顔も知らない親戚を呼ぶよりも、小さな、アットホームな式にしたいと香奈が強く言ったので結局、仲人もいない、ままごとの様な、本当に式だけのものする予定だ。その後に食事会だけはセッティングしたが、披露宴と言うよりも本当に食事会程度の規模だ。下手をすればその後の友人らとの二次会の方が規模が大きいだろう。 しかし、俺の両親がそういうわけにも行かないとこれまた強く言ったので、お互いに譲歩し合い俺の方の親戚には、かなり遠くの人まで挨拶回りをする事になった。 子供達は俺の実家に預けて、春休みを利用して、無駄に飛び散った全国各地の親戚を回ること一週間。 面倒になりつつも、義を重んじる父に逆らえるはずもなく――むしろここまで譲歩してくれたのがありがたいくらいだったので――大人しく鈍行列車に揺られている。 隣に座った香奈は、体調が万全ではない状態での遠出で、流石に疲れているらしく目蓋が半分落ちてしまっている。 「寝ろ」 眠気を追い払うように大きく瞬きをしているのに、そう声をかける。 「ん……でも、若、疲れてるでしょ?」 自分だけ休むわけにはいかないと思っているのか、いじらしい台詞を口にする香奈の髪を軽く撫でてやる。 「憧れの新婚旅行みたいで楽しいよ」 疲労の濃い笑みを浮かべる香奈の頭を撫でながら、再度寝るように促す。 確かに疲労はしているが、香奈ほどではないと伝えてやると、申し訳なさそうにしながらも、目を閉じた。寝息がすぐに聞こえてくる。 しばらく本を読んで時間を潰していると、寝ている香奈の手が、何かを探すように手摺を握っては話す動作を繰り返している事に気づく。 そういえば、香奈は寝るときは枕を抱いたり、身体に毛布を巻きつけたりする事が多い。 ここで、荷物の入った鞄を渡せば、それを抱いて寝るだろう。そんな事を考えながら本から、香奈へと視線を移動させ、手摺を握る手に、自分の手を重ねてみる。 やはり、小さい。 その小さな香奈の手がもぞもぞと動き、俺の指を固定するような形で握った。 本が読み辛くなったなと思いながらも、目的の駅までの時間を逆算して、小さく息を吐く。 外は青々とした森林で、日差しが刺すように強い。 少し身を乗り出して、香奈の顔を眩しく照らす光を遮る為に車窓のカーテンを下げた。 ◇◆◇ 「ブーケ投げたいから教会がいい」 「理由はそれだけか」 「それだけだよ乙女の夢でしょブーケトス」 「乙女? どこに?」 「むー……」 レポートやら参考書やら結婚式場のパンフレットの散らばったテーブルを間に挟み、俺と向かい合って座った香奈は眉間に皺を寄せた。 式場の選定は香奈に一任してあるし、式の運びも香奈が両家の親と話をしている。俺は一応は話を聞いているもののどうしたいとかいう希望はないので、ただ決定事項を諾々と受け入れるか、必要な場合のみ軽く意見する程度だ。 はしゃいでいる香奈にいくつかの式場を回らせられ、食事やサービスなども適当に聞きはしたが“来客に迷惑のないように”、“香奈が満足いくもの”の、二つだけが俺の希望だったので、香奈は楽しそうに好き勝手している。時折俺が意見を言うのも嬉しいらしく、本当にこういうものが好きなのだなと思う。 俺は性格的に一緒にははしゃげないので、せめて香奈が気持ちよく選べるように、式に興味がないわけではないとアピールするためにも、そういう話はきちんと答えるようにはしている。 ドレスはレンタルにしようと思ったが、馬鹿高いうえ、他人が使ったドレスでは、純白の花嫁にふさわしくないとお義母さんが主張し、レンタルと同じ値段で一着作っている。 俺には当日まで見せる気はないらしいけれど。俺の衣装は、香奈が自分のドレスのイメージを伝え、カタログなども交えながらこんなのがいいと確認してくるので、いくつか着てみて、俺なりに真剣には選んでみた。色直しなどがなくて良かったと思う。 引き出物は味気ないけど荷物になることを考えてカタログにしようか、などと聞いてくるので「それでいいんじゃないか」とぞんざいにならないように気をつけて返した。 それよりも今は、目の前のレポートを終わらせる方が先決。 “少しでもカレーの香りをさせた論文を書いたら再提出”という訳の分からない教授の言葉に首を捻る。けれども、取り合えず、課題を出すのが大好きな教授へゴマをするのは悪いことではない。真剣に論文へ取り組むことにして後は香奈の好きにしろと伝えてやる。 そうして、しばらくはお互いがお互いの課題をこなしていたのだが、突然若菜が火がついたように泣き出した。 立ち上がってリビングの隅のベビーベッドまで歩き、泣いている若菜を抱き上げる。香奈が後ろから付いてきて、若菜の顔を覗く。すこし前にミルクをやったので腹が減っているわけではないだろうし、抱き上げて触れた感じで何故泣いているのかすぐにわかった。 「おしっこ?」 「大きい方だと思う」 「私やる。若は課題やってなよ」 若菜を香奈へ渡すと、香奈はキレイキレイにしようね、などと母親業も板についてきた様子で奥の部屋へ向う。 その背中を眺めながら先日の有田との会話を思い出した。香奈は有田に“若の未来をダメにしたくない”と漏らしていたらしい。 沐浴は俺の役割だけれど、それ以外はさほど子供の世話をやっていない。俺に気付かれる前に香奈が全てやっていたのだろう。出来るだけ今までどおり普通に学生として生活できるようにしてくれているのだ。 もちろん、俺の生活は入学した当初より大分変わってしまったけれど、それでも。 最近はガタが来たのか、朝六時のミルクは俺がやっているけれど、俺がそれを一回やるだけで三時間ずつしか取れない香奈の睡眠が六時間取れるようになるわけなので、特に不服はない。 単純に計算は出来ないが寝る少し前に外出させてやり、ミルクを飲ませて部屋を暗くすると、割とあっさり二人とも寝てくれるので、基本的に腹が減る時間も眠がる時間も双子はほぼ一緒だ。 香奈は「双子では自分たち二人で一心に一人の子に愛情を注ぐことが出来ない。二人分に分割されてしまう」と言う。俺はそうは思わない。 何故ならば、父母に、兄が生まれたときのことや成長過程を聞くと克明に覚えている。けれども、俺の事になると、首を捻り“気付いたら大きくなっていた”と言うからだ。 もちろん、本気ではないだろうが、やはり長子に強いインパクトを持つのは当然だろう。何もかも初体験なのだから。 逆に言えば、俺たちは二人同時に授かったのだから二人同時に長子の扱いをしてやれると思う。そうして俺たちにとっても双子にとっても全てが初体験になる。 結局、双子だろうが普通の兄弟だろうがあまり変わらない。 比較的両親が近場に住んでいる俺達は恵まれた環境にいるため、頼ってしまうことも多いけれど、やはり香奈は大変だろうと思う。先の言からも、少しでも子供に愛情を注げるようにと強く意識しているらしいし。 そんな事を考えていたら、趣味が読書とは言いがたいようなまとまりのない文章を書いてしまっていた。あながち間違ってもいないので直すかどうかレポート用紙を睨む。 いつの間にか若菜の泣き声は聞こえなくなっていた。 バイト先への就職も決まり、自分も忙しい時期だろうに。あまり香奈が無理をしなければいいけれど。 ◇◆◇ 式は別に狙ったわけではないが六月になった。ジューンブライドというものの本当の意味は知らないが香奈は「雨降ったらやだなあ」とぶつぶつ呟いていた。 そんな事を鳳に話すと、千石清純を呼ぶと絶対晴れると言っていた。 あまりの力説に、昔何かあったのだろうかと気にならないでもなかった。 話半分で香奈に言ってみると「二次会で女の子なんぱしそうだよね千石さん……」と曖昧に笑っていたが結局、他称“奇跡の晴れ男”、千石さんを呼ぶ事になった。照る照る坊主扱いにもかかわらず「ラッキー」と笑ったあの人が俺には良く分からない。 最近よく笑うようになった若菜を抱きながら、龍星を抱いてソファで眠りこけている香奈を見る。パソコンの電源が入ったままなので、仕事の途中だったのだろう。 マウスを動かすとスクリーンセイバーが消え、香奈が描いたらしい変な猫が現れた。 ふと気付くと、若菜が俺のシャツのボタンを口に含んでいる。 子供と言うのは何をするか本当によくわからないものだと思いながら、とりあえず好きなようにさせてやる。 「ふぁ……」 むずがるような表情を見て、ああ、と納得した。腹が減っているのか。気づくのが遅い俺を糾弾するように若菜がぐずりだした。 背中を叩いてあやしてやりながら湯を沸かしてミルクを用意する。偉いことに、若菜はミルクが出来るまでむずかってぐずってはいたが、泣くことはなかった。 若菜が腹が減ったという事は、龍星もそろそろだろうと二つミルクを用意し、若菜の分だけ冷まして飲ませる。 バイトは終わったし、課題もなく、予習はしてしまったので今日はゆっくり過ごせる。若菜の背を撫でてやりながら、俺は自分がずいぶんと所帯臭くなった事に笑う。 香奈は最近、式へ向けてダイエットとかいうものをやり始めた。それで余計に疲れているのだろう。確かに俺の目から見ても絞れてきたなとは思う。 女性にはある程度のふくよかさが必要だと思うのだが、本人にしてみればある程度ではないらしい。 もちろん、双子をミルクだけで育てているわけではないので食事はきちんと摂っているし、ダイエットと言っても変な運動をしているだけだが、胸が張っているのに引き締まった腕が細いので、少し怖いプロポーションになっている。 二人で選んだ結婚指輪はシンプルすぎたけれど、俺達の自由に使える範囲の金では、それが精一杯だった。 そして、それで充分だった。 ◇◆◇ 「やあ、見事に晴れたね日吉君」 満面の笑みで、礼服を着こなす明るい髪の人を見ながら俺は曖昧に頷く。 「晴れましたね。千石さん」 「なかなか男前だね。前髪上げてるのもかっこいいじゃん」 妙な笑顔で、肩をぽんぽん、と叩かれた。 知らない仲ではないが知ってる仲と言うにも微妙な位置の人にこういうことをされると戸惑ってしまう。そうして、返答に困りやはり曖昧に頷く。 誰でも良いから早く来てくれないだろうか。 この人と二人きりと言うのは少々居心地が悪い。 「……どうも」 間が持たなかったので自分でも珍しく歯切れの悪いと思う返事をした。 窓の外から入り込んでくる光は質量を感じるほど白く明るいのに、室内は妙に笑っている千石さんと押し黙った俺と言う犬も避けるだろう状態になっている。 「若君、あと四十分だから、よろしく。俺はもう香奈の所に行くから……っと、千石君だっけ? 君も楽しんでいってよ」 がちゃりと唐突に控え室の扉を開けたお義父さんに口早に告げられて、頷いた。 本当に俺の父とは全く似ても似つかないタイプの人である。年齢的だって俺の父がいくつか上なだけだが、こうも違うものかと感心しそうになるほどに違う。 「はい。宜しくお願いします」 千石さんも妙に笑って頷いて、言った。 「もちろんです」 俺たちの答えにお義父さんは軽く笑い、手をひらりと振って踵を返した。 「キマってるよ、若君」 ドアを閉める直前にウィンクされた。日本の父親っぽくない仕草だと感じた。 本当にウチの父とは大違いだと思いつつ“楽しんでいく”とはどういう意味なのだろうか、しばし悩む。結婚式は楽しむものなのだろうか。少し違うような気がする。 千石さんは俺に気を使ってか何なのか、先ほどから珍しいほど何も口にせず、俺も千石さんと話すような話題を持っていない上に特に話したいという気持ちもなかったので、沈黙が室内を支配している。手持ち無沙汰になって壁にかかった時計を眺めた。 千石さんがそわそわとし、俺がそろそろ時間かなどと考え始めた頃、乱暴に部屋のドアが開けられた。思わずそちらへ視線を向ける。 「よぉ、日吉。来てやったぜ」 不躾に乱暴に尊大に入室してきたのは礼服を着こなした跡部さんだった。少し驚いてしまうくらいオートクチュールらしい高価そうな礼服が似合う。少し派手な格好がむやみやたらと似合う人だ。 俺は馬子にも衣装と言った感じだが、跡部さんは何を着ても似合うのだなとぼんやりと思いながら跡部さんに会釈すると「ほんま、結婚するんやね」その後ろから忍足さんが顔を出した。 この人はまるで一昔前に流行ったホストのようだ。似合っているけれど、如何せん髪の毛が長い。しかし、流石に普段のボサボサとしたままでもなげやりに結んだままでもなかった。きちんと櫛を通して整えてある。 「ええ。今日はわざわざありがとうございます」 忍足さんに答えて頷く。それから、ちらりと時計を見て、時間を確認する。 「俺は、少し打ち合わせしてきます。そのまま式に出るんで……今日はよろしくお願いします」 先輩方に軽く頭を下げて、俺は両親の居る親族控え室へ向かうことにした。 ◇◆◇ 「なんや、男前になっとったなあ、日吉。やっぱ結婚すると変わるんやろか?」 控え室にて、忍足は壁に寄りかかりながら跡部へと言葉を向けた。 二人の選んだ小さな教会は、まるで御伽噺の中の物のように慎ましく、玩具のようだった。少女趣味と言い換えても差し支えない。実際は香奈がほぼ独断と我儘で決めたものだったが三人は知りようもない。 「アァン? そうか?」 「跡部君は結婚しても変わんないね」 さも不思議そうに言った跡部の言葉を笑い、千石が微笑む。そして、跡部に軽くにらまれ、明るい色の髪をバツが悪そうに掻いた。 それを見た忍足は可笑しそうに目尻を下げる。 「俺も日吉君はいい顔してると思った。てか、跡部君に続き日吉君も結婚早すぎっ。俺はもーっと遊んでたいし、自分の世話をするだけで精一杯ってね」 椅子に逆に腰掛け、背凭れに腕を乗せ、腕に顎を乗せた千石のセリフに同意を示し、忍足は深く頷いた。二人共、結婚した自分など想像も出来ないといった様子だ。 跡部は晴れ渡った空を窓から見上げて、軽く笑う。 「ンなもん人それぞれなんだよ。俺は許嫁がいたからだし、日吉は子供が出来ちまったからだろ」 呆れたように跡部は言い、肩を竦める。 馬鹿にしたように目を細めて二人を見たが、千石は面白そうに明るい口調で喋りだした。 「そうそう! あの日吉君にはありえないよね! 双子可愛かったけど!」 「事故みたいなもんやろ。一度もナマでやったことないっぽい事、香奈ちゃん言うてたし。ピル飲んでんのに四つ子妊娠したケースもあるらしいで」 「アハハ……神聖な結婚式の前に俺たちってエゲツナイ会話してないー?」 忍足の発言に、千石は苦笑を浮かべて両方の手のひらを自分の胸の辺りで広げて見せた。それがどういうジェスチャーなのか、ここにいる人間にはわからなかった。 そんな千石の様子に忍足はわざとらしく肩を竦めて見せる。 育ちのいい跡部はそういう会話には混じる気がないようだ。 「そやな……けど、まあ二人共幸せそうやったから、良かったなぁて思うわ」 しみじみと言われた忍足の言葉に、千石は何度も頷く。 「そうだね、俺もそう思います。」 「日吉は自分にとってマイナスになるような事を、流されて決断するようなやつじゃない」 言い切った跡部の言葉は、後輩に対する信頼のようなものが見え、忍足は可笑しそうに笑う。 「……ええなあ。これぞラブロマンスって感じや」 ロマンスじゃないというツッコミを千石がし、忍足と二人で軽いコントを繰り出している様子を跡部は馬鹿な弟子を見るような視線で見ていたが、急に話しの矛先が変わる。 「そういえば、跡部君ちはお子さんは?」 おどけたように、千石は跡部に声をかけた。 「うるせえ。まだ予定はねぇよ」 不機嫌ではない口調で跡部は答える。 けれど、しばらくして付け足した。 「でも、あいつら見てたらガキも悪くねえって思ったな。」 跡部は、香奈の母親が幸せそうに抱き、若の父親が自慢気に容姿を褒めていた赤ん坊を思い出す。 確かに、赤ん坊も、日吉も、香奈も、祝福されていた。 見ているこちらが、思わず笑ってしまうほどに。 |