日吉若の溜息 6
 し・し・どー し・し・どー
 宍戸はー元気ー
 テニスが大好きー
 毎日ぶ・か・つー
 跡部もー向日もー
 目っじゃっなっいっぜー
 おーおとり連ーれてー
 二人でとぉっくんー
 ダブルス最強ー
 嬉しっいっなー
 ダブルス最ーきょぉー
 嬉 し っ い っ な ぁ ー 
 
「まて」
 気持ちよく歌っている私の頭に筆記用具が刺さった。
 というか、宍戸亮が刺した。昔の幕府とかの領地みたいな名前の癖して。お前なんか茨城県の宍戸城でも登ってればいいんだ。……ぅあれ? 宍戸氏の領地って広島じゃなかったっけ? あれ? ……まあいいか。日本史詳しくないし。宍戸はもっと詳しくないし。CCDoて発音するとなんかの商品名くさい。
 私は文化活動委員だけれど、宍戸は本当は校外活動委員だ。なぜ宍戸がこんなことをしているかと言えば、文化活動委員の片割れが急病だか仮病だか登校拒否だかで不在→文化祭の出し物を決めるときに寝ていた校外活動委員の芥川か宍戸を生贄にささげて模擬店を召喚、という感じ。
 にわか文化活動委員は、クラスの出し物をやっとこさで決定し終え、教室内をどのような 内装にするか、何年の何クラスを使用するかを委員会に提出するため、居残りしているわけであります。うちのクラスが提出が一番遅いらしい。あと一週間で本番なのになんと悠長なことだろうか。ちなみに締め切りは二週間前で、早いところは一ヶ月前に提出してるらしいです。模擬店の仕様報告書。
「なに?」
 宍戸の描いている内装案に視線を向けつつ言葉を返す。
 うーん。さすが、宍戸。机を端っこに寄せただけじゃん、その内装。馬鹿でしょ? 馬鹿だよね、宍戸。
「あんだ今の歌はよ?」
 あ、それ以上力入れたら本気で筆記用具刺さるよ?
 頭の上の宍戸の筆記用具を手で払いつつ、きっぱりと答える。
「“宍戸亮の歌”」

「思いっきりトトロの散歩のパクリじゃねーかよ!」
「替え歌って言って下さいー訂正を要求します」
 宍戸の内装をけなしたけども、私も机をベランダに置いた後は子供用のプールでヨーヨー釣り、までしか書けていない。入手の難しいものは使いたくないし。
 あーめんどくさい。
 でも、私がやらなきゃグズグズグダグダになってしまうのは目に見えているので、無駄に責任感の強い私はカリカリと筆記用具を走らせる。一応本家本物の文化活動委員だし。本家本元?
 とりあえず、食べ物は許可が要るからイヤだ。絶対イヤだ。企業へのプレゼンテーションもいやだ。学生活動なんだからかったるくやりたい。
 なぜか三年C組のオリジナルティーシャツだけはすでに発注も支払いも完了してる、ってところがうちのクラスらしい。前面には3のCと縦書きで、背面にはお経のようにクラスメイトの名前を五十音順でならべたデザインもへったくれもないもの。

「そういえば」
「なんですかー」
「テニス部の日吉って知ってるか? 二年の」
「ああ、うん。マジメそうな。それが?」
「あいつがさ」
「なにさ」
「ベストカップルコンテスト出るんだってさ」
「………………どういう反応を狙ってんの?」
「やっぱ、お前も意外だと思うんだな」

 ◇◆◇

 氷帝学園中等部、男女テニス部。
 男女共に美形が多いという噂があり―― 一部では金持ちだからみんな整形してんだ、という僻み妬みも頂いているが――特に関東大会上位常連・全国大会出場連続出場の強豪である男子テニス部は全校生徒から絶大な人気を博し、二〇〇人もの部員を抱えた大所帯だ。今夏、関東大会初戦で負けたときは、それもグラついたが、全国ベストエイトという去年よりも好成績を残したため、何ごともなく人気は保持されていた。
 部員二一五人の頂点である部長は勿論、レギュラーの名を全員暗記している生徒が殆どである。
 ひいては、彼ら――男子テニス部で一度でもレギュラーという単語がつく地位にいた者――が過去、現在付き合っているとされる人物――簡単に言えば彼女。もしかしたら彼氏もいるかもしれないが、とにかく恋人――も同校内にいれば、話題のタネ程度にはなる。
 現レギュラー二年の鳳長太郎と付き合っている有田まどかはそれでなくともすらりと伸びた肢体が美しく、東洋と西洋の良いとこ取りをしたような顔を持ち、頭脳も学年首席であり、彼女本人も有名だった。
 だが、同じく現レギュラーで新部長の二年、日吉若と付き合っている小曾根香奈は、成績の方も中の下であり、日吉と付き合っていなかったら、さほどの知名度はなかっただろう。けれど。彼女は残念ながら、日吉に恋愛感情を持ってしまい、日吉も彼女に恋愛感情を持ってしまい、清い交際をしていた。羞恥で衆知の事実である。

 ◇◆◇

香奈ちゃーん! 本気で日吉と一緒にコンテスト出るのー?」
「あ、はーい。そうでーす!」
 三年の先輩に、三階から声をかけられて、私はその窓を見上げながら答える。
 今時な竹箒で昇降口の前を掃いていたから、色とりどりの葉っぱが私の足元にはあって、それを踏まないように気をつける。踏むと砕けちゃうのもあるから。砕けちゃうと、掃くのが大変だ。
 ちなみに、知らない先輩だけれど、でも、こういう事にも少し慣れた。男子テニス部の、部長の彼女、って立場は、うん、なんていうか、氷帝では知れ渡ってて当たり前、というかんじ。
 先輩は“頑張ってねー”と笑って言うと、手を振って校舎の中に戻っていった。
 ベストカップルコンテストの参加を決定し、昨日、若を引きずって申し込みをして、そうしたら、今日は皆知っていた。
 なんか、驚くというより、呆れる感じ……というか。
 ちなみに、跡部先輩・向日先輩・滝先輩はミスター氷帝コンテストに出るらしい。
 忍足先輩とチョータと若はベストカップルコンテスト。忍足さんは確実に私たち後輩をからかうつもりだ。じゃなければ、年上の彼女さんをわざわざ文化祭に引っ張ってきたりはしないと思う。
 宍戸先輩はコンテストの変わりに肉体の限界に挑戦! とかいう出し物にチャレンジするらしい。えーと、昔あったテレビ番組のSASUKEみたいな感じ?
 樺地くんと芥川先輩はどうするのかな。
 他には大食いコンテストとか……あとは一発芸とかあったような気がするけど。
 氷帝の文化祭は三日連続で開催されて、三日目は部外者に開放しないので、コンテストは無し。学園外からの来場者が来る一日目に大きなコンテストの予選、二日目に本選が開催される。小さなコンテストなら、その場で参加者を募ってサっと終わる。ベストカップルコンテストとミス・ミスター氷帝コンテストは、大きなコンテストだ。ベストカップルコンテストは外部の人のエントリーも受け付けてるけど、これは二日目に先着順になっていて、外部先着順と氷帝生予選通過者で毎年舞台の上で一時間くらいかけてベストカップルを選ぶ。
 氷帝は一応良家の紳士淑女(ぇー?)が集まっているから、交際に関しては禁止されていない。文武両道の厳しい学校とは違って、ちいなさ頃からコネというか人脈を作ったり、親同士の家同士の会社同士の付き合いのきっかけにしたりするらしい。私に自覚がないだけで、若の家も奉納演武とか、色々大きなお寺とか、なんか、お付き合いのきっかけを氷帝で手に入れているらしい。
 忍足先輩のお父さんの知り合いの整体病院? のところで、若の道場の生徒さんを特別に一部の治療を安くして診てあげたり。若の道場で忍足先輩のお父さんの知り合いさんが学会発表するために(じゃなかったかも?)鬱の人専門の指導時間を作ったり、持ちつ持たれつ縁を築いているらしい。
 実はママやパパも色々動いてるみたいで、氷帝は、そういう意味では学校ってだけじゃなくて、社会の社交場だ。テニス部の大型のクリーニングは芥川先輩のおうちにお願いするように契約したりしていたらしい。若も部長になって知ったとか。別にそれで芥川先輩がレギュラーになった訳じゃないみたいだけど。
 とにかく、お付き合いは節度さえ守ればどんどんやれば? っていうのが、意外なことに氷帝の風潮なのです。でも、みんなそんなにはしないけどね。

 私がそんな物思いから、掃除へ意識を戻したときには、掃いたはずの葉っぱが風に舞って、また落ち葉の絨毯のような状態になっていた。
 どうせ、若の帰りを待つんだから、と私は再び箒を動かす。
 葉っぱは、またあっけなく私に掃かれて、絨毯から枯葉の山になる。
 もう少ししたら、寒くて仕方なくなるんだろうな、とか思いながら、ちりとりに葉っぱを集めてゴミ袋につめていく。赤い葉っぱ。黄色い葉っぱ。軽くて、箒にはかれて、ふわりとする。空は鈍色かかっていて、夏とは違う匂いと色。風は乾いていて、少し喉が渇く。
 なんだろう。
 なんか。

「しんみりするなー」

 秋って感じ。
 まったりするというか、しんみりするというか。
 若を待つ間、する事があまりになくて清掃員のおじさんに無理言って仕事を譲ってもらったけど。なんか、こういう作業をしてても、しんみりしてしまった。
 秋ってすごい。
 袋につめた枯葉の上に乗って嵩を減らしてから、また枯葉を入れて、それを踏んで、またつめて。そうしていたら、あっという間に大きな大きなゴミ袋はいっぱいだ。ぱんぱん。小さな達成感。
 私はなんだか嬉しくなりながらごみ袋をぱしっと叩いた。
 けど。
 調子に乗ってつめすぎたゴミ袋はとても重い上に大きく。抱き上げる以外の方法で持ち運べそうも無く。運ぶために抱き上げたらあげたで、大きすぎて視界が遮られる。前が見えない。
 ……今すぐ身長一〇センチくらい伸びないかな。とか。
 またも溜息を吐きそうになって、仕方なく足を踏み出す。ちょっとすり足気味に。
 ゴミ捨ての倉庫まで……どれくらいだろ。距離的には長くないんだけど、階段を下らなくちゃいけないのが結構きつい……。
 うぅ……。
 
「あ、ゴミ袋が歩いてる」

 ……もしかして、わたしのこと?

「あー! 日吉のカノジョだ!」

 ごめんなさい。
 眼前のゴミ袋で視界が塞がれていて誰だかわかりません。
 て言うか、息をするのも結構つらいくらいなんです。
 重いし、ビニール袋が顔全部覆うくらいな感じだし。
 むしろ私が小曾根香奈だってよくわかりましたね。
 そんなことを思いながら、なんて言おうか悩む。こんにちは、っていうのも、なぁ……

「なんでゴミ袋抱いてんの?」

 興味津々と言う感じの声。
 私は息も絶え絶えその問いに答える。
 重い……一度地面に置きたいけど……なんかタイミング外した、かも……

「手で持つと、袋、引きずっちゃって……」

 ちょっと、自分の低身長を主張するようで恥ずかしかった。
 だから、歯切れの悪い言葉は意識したわけじゃない。

「ああ! なるほど! そっか、じゃー頑張れよ!」
「あ、はい。頑張ります」
「なーんてウソウソ。俺手伝ってやるC! おっまえちっさいなー!」

 言われて頷いた私の言葉を聞いた相手は可笑しそうに笑いながら言った。
 そして、私の手から、ごみ袋が浮き、地面に置かれる。
 軽くなった腕を無意識にさすりながら、見ると、ごみ袋を地面に置いてくれたのは、芥川先輩だった。
 なんで、芥川先輩がここに居るんだろう。
 また、どこかで寝てたのかな。この季節じゃ風邪を引くって若が怒ってたのに。……若って、たまーにお母さんみたいなこと、言うよね。

「あ、ありがとうございます」
「お前らベストカップルコンテスト出んだって?」

 私の謝礼を聞いているのかいないのか。 意外にも、芥川先輩は、大きなごみ袋をとても軽そうに片手で持ち上げた。
 肩に乗せると、肩と腕で支えるような、横を通る人に迷惑そうな持ちかたですたすた歩き出す。
 私は、少し慌てながら芥川先輩の言葉に答えて、言う。
 私の仕事なのに、芥川先輩に任せっぱなしはいけないから。

「あ、はい、でます……あの、半分は持ちますから」
「ん? じゃあ、半分ずつな!」
「はい」

 にっこりと笑った芥川先輩に釣られて笑顔で返しながら、芥川先輩が地面に置いたごみ袋の半分を持つ。
 芥川先輩もごみ袋の反対側を掴んで「いっせーの!」で一緒に持ち上げて、ゆっくり歩き出した。
 さっきまでしんみりしてたのに、芥川先輩が来てくれただけで、なんだかとっても楽しい雰囲気。

「さっきの話だけどさっ」
「コンテストですか?」
「そうそう。コンテスト。がんばれよなっ!」

 ごみ袋を隔てて、芥川先輩が、太陽のように笑った。
 私は、やっぱり釣られてしまって。
 満面の笑みで頷く。

「はい。優勝狙います!」
「よっし、その意気だぜ!」

 ◆◇◆

 けれども、その意気は、文化祭初日。

「わ、わか……」

香奈、お前、いい加減
目 を 開 け た ら ど う だ ?」

「ぅ、うん……――ッ、ひぃ……っ!」

「……ッひ、っぱるな! いってぇ……」

(ファイト! 日吉!)(あー、だから、日吉、お化け屋敷嫌がったんだね……悪いことしたかな)(小曾根、しゃがみこんで動かなくなったぞ?)(……マジ泣き?)(泣くか、普通)(俺らの腕が良かったんじゃね?)(あ、日吉が小曾根、おんぶした)(伝令ー、日吉は脅かすな、っと。送信)

 俺は、ひぃひぃ泣いてる香奈を背負いながら照明の落とされた2年D組の教室――いや、今はお化け屋敷か――を歩く。

  マ ジ 泣 き だ 。

 湿った吐息が首にかかり、鼻を啜る音が間断なく聞こえてくる。
 本気で泣いてやがる。たかが学園祭の出し物のお化け屋敷で。せめて、もっと可愛らしく泣けないのだろうか。鼻水をつけられたらたまらない。
香奈、首絞めるな、少し緩めろ」
 返事はなかったが、腕の力が少し緩められた。本当にほんの少しで、その腕はかたかたと震えてもいる。そして、恐怖からの冷や汗で少ししっとりともしていた。
 本当に、無理やり引きずり込んだ2−Dの連中に後で文句を言ってやる。だから止めろと言ったんだ。
 遊園地に行こうものなら、ホラー系アトラクションに行こうものなら、うずくまり、動けなくなり、歩けなくなり、真っ青な顔でガタガタ震え、声も出せなくなり、まるで病気のようにおかしい呼吸をし始めるため、係員に非常口から出してもらう。もしくは、幽霊役が困り果て脅かさずに「大丈夫?」と聞いてくる。
 夏休みのホラー系強化キャンペーン時にお化け屋敷に入ろうものなら三歩目で歩みが止まり、既に泣いている状態で引き返すことになる。
 だから、ホラー物は乗り物に乗って進むタイプでなければどうにもならない。
 某千葉にある、東京の名を冠した大型遊園地の某マンションでさえ、終止目を瞑っていた程だ。乗る意味がない。
 俺もそこまでして、つき合わせる気は無いので、自然、香奈は俺がホラー系アトラクションを物色している最中は買い物をしている。
 今までの経験を思い出した途端、頭が痛い。

 おぶる以外に選択肢がなかったのだが、そんなに膨らんでいないとはいえ、香奈の胸が背中にあたる上に、気をつけないと露になった太ももに手が触れてしまう。冷や汗で湿っている所為か、香奈の皮膚に触れると、それが吸い付くように隙間なくぴったりと俺の皮膚を覆うため、なんだか、なんだろう。とにかく、変な感じがする。
 香奈はそんなことを気にする状況ではないだろうが、けれど、俺が気にする。
 そんなわけで細心の注意を払いながら、気持ち早足で、歩く。
 しばらくは震えているのみの香奈だったが、時間が経つとぐすぐすと鼻をすすっている音止まった。
 落ち着いたのかと思ったが、違うようだ。

「ふ……ぅ、っ……うぅ……ぅぇ……っく……ぅ、ぅ、うぅぅぅうううううううー!!」

 何かのスイッチがはいったらしい。
 ここで絶叫されたら、教師が飛んでくる。こんなことで。おばけ屋敷が怖かったからと言う、それだけのことで、教師にまでこの姿を見られる。絶対に嫌だ。
香奈、落ち着け。俺が居る。大丈夫だ。」
 仕方ないので情けなくなりながら優しい声をかけてやる。学校で、こんなことはしたくなかったのに。
「ひ……ひ……っぅ、ぅ……」
 また、俺の首を強く絞め、背後で何度も香奈が頷く。
 だから、苦しい。それに、余計胸があたる。
 ああ、でも、今言ったら―― Q1.恐怖+羞恥=パニック=手に終えない=面倒 ――今言ったら、面倒だ。
 ああ、でも言わないのも、男としてどうなのか。
 いや、俺は、俺としては潔くないと思う。
 俺がそんな葛藤していると。

「おかえり、日吉。小曾根だいじょぶ?」

 しゃ、っと音を立てて引かれる暗幕。どうやら、出口のようだった。
 まぶしい蛍光燈の光に俺は自然、眉を寄せ目を細めながら口を開く。
「さぁな、本人に聞け」
 ドラキュラのような格好をした看板持ちのそいつは肩を竦めて笑う。

小曾根ーだいじょぶかー?」
「……」
「だめそう?」

 困ったように、尋ねるそいつに、香奈は言葉を返さない。
 俺は邪魔にならないよう廊下の端、お化け屋敷の出口から、一歩離れる。
 暫くして、香奈が言った言葉は 

「わ、わたし、やだって、やだってゆった! の、のに! わ、わたしやだって、いやって……」
「言ったな。もう大丈夫だ。俺が居る。大丈夫だ。恐くない。」
「や、やだってゆったのに!」
「断りきれなかった俺が悪かった。泣くな。それから、降りてくれ」
「う、う、う、ぅ、ぅ……ぅ……っ――」

 いくつの子供だ。
 俺がそういう前に、香奈は自分から降りたが、お化け屋敷出口にしゃがみこんでしまった。
 絶対、お化け屋敷から出るヤツがつまずく。
 お前は、罠か。

香奈

 仕方ないので膝を着き、キッチリとアイロンのかかったハンカチで、無理やりその顔をぐいぐい拭く。
 それから手を握って思いっきり引っ張る。転びそうになりながら、香奈は立ち上がった。

「目が腫れる。冷やしに行くぞ」
「ん……」
 ハンカチで目元を押さえながら、香奈は俺に手を引かれてゆっくり歩き出した。目的地は保健室。
 香奈はクラスの出し物――どら焼き喫茶の方で忙しいようだし、今日、出来るだけ回ってしまいたかったのだが、それもどこまでできるか。
 俺は小さく、気付かれないように溜息を吐く。
 それでも、頼って、縋ってくる、香奈の小さな手の、その熱は心地よかった。
 別に見たい模擬店があったわけでもない。
 まあ、いいか。
 そう思うと、自然と笑みがこぼれそうになって、慌てて頬に力を入れた。

 ◆◇◆

「見せ付けられた……」
「ね」

 苦笑しつつ2年D組の生徒たちは肩を竦めて、同じ生徒達をお化け屋敷へ誘う。もう、日吉と香奈にしたように無理やり教室に突っ込んでドアに鍵をかけるという殺人ホラー系の演出はやめようか、などと苦笑しながら。
 と、ちょうど2年D組の教室に程近い階段に腰を下ろしている三村を発見した生徒が彼に声をかけた。
 が。

「ちっと、放っといて」

 と手をひらりと振り、何か思案するように、中空を眺める。
 大抵の者は不信な三村の挙動に訝しげにしていたが、三村は気にする風もなく思案を続けていた。

 まだまだ、文化祭は始まったばかり。
 さあ、次はどこへ。
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