| 世はクリスマス一色。日本ではつまり恋人達の祭典だ。 しかし、残念ながら香奈の彼氏という地位を持つ若は、二十四も二十五も忙しい、と香奈の誘いをあっさりと断った。ならば、なにか欲しいものはあるか? と聞けば、若はつれなく、特に無いと返してきた。 それを香奈が小さく友人らに寂しさとして漏らすと、彼女達は若を非難し香奈を慰めた。 慰めてもらえることは素直に嬉しかったけれど、若を非難されることが嫌で、香奈はそれを口にしなくなった。クリスマスの予定を聞かれても予定がないなどと言えばからかわれるので、クリスマスの話題を口に上らせることもなくなった。 香奈にはわかるのだ。 若にとってクリスマスは、 クリスマスは、若にとって何でもない日であり、その日に他人が騒ぐのは彼らの自由だと思ってはいるが、自分が騒ぐ気は全くない。イエスの誕生を感謝する気など毛頭ないと、若は思っている。 わかるのだ。 わかるのだけれど、香奈にとってクリスマスは大事なイベントだ。恋人たちの、というよりは、親しい仲での、大事なイベントだ。 別に、どこかに連れ出して欲しいわけでも、大きなイルミネーションやクリスマスツリーが見たいわけでも、プレゼントを贈って欲しいわけでもない。 ただ若と一緒に居て、五体満足で産まれてきたこと、健康に生きてこれたこと、二人が出会えたこと、二人が一緒にいられることの幸せを感じて、その奇跡に感謝したい。普段は見落としがちなそれが、どれだけ素晴らしいことかを、せめてこの日だけは思い出したい。 無宗教・無神教の香奈なので、特にどこそこの神様に感謝しようと言うわけではないが、感謝すると言うことは、香奈にとってその幸せを深く実感して噛み締めることと同義だった。 若がかまわないのなら、いらなくなった毛布を教会へ寄付するついでに、牧師の説教を聞いて神妙な気持ちになり、讃美歌を聴いてその完成された旋律の美しさに感動し、キャンドルを灯して幻想的な風景を楽しみ、――つまりはクリスマスの公開ミサなのだけれど。キャンドルは返却してもいいし持って帰ってもいいので香奈は毎回持って帰っている――それに付随する教会主催のフリーマーケットを回れたら嬉しい。 そこで、フランス人の友人の母が売り出す、スーパーの袋の中に無造作に詰められたありあわせの材料で作られたお菓子は値段と見かけにそぐわずとても美味しく、それを若にも味わわせてやりたい。 去年は、クリスマスに若へプレゼントとプディングを持っていった。後日、クリスマス・プディングの味の感想ももらえた。残念ながら純和風な彼の家では<ハイカラな味>と評されたらしいけれど、それでも若は“不味くはなかった。ただ重すぎる。全部食うのはきつかった”と、言った。乱暴な口調だけれど、全て食べ切ってくれたことが、とても嬉しかった。一ヶ月近くかかった料理だからなおのこと香奈は若の言葉に感謝した。 けれど、今年も同じと言うのは少し寂しい――と、思ってしまうのは香奈と若の関係がより親密になったからだろうか。それとも、若が隣にいることに慣れきってしまって、クリスマスというイベントで刺激が欲しくなっているのだろうか。 だとすれば、なんと人間の、香奈の傲慢で貪欲なことだろう。 「……って、あぁ……」 机の上の書きかけのクリスマスカードには、Happy Merry Un−birthdayと鉛筆で書かれている。ご丁寧にレタリングされていた。夜十時を回って自室に閉じこもっているとはいえ、ここまで見事に自分の間違いに気付かなかったことに香奈は心底落ち込み、思わず溜息が漏れる。 それから慌てて消しゴムでUn−birthdayの文字を消そうとした香奈は、しかし、思いなおしてその手を止めた。そうして、クリスマスカードを切り出して余っている厚紙に定規を当て、長さを二十三.五センチ、幅を十二センチの定型郵便最大サイズに切り出した。それから、先の書きかけのアンバースディカードを重ねてシャープペンシルで枠線を引き、細心の注意を払ってカッターとハサミとで綺麗に切り出していく。 全く同じ形のカードを作り出すと、今度はそちらにHappy Merry Christmasと丁寧にレタリングを施し始める。 十二月に入ってから朝起きて、香奈はまず部屋に飾り付けたアドベントカレンダーの窓を一つ開けることが日課になっていた。 ドイツ製のフンメル・天使と星のアドベントカレンダーは香奈が外国雑貨の店で母にねだったものだ。周りの地は赤く、柔らかそうな頬の愛らしい天使が二人と、ちりばめられた星。定番品なので毎年香奈はこれを買ってもらっている。母は、毎年同じなら買い溜めてしまえば良いと言うが、毎年、これを買いに行くこと自体、香奈は楽しいし、自分の中で行事の一つなのだ。 また一つだけ開けられた窓と、残りの窓の数をざっと目で数えて、クリスマスの近づいてくる様を、去年までであれば毎日わくわくしながら待っていたけれど、今年は少し違う。 このアドベントカレンダーの窓を開けきる頃には、若は用事で香奈と一緒にはクリスマスを祝ってくれないのだと考える。それが少しだけ寂しい。けれど、こんなイベントを一緒に祝えなくても、若が香奈を疎かにしているわけではないことは理解できている。 若には用事があるのだ。仕方ない。香奈を優先できる時であれば、若は二つ返事でオーケーをくれる。つまりはそういうことだと、香奈は寂しがる自分の心を自身で慰めながらカーディガンを羽織って部屋を出た。 リビングへ行く前に、郵便物を取りに行く。外気の冷たさに指が振るえ、細心の注意を払わなければ開けられない郵便受けを、香奈は何度も開け損ねた。 なんとか中の郵便物を取り出すと、気の早いことに新年のデパートのフェアの案内などが何通も入っていた。それをリビングへ運ぶ。一通の封書が香奈宛になっており、ふわふわとしたオフホワイトの紙に艶付きの金の箔押しが優美な封筒に、少し神経質そうな文字が濃いブラウンのインクで万年筆でしたためられていた。 「おはよー」 軽い声で母に挨拶しながら、香奈は決まった場所へ郵便物を置いていく。プラスチックケースに各人宛の封書を入れ、チラシは冷蔵庫にマグネットで貼りつけ、新聞はソファに放り出す。 自分宛ての手紙をレターオープナーで綺麗に開封して中を確認すると、教会の公開ミサの日取りと時間が明記されたプリントと便箋が一枚ずつ入っていた。十一月から定期的に公開ミサを行っていたようなので、随分今更感の漂う手紙ではあったが、顔見知りの牧師からの手紙に、香奈は何となく幸せだなと感じ、そう感じられることに安堵する。 「 サインの横に、最後に付け足された一文を撫でて、香奈は微笑んだ。 年末、若は忙しく、土日はまったく相手に出来ないと言われていたので次の土日にでも教会に顔を出してみようと決めて、香奈は学校への支度を始めた。 ◇◆◇ 土日は、若に放置されっぱなしの香奈は、親友である有田まどかに一緒に教会へ行かないかと誘いをかけたものの、彼女は残念ながらその日は塾の模試があるとのことで断られてしまった。 少々大げさなくらいコートとマフラーと手袋と……防寒をして、教会に行くからと家族に声をかけて早めに家を出た。ちょっとした挨拶のつもりであるし、手伝えることがあれば手伝い、何も無く時間が余れば氷帝のテニスコートに寄って若の練習姿を眺めればいい。嫌がられたら美術室にでももぐりこませて貰って描きかけの絵に手を加えるのもいい。一緒に帰るくらいは若も許してくれるだろう。 教会の最寄駅に降り、少し歩くと昔からずっとある、時代を感じさせる店構えの古本屋が目に入った。駅前には大型書店があるが、小さな店舗で健気に立向っている。香奈はふと思い立って、教会へ向うついでに、若へのプレゼントを模索するために古本屋に寄ることにした。 クリスマスに一緒にすごすことが出来なくとも、プレゼントくらいは渡せるだろう。昨年は母に習いながら、本やインターネットと格闘しながら手袋を編み上げたが、今年はまだ何も決めていない。古書の好きな彼のことを思い出し、本独特の埃っぽい紙とインクの香り香奈は目を細める。 細長い形の店内は狭く、店舗の入り口には一冊十円の叩き売りでカバーの無い文庫本が並べてあった。十冊も買えばなかなかいい暇つぶしになるとそんなことを考えながら香奈は店の奥へ足をすすめる。 古本屋も書店もそうだが、棚は天井を目指すかのごとく高く、特に小柄な香奈には圧迫感がある。本を並べている棚も時代を感じさせるものではあったが、埃などは落ちておらず、古いなりによく手入れのされた気持ちの良い店内だった。 特に目的の本も無くふらふらと背表紙を眺めながら、興味を持った物を順繰りに手にとって中身を調べていった。 ぐるりと店内を見回って、なかなか節操の無い古本屋だという感想が香奈の中に浮かぶ。漫画は少ないものの、古い雑誌もあれば、風景写真集とグラビアアイドルの写真集が隣同士に並んでおり、外国製のペーパーバッグがあったかと思えば、最新の料理本もあったし、少しばかり時代遅れのパソコンの指南書もあり、文庫本は作者の作品名順に並べてあるものの出版社は完全に無視されていた。 特に海外の児童用絵本が多数並べてあるコーナーが香奈の興味を引いた。英文からおそらくは仏文など、本文は他国語であったので残念ながら内容はきちんと理解できないものの、イラストの独特の愛らしさや今の日本では見られない独特の毒のあるタッチに香奈はいくつも手にとってみてはパラパラとめくる。香奈の尊敬しているペーパー・エンジニア、ロバート・サブダの絵本も多少痛みがあるものの書店で新刊を買うよりはずっと安い値段で置いてあった。 そして、香奈はこの季節にはピッタリの本を見つけてしまい、若へのプレゼントを探していたはずであるのに、自分の買物に変わってしまっていた。また香奈がどこかで知ってとても気になっていたベルギーの絵本、マルティーヌまであったので、真剣に悩み始めてしまう。 初めて入った古本屋だが、まるで宝の山のようだった。今までここに足を向けなかったことを後悔しながら、うーうーと唸っていた香奈だが、若へのプレゼントを……、と気持ちを切り替えると、心を鬼にして絵本を棚に戻した。そして、その隣にある、少々痛みの激しい本を手に取る。 レッドとグリーンの布張りの表紙にゴールドのラインはとてもクリスマスらしいもので、内容もきっとクリスマスに類したものだろうと何となく予想しながら表紙を開くと、それなりの歴史を感じさせるオレンジとモーヴの二色刷りの中表紙が現れた。 (北原白秋のまざあ・ぐうす?) 香奈でも知っている著名な詩人。そして、彼が日本人で最初に訳したと言われるマザーグース。むくむくと興味が湧いて最後のページをめくり版を確めると、大正十年十二月十三日発行、とある。初版だ。 七不思議の本は香奈が下手に買ったら被ってしまうだろうと言うくらい彼は持っているし――本当に、若はどこから探してくるのか、学園七不思議と言うピンポイントすぎる本を多数所持している。どうやって見つけ出しているのか香奈としては一度聞いてみたいところではある。――普通の本を贈るのではつまらない。文学的な価値も、希少価値という意味でもこれならプレゼントとして申し分ないだろうと香奈は判断する。裏表紙に帯のように巻き付けてあるビニールに記された値段はかなり高いが、今月はもう無駄使いしなければいいことだ。値段などどうでもいい。 なんとなく立ち寄った古本屋で思わぬ掘り出し物を見つけた幸せに、香奈は先日の牧師からの手紙の最後の一文を思い出した。もう少々お値段が低ければ文句はなかったけれど、こればかりは仕方がない。 香奈は素敵な宝物を見つけたような嬉しい気分になりながら、しかし、これだけでは面白くない。何か一つくらい手作りしたものを贈りたい。ジンジャーマンクッキーでも、マフラーでもなんでも良いけれど、若のことを思い出しながら何か作ると言うのは寂しさを紛らわせてくれもするし、とても贅沢で幸せだと感じられる時間なのだ。ただし、絵を贈ることだけはしたくない。 若があまり香奈にテニスをしている自分の領域を侵させないように――彼はテニスのルールを教えてくれはするけれど、その苦悩や彼自身の悩みなどは口に出すことが無いし、あまり香奈が応援に来ることも喜ばない――、香奈もあまり絵を描いている自分の領域を若に公開する気はなかった。 購入するプレゼントはこれとして、さて何を手作りしようかと香奈は思案する。贈りたいというのは香奈のエゴであるので、慎重に選ばなければならない。不愉快な、また不必要な贈り物は若を困らせるだけだ。 「すみません。それ、買われるんですか?」 思案中にかけられた声に、香奈はおもわず肩を振るわせた。 振り返ると、少々困ったような愛想笑いを浮かべた少年が香奈を見下ろしていた。香奈は、それだけのことに途方にくれてしまう。 |