢げに笑った千石。腹立つなァ…… 私はフェンスから離れて、人差し指で拳銃を作って、千石の心臓に向ける。 こういう時、南はうろたえるけど、悪ふざけ仲間の千石と私だと、ちょっとした寸劇が始まる。 「ひどい……私の事は遊びだったのね!」 「ち、ちがう ヒトミ ……! は、はなしを聞いて 「 バンッ! 」 ッ! ぐ……う、 ヒトミ ……」 私が銃声を模して声を上げ、手で作った拳銃の銃口を、撃った反動で空に向ける。 千石はタバコをポロリと落として、苦しそうに胸を押さえて膝を付く――と。 呆れた声が、屋上に発生。 「何やってんだお前ら」 私達の中で一番の常識人、南健太郎君がナイスタイミングで屋上到着。 素晴らしいタイミングで突っ込んでくれた。 「プ」 上履きでタバコを踏み潰した千石が、笑みの形に唇を歪めた。 私もつられて笑う。 「何って」 「なあ」 「ね」 千石と私が笑い含みでアイコンタクトすれば、南は一層訝しげに眉を寄せた。 ああ、常識人な南が愛しい。 いや、これは本気で。彼氏は、そう、南みたいな人なんだ。一緒にいてほっとして、邪魔じゃなくて、便利で、愛しくて可愛い。そして、恋人としては。つまらない。南好きだけどね。一生の友人を選べと言われたら、千石じゃなくて南だけどね! 「だから何なんだよ……お前ら」 「「なんでもないですよ?」」 ハモった。 爆笑する私と千石。 取り残された南はますます眉を寄せていた。 だって、ホントになんでもないんだよね。 でも、笑いすぎてお腹が痛くなる。くだらない日常が、大好きだ。だから、学校も大好きだ。 だから、これは崩せない。千石と南と一緒に昼食を摂れる立場を、私は手放さない。 そのためなら、たまの作り笑顔だって平気。 「南ぃ〜このまま授業サボらない?」 コロッケパンを食べ終え、バナナオレを呑みながら足を放り出して座っている南に、隣に座っていた千石が、提案しつつ寄りかかる。 南の逆隣に座っていた私は、それを更にレベルアップさせて、放り出されている南の太股に頭を置く。柔らかすぎずに適度にかたくて気持ち良い太もも枕だった。 「私、眠いから、少し寝るわ。後で起こして」 南の全身に緊張が走ったのが解って、笑い出しそうになるのを堪えて目を瞑る。 ああ、午後の授業なんて出たくない。 ここで私が眠ったら、南も千石も私を起こしてまでは授業に出ないはず。教師はため息をつくかもしれないけれど、その程度だ。 みんなでサボれば怖くない。 「おい、石谷 、本気か?」 困ったような南の声をBGMに、私は欠伸を一つしてみせると、睡眠開始。 さほど綺麗じゃないコンクリの所為で、私たち三人の制服はねずみ色になるだろうな、とか思いつつ。 次に目が覚めたときは、南は涎を垂らさんばかりの勢いで眠っていた。 チャイムの音が聞こえる。 欠伸しながら目をこすって身体を起こす。南の左手首を見ると、時計が六時間目が始まったことを告げていた。 南の隣にいたはずの千石がいない、ときょろきょろと辺りを見回すと、フェンスに寄りかかってまたタバコを吸っていた。 ホント、それだから試合負けるんじゃないの? なんて。 千石は、山吹の中でも、かなりの努力家で。 タバコなんて、そんなに吸わないことも本当は知っているんだけれど。 寝起きの私は、千石へ声をかけるのも面倒で、ただ、ぼうっと、タバコを吸う千石を見る。 染髪されたオレンジが白い学ランに映えて、綺麗。 空が、まだギリギリ青いから、一つの絵みたいに、千石は綺麗だった。 タバコの煙が、火葬場を髣髴とさせる。 去年死んだお婆ちゃんを思い出した。 千石にタバコを教えた、あの女を思い出した。 千石は、短くなったタバコを携帯灰皿に捨てると、こっちを向いた。 目が合ったけれど、まだ、意識が覚醒していないせいか、特に逸らす気にもならずに見つめ返す。 千石の、ちょっと痛んだ髪がさらさら揺れる。 ああ、歩いているのか、と気付いたときには、千石は私の前まで来ていて。 ゆっくり屈んで。 鼻のてっぺんにキスされた。 「たばこくさい」 「マジ?」 「うん」 千石はポケットからフリスクを取り出すと何粒かがりがりと噛み砕き、今度は口にキスさ……れてたまるか! 一気に意識の覚醒した私は、思いっきり、両手で千石の頬を、挟むように、蚊を叩くときみたいに、叩いた。 自分で言うのもなんだけど、パチィンと、とてもいい音が響いた。 「ってぇ……」 「そういう冗談は彼氏のいない子にやりなさいよ。私、浮気する趣味ないし」 ゴシゴシ、と鼻の頭を擦ると千石は肩を竦めた。 やれやれ、わかってないな、と言うように。 その余裕ぶった対応が物凄くムカつくんですが。 悲しいくらい胸がどきどきしてしまっている事実が、辛くて。 千石は誰にだって、女なら、誰にだってこうやって、こうやって、こうやって…… 悔しい。嬉しくて、悔しい。 睨みつけると千石は屋上でぺったんと座っている私の前でヤンキー座りした。 「こういうのは好きなコにやるもんじゃない?」 もっともらしく首を傾げる。 「女なら誰でもいいくせに……」 吐き捨てるように、実はちょっと嬉しかっただなんて悟られないように、出来るだけ剣呑に睨みつける。 頬が赤いのが、怒りの所為に見えるように。 ドキドキしてるのがばれないように。 私はこのポジションでいいんだ。 悪友みたいな、他の彼女だったコ達とは違う、この、仲の良さで。 こんなのは望んでいない。 だから、彼氏を作ったのに。 千石は、いつも私の心を揺さぶる。 「別に、彼氏がそんなに好きってワケでもないんでしょ?」 千石が、私の顔を覗いて来る。 眉間に皺を寄せて、千石を睨む。 「だからって、なんで千石にこんな事されなきゃならないの」 「俺は ヒトミが好きなんだってば」 さらりと答えて、じっと見つめてくる目をそらせなくなる。 ああ、 やっぱダメだ。 わたし、 千石が好きなんだ。 どうするの。 どうせ一ヶ月くらいしか、そんな関係は続かない。 そうして、別れたら、南や千石と、こんな位置では付き合えなくなるかもしれない。 どうすればいいの。 そりゃ、少しは千石が私の彼氏になったら、とか考えたことはあるけど。 それは、ただの空想で。想像で。 現実にありえないことだったはずで。 なのに。 わたし、どうすればいいの。 「……わたし…… 有田 君になんていえばいいの……」 その言葉に、心底嬉しそうに、千石が笑う。 「なんで……千石のことなんてあきらめてたのに……なんで、ほんと……ホンット千石って性格の悪い男!」 「でも、好きなくせに」 「うっさい! 言っとくけど最低一年は付き合ってもらうから! 絶対だから! 浮気したら引き千切るから!」 「俺は、何年後でも、ずっとヒトミ と一緒にいる気だけど?」 「言ったね?! その言葉ぜっったい忘れないから! 大体、 有田 君と付き合う前にそういうコトは言ってよ! っていうか、普通あきらめないその時点で!?」 「いや、だって、好きな子にはいつものペースが通用しなかったりしない? ヒトミが嫉妬してくれればいいなとか思って色々手だしたけど、ヒトミ、全然俺に興味なかったみたいだし。でも、そんな好きでもない男と付き合うくらいなら俺でもいいだろ? それに言ったでしょ。神様に導かれたんだって。 もう、これは指令だね。神様からの。 ヒトミ が 有田 と結婚する事になったって、俺はその試練に立ち向かいますヨ。ぶっちゃけ花嫁強奪に行きますヨ」 HAHAHA、と似非臭い外国人笑いで、千石が笑う。だったら本当に 有田 君と付き合うその前に告白してこいよ。花嫁強奪よりずっと簡単じゃん。でも、千石は、いつも、こんな告白はしてなかった。遊びに行こう? って、俺と付き合わない? って、聞いて、相手が少しでもノリ気じゃなかったら別にいいやっていう告白で。 だから。 私は、柄にも無く、目が潤んできて、そんな私を見て千石はにやにやと笑ってキスしてきた。 フリスク八〇パーセント、、タバコ一〇パーセント、千石一〇パーセントの、総評としてはスースーするキスでした。で、 「お前ら、人が寝てる横で大声で告白とかするなよ……」 「あら、南くん」 「まあ、南くん」 「「いるの、スッカリ忘れてました」」 それは冗談なんだけど。それでも、がっくり、と項垂れた南から、お昼ご飯代を徴収するのは、流石に勘弁してあげました。 でも、私は千石にむこう一週間は昼飯を奢るように命じました。 そして、これから、私は有田君に別れの言葉を言う。 さほど好きじゃなかったけど、いい人だったと思う。 傷つけることに躊躇いはないけど、やっぱり、少しの罪悪感はある。 でも、私も有田 君も何となくわかってたはず。 私達は何年も付き合うような関係性を持ってないって。 多分解ってた。 取り出した携帯。 私は、溜息をつきたい気分でボタンを操作する。 他校生で、今日は六時間目の無い私の彼氏は、すぐに電話に出た。 こういう、マジメなところ、嫌いじゃなかった。 『――そッか。じゃあ、うん――ああ。そッか。うん』 「うん。そうなんだ」 『仕方ないッか』 「ありがとう、今まで」 『まあ、うん。あんま俺の事でへこむなよ』 「うん、ありがと。私、有田 君のこと嫌いで別れるわけじゃないから。うん、付き合ってくれてありがとう」 『解ってるッて。何か、俺も仕方ないかなッて思うし。うん、でも付き合えてよかった、と、思う』 「私もそう思う」 『うん、じゃあ』 「今までありがとう。じゃあね」 あっけない。 それとも、お互いにあっけなさを装ったのだろうか。 さよなら、好きじゃなかったけど嫌いじゃなかった人。唐突にこんな話を、しかも電話で、悪かったかなって思う。 電話を切ると、隣にいた千石が抱きついてきた。 やっぱり少しタバコくさい。 「コレで晴れてヒトミは俺のものってことでいいですか?」 「いいんじゃないですか。っていうか、違うから。千石が私のもの」 「まあ、別にどっちでもいいんですけどね」 「どっちでも良くない、主従関係は最初に舐められたら終わりなの」 「俺が従?」 「そう。私が主」 「っていうか、恋人関係じゃないの? 主従じゃないっしょ」 「うるさい、ごちゃごちゃ言わない。私、浮気とか絶対許さないからね! 絶対だから!」 「ヒトミがいれば俺は充分ですけどね?」 クスクスと千石は笑って、ちゅ、っと軽く音をさせて唇にキスしてきた。 実はすごい嬉しくて幸せだなんて、言わないし顔にも出さないけど。 「だから、お前ら、俺のいないところでやれよ!」 こんな中途半端な時間には教室に戻れない南が、顔を赤くして怒声をあげる。 「「アレ、南、いたの?」」 ごめんね、南。 神様は私達に南をいじるようにって指令を出してるんだよね。 |