何だかうまくいかなくて、苛々して、でも、一緒にいられればそれでもいいと思えるから

 真夏のこの時間は、カーテンを貫通して侵入してくる太陽の光も真昼に比べて穏やかな色合いを見せる。
 適度に冷えた空気を常に吐き出してくれる空調機のおかげで、室内は快適な温度を保ち、冷気に揺れるカーテンの陰がフローリングの上を舞っていた。
香奈、よく聞けよ」
 やけに真剣な兄の言葉に、ソファに寝そべって文庫本をめくりながら香奈が「んー?」と適当に相槌を打つ、夕食前のリビング。
「ここにTDLのチケットが四枚ある」
 ひらりと手品師のように兄の手の中に四枚のチケットが現れ、香奈はこくりと頷いた。
「うん。新聞屋さんのでしょ? 毎年四枚貰ってるじゃん」
 契約している新聞の特典として毎年、夏から秋にかけて期間限定で使える東京ディズニーランドのチケットを貰っていることは、香奈も知っていた。なぜ、シーではないのかと不満ももっていたから、なおさら。
 昨年も――兄は既に家族でどこかへ行くような年齢ではなかったが――香奈の為にと家族で遊びに行った。今更なにを言っているのかと思いながら、香奈は紙面から顔を上げて首を傾げて兄を見る。
香奈に二枚やる。で、俺が二枚貰います」
「……え? 何で?」
 差し出されたチケットを受け取りながら「みんなで行かないの?」と逆側にかくんと首を落とす香奈に、兄はひらひらと手を振った。
「彼女と行くし」
 にやりと笑って答える兄の言葉に、香奈は眉尻を下げて唇を尖らせる。
「何それ……ずっるー……そしたら、私は誰と行けばいいのー?」
 香奈は寝そべっていた身体を起こしてソファに腰掛けるとページを閉じた文庫本とチケットを両手で挟みながら、ソファの背凭れ側から覗くように自分を見下ろしている兄を見上げる。
「おま、彼氏と行くとか考えろっつー」
 苦笑気味に兄が言えば、香奈は小さく唇の内側を噛んだ。
「えー? だって、なんか、そーゆーの嫌いそうなんだもん、若……。断られたら凹んじゃうからヤだよ……それに、部活忙しそうだし……今、夏休みだよ?」
 ぶちぶちと否定の言葉を吐く香奈に、兄は苦笑して中指でその額を弾いた。そして大げさに痛がる香奈に一言。
「一緒にTDLにも行ってくれないような男と付き合うなんて、お兄ちゃんは許しません。誘うだけ誘ってみろよ」
 自分の肩を叩きながら兄が言ったセリフに香奈は目を瞑って、唸る。

 ◇◆◇

 日付けの都合をつけてくれれば、別に一緒に出かけることは面倒でも苦でもなかった。普段ならば金銭的に都合がつかないが、無料なら行ってもいいだろうくらいには思った。
 そうして、異常気象の所為かなんなのか、晴れすぎた今日。夏休みの中のたった一日。
 終業式以来、久々に香奈に会えたことは素直に嬉しかった。口には出さなかったけれど。
 しかし、会場直前のあまりの人の多さに、初めてこの場所に足を踏み入れた俺は、顔に出さずに怯んでしまっていた。テーマパークというものはここまで混むのか。確かに耳に入ってくる情報では人気はあるようだったけれど実際に見てみると、この暑いのに驚くばかりの人だかりだ。
 大人だけの団体もあり、小さな子供の遊び場という自分の中のイメージと違っていて戸惑いもする。
 それでも入口付近の植木の管理のよさは気持ちが良く、軽く辺りを見回して入園口周辺の構造を確認し、幾つか列が出来ている事を見止めた所で「若」と、香奈が俺のティーシャツの裾を躊躇いがちに引っ張ってきた。香奈は以前からよく声をかけてくると同時に裾を引っ張ってくる。何故だろうか。
 最近の暑さの為にか、香奈は普段よりも露出の多い服装であるものの、体つきが子供っぽいので単純に可愛いと感じた。口には出さなかったけれど。
「えとね、若、入場待ちの列並んでてくれる? 私チケット換えてきちゃうから……若、ここ初めてなんだよね?」
 香奈の言葉に頷くと「あっちが入場待ちの列だから並んでてもらえる?」と香奈は言い、俺にはどれが何の列かわからないけれど、迷いなくチケットを換えに(実はこの言葉の意味もいまいち解らない)行った。
 普段よりもテキパキとした香奈の様子に少しだけ驚かされながらも、何もわからない自分の現状に溜息を噛みつぶした。
 天気は良すぎるほどによく、むしろ逆に悪いのかと思う程のそれに、前に並んでいた母親らしき女性が隣にいる小さな子供に帽子をかぶるよう促している声が聴こえる。俺も何か持って来れば良かったかと、質量があると錯覚しそうなほど凶悪な日差しに小さく息を吐き、乾いた唇を舐めて湿らせた。
 入場券を買う列と入場の為の列とが、開園したばかりだからか長く太く続いていて、係員が「四名ずつ横に並んでください」などと指示を出していた。
 そんな中でデイバックのストラップを握りながら、場違いな感じがいなめずに小さく舌打ちをする。居た堪れないとまでは言わないが、こんな場所で一人で居るのは、かなり落ち着かない。園内ではないのに既に耳の付いた……カチューシャ? ヘアバンド? を、している女性や、男性を見れば、げんなりとしてしまう。思考するのも億劫でただ香奈の戻りを待った。何もする事がなくて香奈に指示されている状況に、ほんの少し苛立ちながら。
 しばらく列に並んだまま待っていると人の合間を縫って香奈が戻り、差し出されたパスポートを受け取ると「若、乗りたいものある?」とそれはそれは楽しそうに聞かれた。
 けれど、場所と開園時間程度しか下調べしていなかった俺は、何があるのかよく解らない。首を横に振ると、香奈は自分は何が好きだとか何は混んでいるだろうだとか色々と話し始めた。
「別に、なんでもいい。俺は初めてだしな。あまり、並ばなければ何でもいい。任せる」
 何も知らない俺としては判断に困るところだったのでそう答えると、香奈はなぜかぎこちなく笑ってうなずく。
「ん……わかった……任されるね……」
 こうしたデート然としたデートは初めての事で、今更だけれど普段とは勝手が違う。帰宅途中に本屋に寄ったり、公園に寄ったり、映画を観に行ったりはしたけれど、今回は遊園地。
 楽しげな周りの客の会話が聞こえる所為もあって、妙に気まずい。普段ならこんな沈黙も何とも思わないのに、なぜか、今日は酷く居心地が悪い。
 毎日、学校で会っていた時はこんな気まずさなどほとんど感じたことがなかったのに。夏休みであまり会っていなかった所為か、それともこの場所の所為か、よくわからないけれど、何を話したものかと悩みながら、燦々と降り注がれる殺人的な日差しに、汗が一筋流れた。

 ◇◆◇

 香奈らしいと言えば香奈らしい。入園して早々に迷子を拾った。これはデートなのだろうかと一瞬だけ疑うハメになった。
 拾った経緯を至極簡単に説明すると、炎天下の広場のど真ん中で挙動不審に動き回り不安がっていた子供に声をかけたのだ。何故わかったのかと問えば「私もよく迷子になったんだよね」と答えられ、妙に納得してしまった。
 二歳程度だろうか、立って喋りはするものの、小さい生き物だった。こちらが何か問うと同じ言葉を何度もくり返しながら応えるが、一応話は通じているらしい。
「館内放送は?」
「えっと、ここは、放送ないんだよ。でも、迷子センターがあったはずだから」
 香奈の手を離したら死ぬとでも思っているのか二歳児(仮)は必死にその手を掴んでいて、心の中でそいつはあまり役に立たないぞと二歳児(仮)に告げた。それでも、迷子センターの場所に辺りをつけると歩き出した香奈はいつもより行動の歯切れがいい。
 小さな一歩を踏み出しながら文章になっていない単語を連発している二歳児(仮)の話に、香奈がわかっているのかいないのか相槌を打つ。そうしていると唐突に二歳児(仮)が俺の手を握ってきた。反射で振り払おうとしたが、ギリギリで思いとどまり、それを受け入れた。
 二歳児(仮)も暑くないわけではないらしく、作り物のようなぐにゃぐにゃふわふわした手のひらが湿っている。並んでいた時の、前列の母親の言葉を思い出してその頭部に触れるとかなり熱をはらんでいた。
香奈、お前、帽子とかもってるか?」
「これなら……」
 片手で器用に取り出してきた帽子は、この園内以外でかぶっていれば物凄い馬鹿くらいなんじゃないだろうかという代物だった。俺の視線に気付いたらしく「去年お兄ちゃんが買ってくれたの!」となぜか弁明のようなものを聞かされた。
 まあ、この年頃の子供がかぶっているのならば問題はないだろうとその帽子(と呼んでいいのかこれは)をかぶせてやるとあっという間に嫌がってもぎ取った。面倒なので再挑戦はせず、香奈となるべく日陰を歩くように注意して歩いた。
「ぶらぶら!」
 と、また二歳児(仮)がワケのわからない言葉を発し立ち止まる。
「ひっぱってー」
 お前を引っ張って歩けというのか? 俺には全く意味がわからなかったが、香奈はすぐに理解したらしい。むしろ、何で俺がわからないのか不思議だといった感じだ。
「若、上に引っ張るの」
 握っていた二歳児(仮)の手を香奈が空に向って引き上げたので、そのまま真似ると当たり前の事だが二歳児(仮)の足が地面から浮く。香奈がそのまま歩くので二歳児(仮)を片手で引き上げたまま迷子センターへ向かうことになった。
 二歳児(仮)はキャッキャと楽しそうな猿みたいな声を上げながら歩くたびにぶらぶらと揺れる。俺は親にこんなことをしてもらわなかったが、きっと香奈は日常的にしてもらっていたのだろうと、そんな事を思いながら、汗で滑りそうになる手に力を入れる。
 そうして迷子センターへ向う途中でキャストを見つけた香奈が二歳児(仮)の事情を説明しキャストに二歳児(仮)を預ける運びとなった。
「ばいばーい」
 と二歳児(仮)へと手を振っていた香奈は不意にくるりと後ろに立つ俺を振り返ってくる。暑さの所為か、香奈の頬が紅潮しているのを目に入れると、なんとなく自分の頬に手の甲を当てる。
「ごめんね」
 謝られた意味がわからずに「何が」と返せば「何でもない……」と歯切れ悪く返された。
「そうか」
「うん」
「……」
「……」
「……」
「……」
 そうして、二人で特に言葉も交わさず、その場に棒立ちになる事、数分。痺れを切らしたのは俺のほうで、比喩ではなく本当に焼けているんじゃないかと言う熱と痛みを伴なった日差しに「どこか行こう」と言えば、香奈はゆるく頷いた。
「コレからでいい……かな?」
 どうやら比較的近場にあるらしく、地図を広げてアトラクションを指差す香奈に「暑くなければ何でもいい」と返した。

 ◇◆◇

 甘い匂いに顔を上げると、香奈が細長い形状の菓子を二つ、ペットボトルを二つ危なっかしく抱いていた。手を伸ばして一つずつそれらを受け取ると、香奈はせわしない様子で俺の隣に腰を下ろした。
 人ごみから少しだけ離れた、奥まった場所にある日陰のベンチは、それでも流石に無人ではない。汗をかいたペットボトルを舌を湿らす程度にあおった所で、隣の香奈が俺の様子を窺っている事に気付いた。ほんの僅かに首を傾げてやると、ゆっくりと唇を薄く開いて、それからゆっくり閉じた。
 と、思ったらペットボトルの中身を一気にあおっている。ペットボトルは、あっという間に空になった。液体が気管に入って咳き込んだ香奈の背をさすってやると、しばらくしてから「も、大丈夫」と大きく呼吸していた。こいつは何がしたいのかと思いながらも視線を手の中の菓子へ向ける。
「甘いの、平気だよね、若。あ、暑いから、アイスのがよかった?」
 返答を返す変わりに持っていた菓子を一口齧る。砂糖がまぶしてあって、予想通りにかなり甘かった。
 俺がそれを咀嚼しているのを見た香奈は、安堵した様子で自分の菓子を頬張りはじめた。美味そうに食べている姿を眺めてから、俺も自分の分を平らげる事にする。
 しばらくそんなふうに軽食にいそしんでから、香奈が「若、疲れてるよね? これからどうする? 帰る?」と聞いてきた。
 並ぶことを渋った俺の所為で、比較的空いていたアトラクションにのみ幾つか乗ったけれど、香奈はこの場所を堪能したといえるほどには楽しんでいないだろう。昼にもなっていないこの時間に帰宅を提案する事は可哀想な気がして、それに、俺ももう少し一緒に居たくて、香奈に判断を委ねる事にする。
香奈の行きたいところがあれば、付き合う」
 いつからこんなに優柔不断になったのかと、自己嫌悪した。首筋を流れる汗が、酷く鬱陶しい。熱せられた空気に肺を焼かれるような不快感に、無表情を取り繕うことも忘れて眉を寄せる。
「ん、と。じゃあ、ココ。どうかな?」
 地図を広げながらアトラクションを指差す香奈に頷きを返す。
「わかった。今いるのがここだよな?」
 香奈の広げた地図を見、現在位置を指で確かめると香奈が「多分。大体」と曖昧に答えてきたので、とりあえずアトラクションに向おうとその地図を取り上げて歩き出す。香奈が慌てて後を付いてきた。
 俺の親は遊園地などに子供を連れて行く事はほとんどなかった。たまに行ってもさほど有名ではない所ばかりで、俺と兄はほぼジェットコースターのみで時間を潰した。人生初めての有名なテーマパークは、物珍しいものの、あまりに多い人に慣れない為、いるだけで疲れる。
 確かに国内最大を謳うだけあり、園内は綺麗だし、物の作りも凝っているなとは思うけれど。キャラクターの形に切り取られた植木が、青空をバックに目に痛いほどの強いコントラストになっていた。

 アトラクションは多少並んではいたもののファストパスをとってから指定時間まで待つ方が面倒だったので四十五分間地道に並ぶことにした。
 行列が屋敷内に入ってしまえば涼しく、慣れない場所と暑さと人の多さに参りそうになっていた身体には、ありがたい。先ほどのまでの外気の高さで汗ばんでいる香奈へ、まだ残っている俺のペットボトルを差し向けてやると、おずおずと受け取って一口だけ飲んで返してきた。
 普段より明らかに、特にこのアトラクションに並んでからは酷く口数が少なくなった香奈の様子を不思議に思いながらも、きっと朝から続いている居心地の悪さの所為だと結論付けて、暗い照明の建物内を行列が進むままに歩いた。
 ひたすらに続くお互いの無言。
 周りの家族連れや友人同士や恋人同士が普段の生活の愚痴や報告や次は何に乗るか、このアトラクションの内容、そんな聞きたくもないことばかりが耳に入ってくる。
 何か香奈に声をかけようかとも思ったが、話題が思いつかずに、少し悩んでから断念した。香奈はテニスのルールも知らなければ、古武術のことも全く知らないのに話しても仕方がないし、最近読んだ本の話題なんて読書感想文で充分だった。
 それ以外にも、聞きたいことはいくつかあった。でも、それは香奈に会ってしまえば解消する程度の疑問だったし、明らかに元気そうだし、ここまで来て宿題の話題と言うのもはばかられる。
 暗く、視界のハッキリしない通路の壁を撫でながら進んでは止まり、止まりは進んで、列と時間を消費する。
 いつもならば、無言が苦痛になることはないのだけれど、周りの会話とか、この場所とか、多分、そういう物に俺の精神はかなり左右されてしまっていて、会話がないことがこんなにも空気を重苦しくさせる。俺だけがそう感じているのかもしれないけれど、あまり好ましい事ではない。
 香奈はパスポートを入れたケースを首からぶら下げていたが、それを子供がするように落ち着きなく両手で弄り倒している。視線は常に下に向いていて、俺は香奈の結い上げられた髪ばかりを視界に納めていた。
 なんというか、普通、こういう場所でのデート、というものはもっと……少なくとも、こんなに気まずい物じゃないのではないだろうかと思う。今朝から手さえ繋がずにいる現状に、少々もどかしいような、落胆したような、どうしようもない気持ちが湧き上がってはそんな自分が情けなくなったりもする。
 これならば登校時の電車内のほうがまだ会話するし、下校時には手を繋いだりもするし、学校や公園や本屋の方が楽しく過ごせているんじゃないだろうか。
 それでも、やはり一緒にいられる事は嬉しいし、夏休み前とは違う所や同じ所や、そんなモノを見つけては小さく幸せを感じてしまったりして。
 優柔不断なんて言葉、嫌いな言葉の上位十位には入るのに。
 そんな事を考えていると、やがて俺たちの順番になった。どうやらこのアトラクションは乗り物――というよりは二人掛けの動く椅子か――に乗るらしいので、案内されたとおりに足を運ぶ。
香奈? どうかしたか?」
 動かない香奈に声をかけると、香奈は首を横に振ってぎくしゃくと動き出した。

 ◇◆◇

 今、俺はかなり呆れて、とても困惑している。簡単に言えば“香奈は本当に馬鹿すぎる”ということだ。
 今日初めて手を握られたことは嫌ではなかったけれど。こんなに他愛ない仕掛けで、コミカルにデフォルメされた墓場で半泣きになるほど怯えられては、本当に困る。
香奈……」
「元気だよ」
 切替しの意味もよく解らない。しかも、声が震えているだけではなく俺の手を握っている手も震えている。
 心配になってというよりも、困惑して声をかける。
「苦手なのか?」
「大丈夫」
 それだけしっかり目を瞑っていれば何が出てきても大丈夫だろうな。
 アトラクションの前に異常に無言だったのはこの所為だったのかと、香奈に気付かれないようにひっそりと息を吐く。
「苦手なのに、なんでこれに乗りたいって言ったんだ?」
 こういう場合はどう対応すればいいのだろう。怖くないなどと言っても、香奈は実際怖いのだろうし、どうすればいいのか。とりあえず疑問を口にすれば、俺のほうを向いて涙の浮かんだ瞳を少しだけ見せて震える声で答えてくる。
「ここ……涼しい、でしょ?」
 確かに涼しいが。
 何が怖いのか俺には全くわからない程にコミカルなキャラクターと仕掛け。椅子に内蔵されたスピーカーから声が流れる。ホログラムのキャラクターがくるくると回り、機械仕掛けのピアノの鍵盤が誰も居ないのに動く。
 残念ながら、恐怖よりも滑稽さもとい微笑ましさの先立つ仕掛けばかりで、どこで怖がればいいのかさえ俺には解らない。暗所恐怖症なのだろうかと勝手に考えた。
「涼しいだけなら他のでも良かっただろ。なんで、そんな怯えるやつにするんだよ。馬鹿な奴」
 呆れながらも握るというより掴む感じになっている香奈の手を握り返してやる。
 せっかく少しは既存品のデートらしくなったと思ったのだけれど、仕方がないか。別にこうしなさいというマニュアルがあるわけでもない。それにしても何がそんなに怖いのか純粋に不思議だ。
 少し痛いくらいに握られる手だけは、頼りにされているようで、まあ悪くはないけれど。
「座ってられるし……何もしなくていいから……涼しいし、若でも楽かなって。……それに、若、怖いの好きでしょ?」
 俺よりも自分の事を考えろ。それに、これ、怖くないだろ。色々と言いたい事はあったけれど、それをたった二文字に略す。
「馬鹿」
 お前がこんなに怖がっていると俺はどうしたらいいか解らないじゃないか。本当に馬鹿だ。俺にどうしろと言うんだ。せめて怯えてない演技くらいしろよ。放っておけなくて困るだろうが。
 そんな事が頭をぐるぐる巡り、悩んだ末に香奈の手を振り解くと、その手で震える細い肩を抱いた。薄い服の所為で香奈の体温がすぐさま俺の手のひらを暖めて、慌てて抱き寄せる。
 自分のこんな行動に、実はとても動揺している事を、実は鼓動がかなり早い事を悟られないように、もう一度「馬鹿」と自分でも苛ついているとわかる声音で、呟いた。
 ああ、くそ、自分がものすごく恥ずかしい。
 せめてそれが香奈にだけはバレないように、小さく舌打ちをした。

 アトラクションが終わると、目に痛いくらいの晴天の下に戻った。大通りから離れた木の下のベンチに香奈を座らせる。香奈はいまだに猫に追い詰められたねずみのようにブルブル震えて怯えている。
 こんなに苦手だったのかとか、なんでこのアトラクションを選んだんだとか、聞きたいことは色々あったけれど、震える小さな手に無理やりペットボトルを押し込んだ。
「ホラーとか、苦手なのか?」
 直球で聞く。くすん、と鼻を啜った香奈は、震える息を吐いた。ペットボトルのキャップを捻りながら、香奈が訥々と喋り始めたので、膝を折ってその顔を覗き込む。
「私が……小さい時に……エクソシストって、映画見せられて……あのころ、私……ミッキー見ても……泣いちゃうくらい、小さくって……それで、もう……ホント、怖くて……あーゆーの、苦手に……」
 喋り終ると、香奈は両手でペットボトルを持って、中身を少しずつ少しずつ、苛々するくらいゆっくり飲みながら、ばつが悪そうにしている。さすがにアレだけびびったことを恥ずかしいと思っているのだろうか。
「じゃあ、なんであれにしたんだよ」
 そう聞けば、香奈はちらりと俺を見てから、視線を外す。
「若、よく怖い本読んでるし、好きかなって、思って……」
 ペットボトルから口を離した香奈は今度はぐるぐると残りの少なくなったそれをもてあそんでいる。
 香奈の言葉に溜息を吐いてからゆっくりと目を瞑り、そういえば、俺は今日、居心地の悪さからか香奈を気遣ったりはしていなかったなと、今更気付いた。
 暑いし、並ぶし、疲れるし、人多いし、慣れないし、どう楽しめばいいかわからないし、何か喰うにも時間がかかるし、食ったら食ったであまり好みの味ではないし、うるさいし、アトラクションはいまいち楽しいのか楽しくないのか判断がつかない。
 でも。
「やっぱり、つまらなかった?」
 やっぱりって思うくらいなら誘うなよ、とちらりと思いもしたけれど、誘われてうなずいたのは俺だ。
 学校が始まるまで会えないと思っていたから、一緒に居られるだけでよかったとか、そんな事は言えないけれど。
 目蓋を押し上げて、俺の悩みや色んなものがちっぽけすぎると、あざ笑っているような青い空を見上げて、大きく息を吐いて、言う。
「俺、ここのジェットコースターって乗ったことないから、乗ってみたい」
 本当は興味はあっても、乗りたいと思う程ではなかった。けれど、この一言で今日一番嬉しそうに香奈が笑ったので、まあ、いいかと胸に妙な満足感が生じる。
 香奈は地図を取り出すと指を指したりしながら使命感に燃えたアトラクションアドバイザーよろしく説明し始めた。
「あのね、大きいのがみっつあってね、一つが落ちるので一つが暗いので一つがあの山ので、あと、すぐに終わっちゃう小さいのもあるんだけど……」
 どうせ、聞いてもよくわからないのだからと色々と説明しだした香奈を遮るように口を開く。
「任せる。案内しろよ」
 立ち上がりながら自然な感じを装って、今日初めて、俺から香奈の手をとる事に成功した。
 木陰から逃げ出すように踏み出した日の下は酷く暑く、眩しい。その暑い日の下で馬鹿みたいに二人で手を繋いで歩き出した。  
版権作品ではないので直截的な
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