日吉若の溜息 8
 ドラ焼き喫茶の衣装は浴衣。
 結局ドラ焼き喫茶なら、浴衣とか着物とかのが雰囲気があっていい、ということになりました。
 あと、ドラ焼きを作る男子達は割烹着って言うのかな? 昔のオフクロサンっぽい感じで面白い。
 ちなみに着付けてくれたのはクラスの女の子。若に「やってやろうか?」って訊かれたけど、遠慮しました。さすがに恥ずかしいし。若も、女の子が着付けるならいいやって感じだった。着付けの先生だろうと、男の人だったらきっと若は俺がやるって子供みたいに駄々を捏ねたのかなって想像すると、ちょっと楽しい。
 でも、着付けの先生とかお医者さんならともかく、若に下着を見られるのは、まだ、ヤだなぁ……恥ずかしいし……いつかは、若とそういうこと、するのかな……えー、でも……でもなぁ……もっと大人になって綺麗になってからがいいな。怖いし。痛いって言うし。スタイル悪いし……うー、妄想で悩んでも仕方ないよね。ちょっと顔熱くなっちゃった……あー、なんか、私へんたいっぽいなぁ……。いつかのときが来るまでに綺麗になっておこう。うん。ヴァレリア・ブルーニみたいな大人の女になるんだ!

 そんな訳で私は文字通り看板娘。
 “2年C組 どらやきのきっさてん”と書いてある看板を持って、ぽけーっとしていた。この看板は、かなり気合が入ってて、ディズニーランドに置いてても遜色ないんじゃないかって言うくらい、下手をしたらドラ焼きよりも、力作。結構、大きさもあって重いので、看板と私が丁度“人”の字みたいに寄り添いあって支えてる感じ。
 チョータとまどかちゃんは私と同じ時間に自由行動だったので、暇になるとたまに教室の中にいるまどかちゃんに「どこ行ってたの?」って訊いたりしながら時間を潰す。私の持ち時間は一時間三十分くらい。

 ぽけっとしてたら、向日先輩が彼女さんと遊びに来てくれた。
小曾根じゃん。鳳いる?」
 向日先輩と彼女さんはとても仲がいい。ラブラブ。お昼ご飯は忍足先輩も交えて三人で屋上で食べてるみたいだし、どこそこでキスしてたなんて噂はよく聞くし、実際よく二人でいる。向日先輩の彼女さんは背が高いのがコンプレックスらしいけど、向日先輩は「そこもかっこいい!」と大絶賛する。ちょっと、羨ましい。
 だって、若は私のどこが好きとか、私のどこがいいとか、そういうことは言ってくれない。だから、背が伸びないかなって牛乳飲んだり、胸が大きくならないかなってキャベツ食べたり、頭が良くなるようにお兄ちゃんに勉強習ったり、運動だって、私なりには頑張ってる。ヒトリヨガリだけど……
 でも、キスとかしてるときは、本当に若は私のこと好きなんだなって感じられるから、我慢。言葉で言って、なんて、若、照れすぎるだろうし、追い詰めちゃって、鬱陶しいって思われるかもしれないし。でも、芥川先輩や向日先輩の好意のグレネードランチャーみたいな、イチローのレーザービームみたいな笑顔を見てると、やっぱり少し羨ましいな。……うん、少し、寂しいな。しかた、ないけど。
 チョータはまどかちゃんに『似合ってるよ』とか『綺麗だね』とか『まどかは綺麗だから』とか、言う。けど、若はそんなこと、言わない。
 言えない人だってわかってるけど、こうやって、他の人が言っているのを見ると、羨ましくて、胸の中がもそもそする。水分がなくなるみたいに、もそもそする。言葉は、嘘も本当も伝えるし、いろいろ不完全だけど、でも、言葉が貰えたら、いいのにな、って思うことは、やっぱりある。
 うん、でも、若だから。仕方ないよね。ゆるしたげよう。もう、本当に、若は甘えてるよ、私に。言葉にしなくても私は離れてかないって、思い込んで甘えてる。その分、私もいっぱい甘えてやる。いつか、若が言う気はないのに思わず言っちゃった! てくらい可愛くなってやる。
 なんてことを考えながら、向日先輩と彼女さんに少しだけ頭を下げる。
「チョータですね、少し待ってもらえますか?」
 調理室に連絡を入れて「二分くらいで来ると思います」と言うと「じゃあ、その間になんか食うか!」って彼女さんに言ってて、彼女さんが「太るから半分ずつ!」なんて言ってる。……いいなぁ。私も一時間くらい前まで若と一緒だったんだけど、いいなぁ。いいなー。いーいーなー。
「宇治金時ドラ焼きと桜ドラ焼きはチョータの発明ですよ」って言ったら「じゃ、それにしようぜ!」って向日先輩たちは一個ずつ買って中で食べてた。
 チョータが来てから、中でまどかちゃんも混ぜて四人で話してていいなぁって思う。でも、凹んでても仕方ないので、お客さんの呼び込み開始!
 文化祭には色んな学校の人も来て、中には男の子目的・女の子目的な人たちもいっぱいいるから、さすがの私もナンパのあしらいはそれなりに出来るようになった。それでも、きっと若はヤだなって思うだろうなぁ、とか。
 ばんばん呼び込んでたら、急に三村に声をかけられてビックリした。けど。
「そろそろコンサートじゃねぇの? 看板持ち変わるか?」
 というものだったので、少しだけ安心して笑ってしまった。
「コンテストだよ。若が迎えに来てくれるから大丈夫」
 なんて言ってる間に若がやってきた。ナイスタイミング。そういえば、ご飯やさんでも、遅いねって話した直後に品物が来たりするよね。なんでだろ。しんくろにしてぃーってやつかなぁ。
 で、そんな若の隣に、何故か中野さんがいた。珍しい、どうしたんだろう? と思ったけど、それと同時に、ああ、明日は若の映画を観に行かなきゃ! って思い出した。きっと若は照れちゃうだろうから、まどかちゃんとチョータがいいって言ったら二人を誘ってこっそりいこう。
 ああ、でも、そうすると、私はジャマか……。友達少ないなぁ、私……。
 溜息をかみ殺してかくんと首を垂れさせたとき、若が中野さんに「じゃあ、さっきの頼む」とだけ言って、中野さんは私に軽くお辞儀して、いなくなってしまった。
 それから、若が普通にチョータとまどかちゃんに簡単に声をかけて、向日先輩に軽く頭だけ下げて「行くぞ」って軽く私の背中を押した。

 若が、少し足早に校舎を歩いていく。なんで中野さんといたのか訊いた方がいいのか、ちょっと悩みつつ、藪を突いて蛇が出てきたら困るしなぁ、なんて、若の背中を眺める。別に浮気とかじゃないの、わかってるし。
 ただ、珍しいから何があったのかな、とは思う。でも、私に関係あることなら、若が言うか……言う、よね? 映画で問題でもあったのかな?

 私は浴衣で下駄だから、早足の若を追うのはちょっと辛くて、でも、必死に足を動かして行った。かるがもの親子みたい。私には若がインプリンティングされているのかも。この人が私を大事にしてくれる人ですよ、ってこの人が私の全幅の信頼を向けても受け止めてくれる人ですよ、って。
 若はきっと、少し、恥ずかしいんだと思う。コンテストに出ること。
 でも、跡部先輩の命令もあるし、“私が出たがってる”から仕方ないなって、了承してくれてるんだと思う。
 好きだなぁ、こういうとこ。
 自分にも他人にも厳しいのに、でもそれで人を傷つけたいわけでも、意地悪したいわけでもない。(いやたまにジャイアンのように意地悪だけれども)
 不器用だけど、優しいところが、すごく好き。もしかしたら、不器用だからこそ、優しさが際立っちゃってるのかな。いい子がちょっとだけ悪いことすると物凄く評価が落ちるのに、悪い子がちょっといいことするとものすごく評価が上がる、みたいな。意地悪な若だから、優しいことをちょっとだけすると、それがもうすっごいことみたいに光るのかも?

 さっきまでは、言葉とか笑顔とかが欲しいって思ったけど、でもこうやって一緒にいると、もさもさの心がうるうるになっていくのがわかる。ゼリーみたいな感じにぷるぷるする。上手く言えないけど、若の一言とかで、すぐにぷるんって震える感じ? うー、この気持ちを言葉で表すのは難しいなぁ……。とにかく、一緒にこうやっているだけで、もさもさしてたのが治るんだよね……

香奈、前見ろよ」

 急に肩をぐ、っと押えられて、びっくりして前を見ると壁だった。色々考えてた所為で、たしかに前とか注意してなかった。なんか、若が前を歩いてくれてるから、滅多なことはないって、勝手に確信してたみたい。
 顔を上げると、若がすっごい呆れた顔で私を見てた。
「ご、ごめん……」
「いちいち謝らなくていい」
 不機嫌そうな顔に、ああ、って、気づく。そっか。ごめんじゃないよね。
「うん。ありがと」
 その言葉に、若は「香奈は本当に馬鹿だ」なんて照れ隠しを言ってから、再びゆっくり歩き出した。
 本当なら、手を繋いでくれるけど、こんなに人の多い校内で、若がそんな事をしてくれるはずもない。
 でもいいんだ、ぶつかりそうになったらこうやって助けてくれるし、今みたいに私が浴衣だったと思い出すと一緒にゆっくり歩いてくれてる。それだけの事が、私にとっては大事で、嬉しくて仕方ない。
 さっきまで心がもさもさかさかさしてた、でも、今、若と一緒に歩いてると、どうしようもなくて。好きだなって思う。ベストカップルかはわからないけど、でも、私が若を好きな気持ちは、この学校の誰の好きにも負けない気がする。

 会場控え室入り口の長机の名簿にエントリーした時の番号と私と若の名前を書く。後輩らしい女の子の示した控えの場所で一次審査開始を待ちながら、周りを窺うと、結構みんな、勢いで出場しちゃったのか、思ったより人が多くてビックリした。
 大きなコンテストだとは知ってたけど、去年は、全然興味がなかった。
 というか、若が照れて、あんまり一緒に見回ったりも出来なかった。ただ、同じクラスだったから、いっぱい一緒にいれて、すごく楽しかったな。一緒に色々やるのって、本当に楽しい。いつもは、若と私は別々のことをしているけれど、文化祭では、一緒にひとつのものを作り上げてた。……やっぱり、同じクラスだったらよかったのに、なんて、今更。
 このコンテストも、出たってだけでこの年の中学の文化祭はきっと一生思い出に残るんだ。そう思うと恥ずかしいけど、まあいいかな、なんて。だって、きっと、あと四〜五倍くらい人生ありそうだし。五分の一の恥くらい、五分の四過ぎるころには、きっと笑い話になる、はず。たぶん。

 一次審査は簡単な学力テストだから、若と一緒に単語帳とかを見ながら問題の出し合い。
 素晴らしい事に、三十問中二十問もあっていた。若は五十問中五十問あってたけど。途中で、向日先輩と話してたまどかちゃんとチョータも来て、四人で勉強。
 若に何度も「馬鹿」って言われました。それから、会場の、自分たちの番号のある席に座るように指示されて、テスト開始。二人で相談してもいいらしいんだけど、私、不必要でした。
 青臭さをとるために塩を振ったきゅうりをまな板での上で転がすのはなんていうかっていう家庭科の質問だけは「香奈」て若が答えを聞くみたいに私の顔をみて、質問の部分を筆記用具のうしろでトントン叩いたので、胸を張って教えてあげる。
「いたずり」
 そしたら若がすぐに理解したのか“板擦り”と書いた。
 今更だけど、若の字って読みやすいなぁ……私も見習わないと。ボールペン字でも習おうかな、通信学習の。
 そんな訳でテストを回収されて採点されている間に二人三脚をするということで紐を渡される。
 で、やる気満々でジャージに着替えた若がそれを受け取るときに

「とりあえず、こいつと俺の足が繋がっていればいいんですよね?」

 と、係に聞いていたのが、なんとも不安です。そりゃ、若のが私より全然身長高いけどさ……。
 ああ、そうだ、若って、やるからには頂点を目指すタイプだった。
「足首が繋がってたら大丈夫ですよ」
 さっぱり答えた係の先輩は、若がした質問の本当の意味を分かってないと思う。
 うん、でも、私、まさかこんなのがあると思ってなくて、浴衣だしね。走れないしね。仕方ないよね(なかにはお化けの格好の子もいるけど。お化け屋敷の2−Dの子かなぁ)

 ……覚悟決めなきゃ。
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