通学路のメディテーション
 朝は同じように来るし、俺は同じ通学手順で学校へ向う。
 いつもと同じ電車に乗り、つり革に手首までを引っ掛けた俺は、身長の関係でつり革につかまりたがらない――小曾根はつり革をつかんでいる方が疲れそうだった――小曾根を、いつも通り庇うような体勢で立つ。今朝も、普段と同じように電車内は混んでいた。

「やっぱり、幼稚……小学校のが勉強楽だったよー」
 はぁ、と溜息交じりに小曾根が宿題の苦痛を語る。ちなみに今日の小曾根の第一声は「数学の宿題終わってる?」だった。それが過度でなければ数学の宿題の手助けをしてしまうのはナントカの弱みなのだろうか。
 入学時に小曾根が言ったとおりに外部からの受験入学だった俺は、勉強せずエスカレーターで上がった小曾根や他の生徒より成績が良かった。ただし、名門校であるので、勉強も確かにレベルが高い。

 けれど、そんな事よりも幼稚舎上がりのヤツらの選民的な意識がひどく鼻についた。小曾根は全くそんな事を感じさせたりはしないが、一部のあからさまな奴は俺のような外部からの入学者を妙に敵視してくる。“外部のくせに”などと言われるとかなりムカつく。
 実力でねじ伏せるだけだが。
小曾根って塾とか行ってないのか?」
 毎回のように数学ばかり宿題をやって来ない小曾根に、そう聞く。すると、小曾根が華奢な首を、かくんと揺らした。その拍子に彼女の柔らかな髪がふわりと舞う。
「週三回だけ個人授業の塾に行ってるけど普段はお兄ちゃんとかにも教わってるかな。第一志望国立だし、変に頭いいんだよね、あのひと」
 兄の頭がいいと自慢を口にする割には、小曾根の唇からは溜息が漏れた。兄と自分の学力差をコンプレックスにでも思っているのだろうか。そんな、ちょっと引っかかる曖昧な笑みを小曾根が見せてきて、こんな時に上手く話を逸らすすべを持たない自分に少し苛々とする。
 そう言えば、兄も都内の国公立大学を第一志望としていたが、そんなことはいう必要がないと思うと、良い話題が見つからずに口を閉ざした。

「日吉は塾行ってるの?」
 先ほどの印象を払拭するかのように、少しわざとらしい明るい声で小曾根が尋ねてくる。
「授業の内容を全て理解すれば必要ない。小学校の頃は通ってたけど」
「ええ? 授業だけで理解できる?」
「家で復習して授業の間の休み時間に予習すれば、簡単だ」
「すご! 私には無理だー。日吉すごいねぇ……――ね、あっちの人、ちょっと音大きいね」
 純粋に俺のことを感心しているらしい小曾根に、少しばかり安堵する。休憩時間に勉強する一番の理由は俺を外部入学者だからと見下してくるクラスメイトと長時間ダラダラ喋りつづける事がただ苦痛だからなのだが、それも言わなくていいことだ。

 そうして、あっちの人、と言いながら小曾根が控えめに視線を向けた方向には、耳にしたイヤホンから大いに音漏れしている男が立っていた。この混雑の中で人三人分は離れているだろう俺たちの位置までしっかりとシャカシャカした音が聞こえているので周囲にいる人間にはかなり迷惑な行為だ。
 馬鹿な小曾根のことだから、周りにいる人が可哀想だとでも思っているんだろう。心配そうな光を湛えた瞳でそちらをうかがっていた。いや、もしかしたら音が漏れている事に気づいていない持ち主を哀れに思っているのかもしれない。やはり他人の思考など理解できないなと噛み締める。
「ああいうの小曾根は電車で聴くのか?」
 ふと、疑問に思った。
「聴くこともあるよー」
「見た事ないな」
「せっかく日吉がいるんだから日吉と話してたいし、学校ではさすがに聴きづらいしね。帰りの電車では、聴いたりするけど」
 これ、と言いながら学校の指定鞄のポケットから、混んでいる電車の中で器用にもそもそと携帯と有線のイヤホンを取り出した小曾根は、小さな手でその手には少々大きそうな携帯電話の表面を弄くり始めた。
 たぶん、何かを操作しているんだろう。まさか会話を切り上げて音楽鑑賞に勤しむわけでもないだろうが、何をしようとしているのか俺にはさっぱりわからなかった。

「色々聴くけど、今よく聴いてるのは坂本龍一かな。古いから日吉は知らないかも、はい」
 しばらくそうして小曾根の動作を眺めていると、急に小曾根がイヤホンの一つをほぼ問答無用で俺の耳に差し入れた。いきなりの事に驚き、必然的に近付いたお互いの顔に何か言葉を発する間もなく、小曾根はもう片方のイヤホンを自分の耳に嵌めてしまう。
 先ほどの顔の近さと、この状態だけで勝手に心臓が重く速く強く激しく脈打ち始めて、その動揺と緊張が小曾根に伝わらないようにと平静を装うだけで精一杯だった。顔が赤くなってるんじゃないかと心配になって顔を引締めて口元を、なるべく自然さを意識して手で覆うように隠した。

 女子は自分の好きなものを人に薦めたがると言うが、小曾根も例外ではないようで、俺に気に入りの曲を聴いて欲しいんだろう。
 片耳だけでは音楽が聴きづらいとか耳が悪くなりそうだとか音が左右で違うんじゃないかとか色々思いながらも、旋律が聞き取れる程度にごく絞られた音量がイヤホンから静かに流れ出す。けれど、俺の心臓の音に負けて、その歌は良く聴こえなかった。
 サァサァと海の波音のような自分の体内を巡る血流の音とドクドクと脈打つ心臓に、勘弁してくれと呟きたくなる。たったこれだけの事でこんなにも動揺してしまうなんて、俺は馬鹿か。
 最初は古臭い感じの曲だと思ったが途中から聴き覚えのある旋律になり、小曾根は俺の緊張など気づかず小さく歌詞を口ずさんでいる。俺にも聞き取れない程度に口ずさむ小曾根の綺麗な形をした唇が、歌詞に合わせて小さく動くのを見ていると、時折白い歯だとか、赤い舌だとかがちらりと俺の視界に入る。
 聴こえないほどの声で歌っている――というか、唇を動かしている――小曾根の様子は純粋に可愛いのだけれど、なんだか赤い舌と白い歯と桃色づいた唇から目を離せない自分が酷く卑賤に感じられて、葛藤が苦しい。
 イヤホンから流れる、中性的でどこか子供のような細く幽かな消えてしまいそうな女の歌声と小曾根の唇の動きが少しずれてるなとか、そんなことにまで気づいてしまった。
「この曲、日本語版もあるんだけど、私は英語の方が好きなんだ」
 耳元に手を添えてイヤホンを押さえる小曾根の仕草も、誰でもやっていることなのに、どこか楚々とさえ感じられてしまう。俺を見上げた小曾根と目が合うと、話し掛けられていることにやっと気づいた。

「ああ……うん?」
「日吉聞いてないし!」
 大げさに笑いながら、小曾根が俺の耳からイヤホンを外して、その顔の近さに、このまま口付けられそうだなどととち狂った事を考えてしまう。
 小曾根に見蕩れていたと言ったら、どんな反応をするだろうか。言えれば、俺と小曾根の関係は、きっと崩れてしまうのだろうけれど。俺たちはクラスメイトで、そんな事を言ってしまえば――上手くすれば俺を意識してくれるかもしれないけれど、冗談だと思われるか、退かれるか、だろうと思う。俺だって見蕩れていたなどと言われれば“頭、大丈夫か? ”と不審に思うだろう。それに、そんな言葉を軽く言える性格では、俺はない。そういった、冗談や軽薄さは今の俺と彼女の間には存在しない未知のものだ。
 可愛いといわれた小曾根が照れてクラスメイトの男子を軽くはたいていたのを見たことがあるけれど、俺にそんな言葉が言えるはずもない。そして、照れる小曾根の様子を、心底可愛いと思っていただなんて更に言えるはずもない。
「悪い、曲聴いてて」
 俺の答えに小曾根は微笑んで「日吉って何にでも真剣だよね」と俺のことを解っているのか解っていないのか微妙な言葉を口にした。嬉しそうに笑っているのは自分の好きな曲を俺が真剣に聞いていたから、だろう。実際に真剣だったのは小曾根を目で追うことだったのだけれど。
「この曲、英語と日本語があるんだけど、私は英語の方が好きなんだ、って」
 俺が聞いていなかった言葉を再び口にした小曾根は、ごそごそと携帯電話を鞄に戻している。
「内容違うのか?」
 実は特に興味もないのだけれど、これも社交辞令かと思いつつ尋ねる。小曾根の好きなものを知っておきたい、くらいの軽い好奇心。
「英語は自分の愛を信じる感じで、日本語は生まれてこなきゃ良――わ……ッ」
 喋っていた小曾根は、けれど電車の揺れに負けて途中で大きくよろけ、反射的に俺の腕に掴まって転ばぬように耐える。俺も反射で小曾根の肘のあたりを掴んで抑え、彼女の体制が崩れないように支える。
「ごめ、ありがと」
 体勢を持ち直した小曾根は、俺が彼女の肘を離しても俺の腕を掴んだまま、不思議そうに俺を見上げてくる。訝しげな表情と言っていい。目を少し見開いて俺の顔を見つめながら何度か大きく瞬きしている。
「日吉ってさ、なんで学校だとあんまり話してくれないの?」
「なんだよ、急に」
 あまりに唐突な質問に、面食らってしまう。
「急に、不思議に思ったから?」
 至極不思議そうに問われて、その答えを自分の中で探し始める。
 学校でなんで小曾根と会話しないのか。

 勉強をしているから。 会話をする必要がないから。 小曾根が好きだから。 他人にその感情を気づかれたくないから。 気づかれないように、学校では小曾根に対して刺々しい態度になってしまうから。 そんな自分が嫌で、だからなるべく知人などのいる場所で小曾根と関わりあいたくないから。

 ……ただ単に、俺が不甲斐無いからじゃねぇか。
 正直に答えることも出来ず、かと言って適当な理由もすぐに思いつかない。それに、それよりも早く俺の腕を掴むその手を離して欲しいとか、けれど離さないで欲しいとか、そんな矛盾した思いが胸中に浮かび、苛々とする。こんなふうに心を乱されるのが嫌で小曾根の腕を掴んで自分の腕から離させた。
「あ、ごめん」
 俺の行動に申し訳なさそうに小曾根が謝る。俺は「別にいい」と一言だけ返した。
 小曾根にとって先ほどの質問はさほど重用ではなかったらしく、それ以上は追求してこなかった。その事に安堵しながら、安堵した自分に腹立たしくなる。こんな感情の繰り返し。

 小曾根は、友人ではない。しいて言えばクラスメイト。
 けれど、俺の小曾根に抱く感情はクラスメイトへ向けてのそれとは完全に異なる。そしてまた、友人とも異なる。
 俺にとって小曾根は何かと問われれば、クラスメイトとしか答えようがないけれど。

 普通は友達になり親しくなりしてそう言った好意を抱くような気がするが、そんなものはすっ飛ばしてしまった気がする。
 変なやつから好きな人への急激なシフトチェンジに俺自身頭がついていっていない。一目惚れではなく二目惚れとでも言えばいいのか、好きだと感じたのは彼女と電車で触れ合ってからなのだから、俺はその時に初めて小曾根を女だと意識し始めたのかもしれない。けれど、小曾根が気になっていたのは、もっと前だった。ならばあれは予感のようなものだったのだろうか。
 小曾根を好きになると言う、予感。

 特に劇的なことは何もなかったように思う。正直に言えば、テニス部のマネージャーの方が断然触れ合う機会は多かったし、先輩ではあるもののマネージャーはよく気のつく魅力的な女性だと思う。
 けれど。
 自分の感情を自分で御せない。

 ◇◆◇

 休み時間、次の授業の国語の漢文の予習をしている俺に、クラスメイトが声をかけてきた。
「日吉ってさぁ、小曾根と一緒に登校してんの?」
 顔を見ても誰だか思い出せなかったので、大して関わりのある人間じゃないと判断したが、小曾根に関わる発言をされた所為で俺の不愉快さは一気に限界に近い場所まで跳ね上がった。
「してねぇよ」
「ふぅん? でも、一緒に学校来てるじゃん」
 こいつ、別に運動部でもなかったような気がするが、朝練の始まる前の時間に登校している俺たちの様子などどうやって知ったのか。そんな疑問が胸に浮かびつつも、相手を無視するようにノートを捲り、教科書に視線を向ける。
「たまたま、電車の時間が同じなんだよ。小曾根が勝手に話してきてついてくるだけだ」
 事実五割、虚構五割。
 もともと、俺の通学時間に小曾根が勝手に合わせてきているのだから嘘ではない。けれど、一緒の登校は、しているといえばしている。俺がわざわざ電車の路線を変えているのだから。
 しかしそんな事を素直に認める気もない上に教えてやるほど優しくもないので、呆れたような大げさなため息を一つ吐いてノートに文字を書き込んでいく。
「俺の友達が幼稚舎のころから小曾根のこと好きでさ。日吉も狙ってるならちょっと困ると思ってたんだけど」
 相手の言葉に自分でも不思議に思うくらいに苛々とした。

 不愉快だ。ムカつく。腹に熱い鉛でも流し込まれたかのような、体温が上がったと錯覚するほどの不快な気持ちになった。これが兄貴なら喧嘩を売っていたかもしれない。恐ろしいほど苛々する。反射で舌打ちをしてしまった。
 こいつの友人が小曾根を狙う? 勝手に狙ってるんじゃねぇよ。 ああムカつく。 理由なんてわからないけれど、ムカつく。 牽制されてるのか、これは。小曾根に手を出すなと。順番待ちか? 馬鹿らしい。 ……――友達? いや、違う。多分これは、こいつ本人の事だろう。 友人に相手の気持ちを確かめさせる奴が小学校の頃にいるにはいたが、女子が多く男子はもっとふざけていたように思う。興味がなかったのでほとんど記憶にもないが。 牽制、なのだろう、やはり。 牽制されるほど、俺と小曾根は仲がいいわけではない。 それも思い出してさらに苛々した。 ムカつく。 俺は幼稚舎のころの小曾根のことなど欠片も知らない。 それを知っていて、しかも、小曾根が好きだという男。
 不審者への対応は学校でも道場でも習ったが、こういう時の対応なんて習ったことなどない。
「俺は勉強中なんだ。そんなくだらない話なら邪魔するな」
 棘棘しい口調で言い放つと、相手の方も気分を害したようで「そうかよ」と言ってやっと俺の机から離れていった。
 それでも、俺の腹の中にある鉛は消えはしなかった。なんで俺にあんな事を言うのか。
 なぜ、小曾根ではなく俺に言う? わからない。それは俺の中にある思考のどれとも当て嵌まらない。
 ただ一つ解る事は、おそらく、現状の関係を崩したくないのだろうという事だけだった。
 それは俺がそうだからだ。
 気づかれたら恥ずかしいじゃないか、こんな気持ち。

 溜息を一つ吐いた所で、教科書のページをめくる。勉強に熱中していた方がまだましだった。けれどそんな逃避思考を遮るように、教科書の上に可愛らしい包装の飴玉が転がった。
「あげる」
 顔を上げると小曾根が妙に真剣な顔で、徳用の飴の大きな袋を抱いていた。なぜこんな事をしているのだろうか、彼女は。
「あ、昆布飴の方が良かった?」
 そういう問題ではない。それに昆布飴は歯に絡みつく感じが少し苦手だ。
 何も答えずに小曾根の抱く徳用の飴玉の袋に視線を向けていると彼女はまたそこから一掴み分の飴玉を取り出して俺の机にばら撒いた。
「さっき、あのひと」と言いながら小曾根は視線をさっきの奴へ向けて、「話してたとき、日吉、ちょっと嫌そうな感じだったから」俺へ戻した。
 小さな声。視線が合う。
 俺はそんなにあからさまな顔をしていただろうか。けれど一応気をつけていたし、口調こそ刺々しくなってしまったものの、声のトーンは落としていた。
 俺が不機嫌だと気づいたと言う事は小曾根が俺を見ていたということだろうか。そこに、深い意味はあるのだろうか。
 いや、ないと解っている。
「良くわかんないけど、元気出してー」
 小曾根はそれだけ言うと、仲のいい女子の方へと歩いていって、また飴を渡していた。その姿に、なんとなく、祖母が道場生に菓子を配る姿を思い出す。
 そうして、さっきの苛々が不思議なほど消えてなくなっていることに気付く。もしかしたら頬が緩んでいるかもしれないと思って意識して筋肉を引締めた。
 そうして、この大量の飴をどうしようかと思いながら、一粒口に放り込む。
 甘すぎる。
 反射で吐き出しそうになって、慌てて噛み砕いた。

 ◇◆◇

 朝は同じように来るし、俺は同じ通学手順で学校へ向う。
 いつもと同じ電車に乗り、つり革に手首までを引っ掛けた俺は、身長の関係でつり革につかまりたがらない――小曾根はつり革をつかんでいる方が疲れそうだった――小曾根を、いつも通り庇うような体勢で立つ。今朝も、普段と同じように電車内は混んでいた。

 小曾根と昨日のむかつく奴の関係を聞くなら今だと思いながらも、どうやって聞くべきか。どう聞けば訝しく思われないかを考えて、押し黙っていると小曾根が呼んでくる。
「日吉ーもったいないよ?」
 顔を上げた俺に小曾根は叱るようにそう言った。言葉の意味が解らなかった俺としては「何が?」と返すしかない。それから小曾根は少し呆れたような表情をして、更に言葉を続けた。今日はきちんと宿題を終えてあるらしく、その話題はない。
「ほら、すぐにそーゆー顔する」
 ソーユーカオ?
 どんな顔をしているのか解らずに自分の頬に触れてみる。小曾根は俺の顔を覗き込んで――このアングルはかなり可愛かった――少しだけわざとらしく、にっこりと笑った。
「笑えばいいのに。日吉黙ってると怖い感じするらしいよ。いっつも勉強してるし、近寄りがたいオーラが」
「それを治せと俺に伝えるように、誰かに言われたのか?」
 俺の声に不機嫌な調子が混ざった事を小曾根はすぐに理解して――俺もかるく驚く程度には不機嫌そうな声だった――困ったように首を振った。ぶんぶんと揺れる小曾根の髪が思いっきり顎に当たって少し痛かったのだが、それは言わずに許容する。
 他の女子ならば必ず、不機嫌な顔をするか、文句を言うか、不愉快に思うかするだろうけれど、こんな小さな触れ合いでも、どうしようもなく嬉しい自分に腹が立つ。馬鹿か、俺は。
 こんな、他愛ない触れ合いのたった一つ一つを喜ぶなんて、どれだけ馬鹿なんだ。自分に呆れてしまう。
 俺は、なんで小曾根が好きなんだろうか。
「違うちがう。日吉、かっこいいからもったいないなって。学校でたまに日吉と話するとみんなにすごいって言われるから、なんでかなって思ったんだよね。そしたら、日吉、学校じゃあんまり話さないし笑わないなぁって」
 自分の事をかっこいいなどとは思えないけれど、小曾根にそう思われている、という事だけが嬉しかった。
 あまりの自分の単純さ加減に、その直後にため息が漏れそうになった。こんな、小曾根の一言に振り回されてどうする。数学の正数と負数ごときに弱音を吐いている小曾根の一言に、振り回されてどうする。
 それでも、そう自分をたしなめても、わけのわからない幸福感は拭えない。

 しかし、女子は自分の好きなものを人に薦めたがると言う。それは兄と父が話しているときに聞いた言葉で、それならば小曾根は俺のことを恋愛感情ではなくとも少しは好きだということだろうか。登校を共にしている時点で嫌われているなどとは微塵も思ったことはないが。
 けれど薦めるというのは、その好み、その好きなものを友人や回りの人間と共有して会話したい、もしくはその好きなものを伝えて他人に認めて欲しい、好きだという感情を共有して理解してもらいたいのではないかと、思う。一瞬、跡部さんの取り巻きの女達を思い出した。跡部さんのかっこよさやらカリスマ性やらを他人と共感し共有し、勝手に盛り上がっている女たち。
 そんなことはどうでもいい。別に誰かに愛想を振り撒いて格好いいなどと言われたい訳じゃない。小曾根がそう思ってくれれば、それだけで充分過ぎるほど充分だ。
「別に、笑わないようにしてるわけじゃない。俺は愛想笑いをしないだけだ」
 面白ければ笑う、と言うと、小曾根が難問を解いたような晴れやかな顔で笑った。
「ああー。なるほどー。日吉、笑いの沸点が高いんだ!」
 笑いすぎだろ、と思ったが、指摘はしない。
小曾根は低そうだな」
 言うと、何が面白いのか小曾根がまた笑いながら「私と日吉をたして割れば丁度いい感じだね」と言った。自分でもわけのわからない事にその小曾根の一言に心臓が勝手に反応した。え、これ、本当にどこが良かったんだ?
 何だか自分の気持ちに収拾がついていない気がする。

 動悸の動機が思い当たらずに混乱して少し視線を泳がせると、珍しい事にこの近距離で小曾根としっかりと目が合った。小曾根の方も驚いたらしく少し固まってから、はにかんで微笑んだ。それがとても愛らしく感じられて、困る。目が合った事に何か意味があるのではないかと考えてしまう。そんな事はないと知っていても、もしかしたらと思ってしまう。

 急に目をそらすのも不自然かと思いながらも、この近距離で顔をつき合わせているのは、かなり心臓に悪い。そんな思考の間も、俺と小曾根は不自然に視線を合わせたままで、会話がないことが余計と俺たちの周りの空気を歪ませているような気がした。
 幾度か瞬きをしてから、どちらともなくぎこちなく視線を外した。  
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